あの人気商品はこうして開発された「食品編」

「ガリガリ君」中堅企業だからこそ知恵を活かして販売戦略を練る

「あの人気商品はこうして開発された!」 「ガリガリ君」-中堅企業だからこそ知恵を活かして販売戦略を練る 子どもたちが遊びながらでも食べられるかき氷をつくる。そんな発想から「ガリガリ君」は開発された。イガクリ頭の独特なキャラクターがパッケージに描かれている。開発当初はマンガ好きの社員が描いたイラストだが、いまやキャラクタービジネスを展開するまでに成長した。そんなガリガリ君が売れまくる秘密はどこにあるのか…

年間で日本人の1人が3本を食べている計算になる。そんなアイスがある。「ガリガリ君」だ。空前の猛暑を記録した2010年夏、ガリガリ君は売れに売れまくり、年間の販売数量が3億本を突破した。アイス市場で過去最高を記録する、まさにアイス界のモンスター。2010年ヒット商品番付でも「小結」にランクされた(三井住友銀行グループのSMBCコンサルティング発表)。

今夏は売れすぎて品薄状態に陥ったガリガリ君。まずはその"モンスター"の誕生から話を始めよう。

片手で持って食べられるかき氷をつくろう

1964年に発売された「赤城しぐれ」。カップ入りのかき氷として大ヒットし、赤城乳業の主力商品となった

ガリガリ君の開発・発売元である赤城乳業の創業は1931(昭和6)年。井上秀樹社長の祖父徳四郎氏(故人)が、前身となる個人営業の天然氷販売店「ヒロセヤ」を埼玉県の深谷駅前に興し、61(昭和36)年に株式会社赤城乳業に改組し現在に至る。

赤城乳業になって3年後の64年、大衆食堂などの食べものだったかき氷をカップに入れて駄菓子屋などで発売した。「赤城しぐれ」という名のかき氷アイス。これが大ヒットし、たちまち同社の中核商品となった。

その後の10年余は経営も順風満帆に推移した。が、73年と79年の石油ショックの影響で同社の収益も圧迫されると、赤城しぐれの価格を30円から50円に値上げした。ところがこれが裏目に出た。値上げの影響で売行きがかげり、経営が空前の苦境に立たされてしまったのだ。

そこで当時の専務・開発本部長だった井上秀樹氏が満を持して新商品の開発に乗り出す。開発チームの中軸には現常務・開発本部長の鈴木政次氏を起用。この井上・鈴木コンビの自由奔放で融通無碍な発想がガリガリ君を生み出した。

子どもたちが遊びながら赤城しぐれを食べられるようにしたい。それが発想の原点だった。かき氷にスティック(棒)を挿入すれば、片手で持って遊びながらでも食べられる。そう考えて開発したのがガリガリ君だった。

81年、ガリガリ君を発売。当時の状況について営業本部営業統括部次長マーケティング担当の萩原史雄さんは説明する。

「子どもが遊びながら食べられる。そんなシンプルな発想から生まれたガリガリ君ですが、かき氷を片手で持つという“ワンハンド化”はナショナルブランドでは初めての商品で、大いに売れました。ところが、発売当初のガリガリ君は単にかき氷を固めただけなので、運搬中の振動や店頭で重ねて置くために袋の中でバラバラに崩れてしまい、クレームの原因にもなりました。これではいけないということから、かき氷をアイスキャンディーの薄い膜で包んで崩れにくくしました」

薄いアイスキャンディーの膜(シェル)の中にかき氷が充填されている。これがガリガリ君の構造。その製法はいたってシンプル。まず、アイスの金型に液状のアイスキャンディーを流し込み、冷やして外側だけを固める。このとき外側は薄いシェル状態に固まっているが、中はまだ液体の状態。この液状のアイスキャンディーを抜き取り、空洞になったシェルの中にかき氷を充填して完成。現在も変わらぬ製法だ。

(左)「子どもが遊びながら食べられる。そんなシンプルな発想から生まれたのがガリガリ君。かき氷の“ワンハンド化”はナショナルブランドでは初めてで、大いに売れました」営業本部営業統括部次長マーケティング担当 萩原史雄さん(右)1981年にガリガリ君は発売された。パッケージの真ん中には中3の男子。マンガ好きの社員が描いたキャラクターが大ヒット商品の“顔”になった

