経営課題別に見る 中小企業グッドカンパニー事例集

「株式会社大川印刷」横浜の老舗印刷企業・後継者の挑戦

2005年に大川印刷6代目社長に就任した大川哲郎氏は、それまで形骸化していた経営理念の社員への浸透を推進することで、組織風土を変革し、経営理念を自分の言葉で語れる社員を増やして顧客評価を高め、「環境印刷」という新たな自社の存在意義を見出すことに成功した。同社のように、事業承継時に後継者が経営理念を見つめ直し、社員への浸透を図ることは、自社の存在意義を問い直し、さらに成長していくために有効な施策である。

この記事のポイント

  1. 後継者自らが凡事徹底を実践することで、社員の意識変化を促した
  2. 経営理念を社員に浸透させることで、経営理念を自分なりに解釈し行動できる社員を増やしていった
  3. 経営理念の意味を問い直すことで、「環境印刷」という自社の新たな強みを見出した
大川印刷・大川哲郎社長。手にしているのは同社のメディア掲載・出演情報をまとめた「SDGs PUBLICITY BOOK 2017」

凡事徹底、当たり前のことを徹底する

大川哲郎社長が大学1年のとき、4代目社長であった父が医療ミスにより急逝し、専業主婦であった母が5代目社長に就任。大川社長は大学を卒業してから東京の印刷会社で3年間修行した後、1993年に大川印刷に入社した。

当時25歳の大川社長は、修行先の東京の印刷会社と自社とを比べて、あまりの違いに大きなショックを受けたという。一生懸命に働く社員が少なかった。挨拶をしない。規律を守らない。時間を守らない。社員同士の仲は良かったが、本当の意味での信頼関係はなかった。自分たちの会社に誇りをもっていない。こういった組織風土を変えたいと思い、改善・改革に奔走したものの、賛同してくれる社員はほとんどおらず、すべて空回り。社内で孤立した。

「人は変えようとしても変わらないんですよ。今ならよくわかりますが、当時は若かったのでわからなかった」(大川社長)。

大川社長が30歳の頃、経営者の先輩から「凡事徹底」という言葉を教わり、これだなと思った。当たり前のことを徹底する。当時、小集団活動を行っており、あるべき大川印刷を検討して作った「大川スピリット」があった。「お客さまを大切に」「元気に挨拶をする」「約束を守る」など、大川スピリットに書かれていることはみな当たり前のことばかり。まさに凡事。でも、当時の大川印刷ではできていないことばかりだった。「まずこれを徹底しよう!」と大川社長は考えた。

その日から大川社長のチャレンジが始まった。挨拶を徹底するため、出勤時に正門に立って社員一人ひとりに「おはよう!」と声を掛けた。工場や営業所に入る際、玄関先で脱いだ履物が乱れていれば、揃えてから入るようにした。お客さまの要望に応えるため、製造部の代わりに毎朝早くに自分で出荷前検査を行ったこともある。まず自分がやってみせる。自分が変われば人も変わる。そうしているうちに、じわじわと社内の雰囲気が変わってきた。

先代社長時代の委員会活動。この中で経営理念を策定していった。立って説明しているのが大川氏

経営理念の意味を問い直す

自ら凡事徹底を実践することで、組織風土を変革していった大川社長だが、ある問題に頭を悩ませていた。顧客のクレーム情報が営業や製造の担当者から事前に上がってこないのだ。そのため、対応が遅れ、顧客の信頼を失うことになっていた。「どうすれば営業や製造の担当者に、大川印刷の社員として正しい行動をしてもらうことができるだろうか?」大川社長はそう考えているうちに、先代のときに委員会活動で作成した経営理念があることを思い出した。

大川印刷の経営理念は『情報産業の中核として信頼に応える技術力と喜びを分かち合えるものづくりの実現』である。事あるごとに経営理念に合致しているかどうかを社員と話し合い、経営理念を浸透していくことで、社員一人ひとりに大川印刷の社員として正しい行動をしてもらうことができるのではないかと考えた。経営理念の解釈については社員と徹底的に話し合う。たとえば、「喜びを分かち合う対象は誰か」という問いに対し、昔は「職場仲間」という回答が多かったが、そのうち「顧客」や「顧客の顧客」と答える社員が増えてきた。顧客が喜びを分かち合う対象だと認識すれば、顧客からのクレームをおざなりにすることなどなくなっていく。現在では多くの社員が「地域社会」までを含めて「喜びを分かち合う」対象だと捉えるようになった。

また、2005年の6代目社長就任以降、同社は本業で社会的課題を解決できる会社の実現を目指し、環境に配慮した経営を加速させていった。幼い頃から自然と触れ合いながら育った大川社長は、入社当時から環境問題に興味をもっていた。大川社長の「孫の世代のことまで考えた仕事をしようよ」との呼びかけが社員の共感を生んだという。それに伴い、経営理念の「信頼に応える技術力」に対する社員の解釈が変わっていた。昔は「高品質」であることが技術力のすべてであったが、それに「環境性能を高くする」という要素が加わっていったのだ。2015年、大川印刷は「地球温暖化防止活動環境大臣表彰」を受賞したが、これは社員一人ひとりが常に経営理念に向き合い、その意味を問い直し続けていった成果の証であると言える。

大川印刷の印刷作品の数々。
高品質であることはもちろん環境性能にもこだわる

経営理念を社員に浸透することの業績への影響

最後に、大川社長に経営理念を社員に浸透することの業績への影響について聞いた。印刷業の売上は既存大手顧客の業績に左右されることが多いため、経営理念の浸透と業績との相関を数値で表すことは難しいが、「ここ数年、新規顧客で1,000万円を超える案件を受注できるようになったのは、経営理念を自分なりに解釈して行動できる社員の活躍によるものである」と大川社長は胸を張る。

経営理念の社員への浸透を進めることで、経営理念の意味を常に問い直し、顧客や地域社会のことを考え行動する社員が増える。そういった社員の顧客評価が高くなり、自社の業績につながっていく。経営理念は社員の目標であり、行動指針でもある。これが社員の間に浸透し、現場で実践されてこそ、初めて経営理念としての価値をもつ。経営理念にいかに血を通わせるかが、社長の経営手腕であり、リーダーシップであると言えよう。

企業データ

企業名
株式会社大川印刷
Webサイト
設立
1910年
資本金
1,000万円
従業員数
38名
代表者
大川 哲郎
所在地
神奈川県横浜市戸塚区上矢部町2053

中小企業診断士からのコメント

時代のニーズが変化していく中で、企業は成長を続けて行くために、自社の存在意義(顧客や地域社会からどのような点で必要とされているか)を問い直す必要があり、事業承継はそれを行う好機であると言える。事業承継のタイミングで後継者がリーダーとなって、経営理念の社員への浸透を推進することで、経営理念を自分なりに解釈して正しく行動できる社員を増やし、時代のニーズと自社との新たな接点を探って行く。大川印刷の場合は、環境印刷という新たな存在意義を見出した。浸透活動を推進するには、ある程度の対話を重んじる組織文化が醸成されている必要があり、まず凡事徹底から始めた大川社長の試みは参考になる。

小久保 和人