「やればなんだってできるのだ」
この成功体験がテープレコーダーのトランク型の開発成功に結びつき、次の飛躍となるトランジスターラジオの開発へと受け継がれていく。
アメリカのウエスタン社が開発したトランジスターをラジオに使おうと思いついたものの、製作は一向に前進せず、研究開発費は出ていくのみであった。
「私はこのころトランジスターに手を出したことはたいへんな失敗だったかと幾度も反省させられた」
と、のちに井深は『私の履歴書』で告白している。ほかの商品化がスムーズにいっていればこその継続であった。どうにか世界で2番目のトランジスターラジオの商品化に辿りついた。
この頃、盛田はそのラジオをもってアメリカへ売り込みにいっている。
井深はテープレコーダーのときと同様、ラジオの小型化を企画した。改良して昭和32年、63型と称したラジオは世界最小の大きさで、ポケットに入った。この小型化の成功は、一家に1台のラジオの常識を、1人に1台の時代に踏み込ませることとなった。
ソニーは物真似で追随する他のメーカーを振り切るために短波用、超短波用(FM用)トランジスターの開発へ進み、世界初のトランジスターテレビ(8インチ)、さらにはマイクロテレビの発売へと繋がっていく。無論、成功した開発の影には、井深の決断で研究を中断したものも少なくなかった。電卓、電子写真……etc。
しかし、“ソニー”は世界に大きくはばたいた。