農業ビジネスに挑む(事例)

「木之内農園」マーケティング重視で観光農園を経営する

  • 収穫体験という付加価値を提供して成功
  • 新規就農者の育成に尽力する

1985年、都会育ちの青年が単身熊本の阿蘇地方で農業を始めた。青年の名は木之内均さん。神奈川で生まれ、東京で育った木之内さんは、熊本県の九州東海大学農学部に進み、在学中に農業研修で南米に赴いく。その際、豪邸に住む現地の農業生産者の経営者然とした態度に触発され就農を決意。卒業後も農業をすべく熊本に残った。

が、地元の農業者たちからはすんなり受け入れられなかった。地元の大学で農業を学んだとはいえ、関東出身のよそ者でもあり、いつ農業を辞めて去っていくかわからない。そんな思いが地元農業者の心の門戸を閉ざしたのだ。そこで木之内さんは地元に溶け込むべく地元の活動や行事に率先参加。そのかいあってか2年後の1987年に農業委員会から農業者として認められ、はれて阿蘇で農業生産者となった。

木之内農園は阿蘇地方でもいち早くいちご栽培と収穫体験を始めて成功させた

いちご栽培と収穫体験で成功

木之内さんは就農3年後の1988年にメロンといちごの施設栽培を始めた。しかし、メロンは出荷の時期が市場の最盛期とずれることから経営的に合わないと判断し、やがて栽培の主体をいちごに切り替える。当時、阿蘇地方でいちごを栽培する生産者はなく、かつ木之内さんの生産も順調に推移したことから、売上が毎年倍増するほどに成功した。

当時の作業者は妻と友人との3人だけ。どうしても人手が足りないためいちごをすべて収穫・出荷しきれない。そこでその対策として89年暮れからいちご狩り園を始めた。3人で収穫しきれない分は来園者に収穫して食べてもらう。このアイデアがヒットしていちご狩りも好評を博す。そうした独自のアイデアや就農以来の地道な取組みが認められ、1991年には熊本県農業コンクール新人王農林大臣賞を受賞した。

木之内さんは翌年の1992年にミニトマトの栽培、1994年からはいちごの加工品(ジャムや菓子)の開発・販売を始めた。さらに1997年に法人化して木之内農園を設立。 現在、木之内農園はいちご、ミニトマトの栽培事業、いちご狩り・農業体験の観光農園事業、加工品事業、露地野菜の栽培事業をビジネスの柱とする。また、2003年に関連法人として「NPO阿蘇エコファーマーズセンター」を設立し、新規就農者の育成に尽力している。

新規就農者の育成にも心血を注ぐ

田中さんの野菜づくりへの思いはいたってシンプルだ。

木之内農園の特徴は、創業期から消費者志向やマーケティング動向を意識して観光農園を経営していることだ。木之内さんは、創業当初は地元の農業の私塾に通い、農業に取り組む姿勢や市場環境、また当時の農業としてはめずらしい企画、マーケティング、売る工夫の重要性などを知った。さらに農業経営者団体の集会に参加し、観光農園における消費者志向、マーケティング動向、観光のあり方などの知見を得るなど、就農直後から農業における経営の基礎を1つひとつ学んでいった。

また、座学だけでなく実践を通して経営感覚を身に付けている。例えばいちご狩り園を始めた当時、阿蘇地方ではいちごの栽培もその収穫体験もどちらもめずらしかったが、木之内さんは来園者と直に接することで、ものめずらしさだけでなく、いちごの収穫体験という付加価値そのものが消費者からおおいに支持されていることを実感した。

木之内さんはそうした実践の中から磨き上げた経営感覚を基盤に今日の木之内農園の諸事業を育てあげてきた。

いちごを原料にジャムなどの加工品を開発

現在、木之内農園の年商は約1億円。その内訳は青果(いちご、ミニトマトなど)30%、加工品30%、観光農園30%であり、加工品事業では、大学と連携していちごの新品種「ひまつり」(1995年)とそれを原料にしたワイン「夢みるひまつり」(2000年)を開発し、さらに産学連携で2007年に芋焼酎「阿蘇乃魂」も開発している。

また、木之内さんは自身がそうであることから新規就農者の育成にも心血を注ぐ。創業4年後(1989年)にはすでに研修生を受け入れ、1993年からは本格的な研修を実施した。さらに2003年には研修制度を運営する組織として「NPO阿蘇エコファーマーズセンター」を設立した。

阿蘇エコファーマーズセンターで研修を修了した研修生には、土地の借り上げを斡旋したり、農産物を代理販売したり、補助金など支援事業の申請についてアドバイスするなど、独立の手助けを惜しまない。現在までに阿蘇エコファーマーズセンターを巣立った87人の新規就農者が、東北から九州まで全国で農業に勤しんでいる。

企業データ

企業名
有限会社木之内農園
Webサイト
代表者
木之内均(会長)、村上進(社長)
所在地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野203-1