最初は家内工業的な開発だった

ブランドネームは「ガリガリ君」。いまではポピュラーなネーミングだが、発売直前までは“君“がなく、「ガリガリ」が商品名だった。ガリガリはかき氷をかじるときの擬音だが、これだけではあまりにもそっけない。それなら“君”をつけて親しみを出そう。井上社長の発案で最終的なネーミング「ガリガリ君」が決まった。

フレーバーはソーダ、コーラ、グレープフルーツの3種。当時の子どもたちが最も好んで口にした飲料から決めた。また、スティックに当たりくじを付け、当たったら買った店でガリガリ君を1本無料でもらえるようにした。

ガリガリ君のキャラクターは、井上社長が少年だった頃(昭和30年代)のガキ大将がイメージされている。イガグリ頭の中学3年生の男子、それが当初のガリガリ君のイメージキャラクターだった。

パッケージのキャラクターはマンガ好きの社員が描いた。製造からパッケージづくりまですべて社内でやる。一見すると家内工業的でほのぼのとした商品開発風景のようだが、「発売当時には売れるかどうかわからない商品に多くの費用をかけられなかったのでしょう」(萩原さん)というのが実情だったようだ。確かに多額の開発費を投じたからといってヒット商品にできるわけではない。むしろシンプルな発想から生み出された商品だからこそ、消費者に素直に受け入れられて大ブレイクする。ガリガリ君はその典型例だったといえそうだ。

発売当初の販売チャネルは駄菓子屋など小売店が中心だった。が、店頭のショーケースは大手のアイスメーカーに押さえられていてガリガリ君の置き場を確保できない。それが販売数量を思うように伸ばせない最大の原因だった。このままではじり貧に陥ってしまう。なんとかしなければ。そこで販路の転換を試みた。コンビニへと大きく舵を切ったのだ。当時、コンビニがチェーン展開を加速し、流通市場で勢力をじわじわと拡大しつつあった。しかも、大手のアイスメーカーはまだコンビニへ強く食い込んでいない。赤城乳業はこの市場動向を的確に見極めてコンビニに働きかけた。これが奏功し、80年代の10年間で売上げを3倍に拡大した。

フレーバーの戦略も巧みだった。最も人気の高いソーダ味を基本に、95年からは季節ごとに限定のフレーバーを開発し、移ろいやすい消費者ニーズをガッチリとらえた。オレンジ、白桃、青りんご、プリンなどこれまでに開発・発売したフレーバーは70種を超える。

コンビニが"情報発信基地"といわれ、大手のアイスメーカーがコンビニ対策を強化してくると、ガリガリ君はコンビニでの実績をベースに97年から量販店へと大手アイスメーカーとは逆のベクトルで販路を拡大した。

売上が順調ながらも厳しい評価に直面する

81年の発売からガリガリ君は売上を順調に伸ばし、94年には年間6,600万本と当時の年間最多販売本数を記録した。が、95年以降になると他社から類似商品が発売されるなど、市場の競争は徐々に激化し始めた。その影響もあってか、ガリガリ君の売上には以前ほどの成長が見られない。そこで打開策を探るため、99年に全国で3万人規模という大がかりな市場調査を試みた。その結果、衝撃的な反応に直面する。「汗が泥臭い」「歯ぐきが汚く見える」「田舎くさい」とつぎつぎと厳しい評価を突きつけられたのだ。とりわけ若い女性の評は惨たるものだった。

しかし、商品イメージへの評価は厳しかったが、商品自体は嫌いではないという消費者が多かった。味はきちんと評価されていたのだ。そこで、キャラクターに起因するマイナスのイメージを払拭するため、2000年に抜本的な商品のリニューアルを敢行した。まず、キャラクターのイラストをアニメ風に替え、年齢も中3から小学生に再設定した。さらにCMソングもつくり、全国で「ガ~リガ~リ君♪」という親しみやすい歌を流した。これらがみごとにあたって、それまで弱かった西日本市場への拡大が進み、00年には年間販売数量が1億本の大台を超えた。

2000年にガリガリ君がリニューアル。キャラクターの設定を中3から小学男児に変更し、イラストをアニメ風に替えた。初のCMソング「ガ~リガ~リ君♪」のメロディーも大ウケした

