冷凍ピザから年商200億円の総合食品会社築く

大河原愛子(ジェーシー・コムサ) 第2回「事業家事始め」

大河原愛子代表取締役会長 大河原愛子代表取締役会長
大河原愛子代表取締役会長

メーンバンクは父親

ジュネーブ大学を卒業した大河原は日本へ直行した。祖国の米国ではなく日本を生活の場に選んだのはごく自然な成り行きだった。その理由について大河原は「当時、父の仕事の関係で家族が日本に住んでおりましたし、私もまだ22歳でしたので、家族から離れて米国で一人で仕事をする気持にはなれませんでした」と、その時の心境を語る。

法学部卒の大河原は当然、その才能を生かすべく日本で弁護士を開業する算段だった。だが、米国籍の大河原が弁護士として日本で独り立ちするには規制の壁が高く事実上、不可能に近かった。いくらチャレンジ精神旺盛な大河原であっても諦めざるを得なかったのである。

一転して針路を方向転換した大河原が向かった先は、ビジネスの世界だった。国際的なビジネスマンだった父親の背中を見て育った大河原は、子供の頃からビジネスの世界に強い憧れを抱いていた。

父親が1964年に創業して友人に任せていたピザの輸入販売会社に、1966年、大河原は実質的な経営者として入社。事業家としての第一歩を踏み出す。だが、創業経営者の多くが味わったように、資金調達と販路開拓という高いハードルが立ちはだかることになる。

会社の資本金は1,000万円。大卒の初任給が2万円ほどだった40年以上前の1,000万円といえば大金だ。ただ、父親が全額出資したため、その意味では極めて恵まれたスタートだったかもしれない。

しかし、ピザといっても大河原が志した事業は日本国内で冷凍ピザを製造する本格的な食品のモノづくり。事業が伸びれば伸びるほど設備投資や在庫の確保、人件費など資金需要は膨れ上がる一方だ。大河原は当時の金融機関とのやり取りを今でも鮮明に覚えているという。

「ある銀行に融資の依頼に行った時の話ですが、その融資担当者が『お金を借りたければ土地や株を持ってきてください』というわけです。日本語の下手な外国人の若い女性だから、軽くあしらわれたのだと思いますが、土地や株が買えるほどの金があれば、銀行で資金手当てする必要なんかないじゃありませんか、と答えて笑っちゃいました」

その当時の大河原の銀行対策が振るっている。「知り合いから『信用金庫は1人200万円までなら貸してくれる』と聞いたものですから、両親を含めた家族6人で別々の信用金庫から合計1,200万円まで借りることができたんです」と、大河原は資金調達の裏技を話している。それでも会社を引き受けてから1年間ほどは、お金が足りなくなると父親に面倒をみてもらうことがしばしばだったという。いわば、父親が「メーンバンク」の役割を果たしたのだ。

人脈こそビジネスの生命線

ピザ生産拠点の多摩工場

当時の冷凍ピザ市場は皆無に近かった。冷凍庫つきの冷蔵庫が十分に普及していなかったこと。ピザを焼くにしてもオーブンのある家が少なかったこと。日本人がチーズの味自体にまだ馴染んでいなかったことなどが背景にある。ライフスタイルそのものが欧米化する一歩手前だったわけである。

1970年代に入ると、ライフスタイルも大きく変化し始める。そして、外食チェーンで有名なロイヤルホストを展開するロイヤル(現在のロイヤルホールディングス)の創業者・江頭匡一(故人)との出会いが大河原の事業運を一挙に成功へと導く。

「東京で開かれたあるパーティで、たまたまそこにおられた方から『九州のロイヤルの社長がアメリカ式のレストランチェーンをやるらしい』と小耳に挟んだものですから、すぐに九州へ飛んで行ったんです。これはもう理屈の世界ではなくて、一瞬のヒラメキですよね」

人脈と行動力−。大河原が事業家として最も大事にする要素だ。大河原によると「チャンスは人が作ってくれるものです。ただ待っていてもチャンスはきません。日本はまだ男社会ですから、産業界のパーティに出席しても誰も話し相手になってくれません。それでも努力して顔を出すことが大切だと思いますね」

大河原は江頭の印象についてこう語っている。

「江頭さんは私のような20代の若い人間の話にも、非常に気持ちよく耳を傾けてくれました。江頭さんが日本で最初に導入した外食チェーンが大成功を収めた原因ですけれども、江頭さんは非常にアグレッシブな方で先を見る眼が秀でていると申しますか、新しいものに対する感性の強い方だと思いますね。私の恩人として尊敬する人です」

これがキッカケとなって大河原の冷凍ピザが外食チェーンルートに乗って、全国に普及していったのは言うまでもない。ピザが日本のライフスタイルに受け入れられた瞬間だった。(敬称略)

■ プロフィール

大河原 愛子(おおかわら あいこ)

1941年、米国ハワイ州ホノルル生まれ。
ホノルルの中学校を卒業後、1年間東京のアメリカンスクールで日本語を勉強。
米国に戻りノースウエスタン大学を卒業後、スイスのジュネーブ大学法律学部に留学し国際弁護士資格を取得。1964年に卒業とともに来日。父親が創設したピザの輸入販売会社に入り実質的な経営者として日本のピザ市場のパイオニアとなる。
1991年にニュービジネス協議会の女性起業家大賞、1992年に日刊工業新聞社の婦人経営者賞、1998年に世界女性起業家賞などを受賞。

■ 会社概要

社名

(株)ジェーシー・コムサ

設立

1964年11月19日

代表者

大河原 愛子

事業内容

ピザを主力とする食料品の製造・販売、外食産業、その他

資本金

8億2,381万円(2007年6月28日現在)

売上高

19,806百万円(2007年3月期、連結)

従業員数

合計824名(社員216名・パートナー608名、2007年6月28日現在)

本社

東京都渋谷区恵比寿南1-15-1 JT恵比寿南ビル

掲載日:2007年7月17日