さらに02年には、消費者の安心・安全志向に応えるため、安定剤に天然ペクチン(多糖類)を使用し、合成着色料の使用をいっさい止めた。食の安心・安全は世の中の流れ、それに応えることは企業の社会的責任を遂行することに他ならない。消費者からの信頼を後ろ盾にさらに販売を伸ばしていく。

コラボ企画でアイス売り場へ誘導する

リニューアル後のガリガリ君は販売戦略にも特徴を見せる。その1つが異業種・異業態とのコラボレーションだ。05年からこのコラボを本格化させた。その目的はアイス売り場へ消費者を誘導すること。コラボは小学館でのマンガ連載、バンダイとの携帯ストラップ、コナミとのゲームの共同開発から始まり、その後も文房具、入浴剤などの小ネタを含めて年間100以上の企画を仕掛け続けている。

さらに06年には販売戦略を加速するため子会社「ガリガリ君プロダクション」を設立した。中堅のアイスメーカーとしては異例のことだが、キャラクターでビジネス展開できるまでにガリガリ君は成長したといえる。

2005年からコラボレーション企画をつぎつぎに展開する。マンガの連載やゲームの共同開発、さらには箱根の温泉と協力した「ガリガリ君温泉」など、その企画は多彩だ

とはいえガリガリ君の販売戦略は堅実だ。

「話題性だけのコラボ企画を仕掛けることはありません。あくまでもアイスの食シーンにつながるかどうかで判断しています。そしてご理解していただいた企業さんと企画を実施し、その企業さんが別の企業さんを紹介してくださるように、その輪が自然に広がっていきます」(萩原さん)

また、コラボも含めて販促の企画は赤城乳業独特なものを仕掛け、大手メーカーと真正面から対峙するような企画は絶対に立てない。中堅企業の知恵が販売戦略に活かされている。戦略の目的はあくまでもアイス売り場に消費者を導くこと。そのためのコラボ企画であり自社の販促活動なのだ。

2010年はサッカーワールドカップの日本代表と連動した「SAMURAI BLUE」(サッカー日本代表のユニフォームを着たガリガリ君のパッケージ商品を期間限定で発売し、日本代表の試合のハーフタイムにガリガリ君を食べることを呼びかけるプロジェクト)、50万枚のエコ紙うちわを配布した「ガリガリ君祭エコ」(店頭や街頭でガリガリ君オリジナルうちわをプレゼント。うちわとガリガリ君で日本の暑い夏を楽しむエコプロジェクト)などのキャンペーンを展開した。

ワールドカップ開催前には日本代表が不調だったことから、キャンペーンがうまくいかずに「在庫の山ができるのでは」と社内で不安の声もあったが、南アフリカ本大会で日本代表が予想外の活躍をしたことでその懸念はたちまち一掃。むしろ記録的な猛暑に後押しされたこともあり、生産が追いつかないほどの売行きを示した。

現在のガリガリ君の主要な購買層は30-40代の男性と女性だが、リニューアル後から徐々にすそ野を広げ、いまは50代男性や女子高生、60代以上女性も大きなボリュームゾーンになっている。

そして年間販売本数も09年に2億4500万本、10年に3億本を突破。内外ともに認めるアイス商品のモンスターといえる。そのモンスターを擁する赤城乳業は、11年には会社設立50周年、ガリガリ君発売30周年のメモリアルイヤーを迎える。

「2010年には3億本という大台を突破しましたが、まだ日本のすべての方に認知されているわけではありません。そういう点からも販売の伸びしろはたっぷりあります。流通さんの期待も大きいので、なんとしても10年の販売実績を超えなければいけません」

2010年末のコラボ企画は「モンスターハンターポータブル3rd.」(カプコン)と共同の「ガリガリ君はちみつレモン」。アイスの“モンスター”ガリガリ君がモンスターハンターとタッグを組んだ

萩原さんは新たな決意を語るとともに、新年の仕掛けも披露した。この冬に話題をさらうこと必至のゲームソフト、カプコンの「モンスターハンターポータブル3rd.」とのコラボだ。アイスのモンスター・ガリガリ君がゲームのモンスターハンター3rd.とタッグを組み、卯年の幕を切って落とす。

企業データ

企業名
赤城乳業株式会社
Webサイト
代表者
代表取締役社長 井上秀樹
所在地
埼玉県深谷市上柴町東2-27-1

掲載日:2010年12月22日