他社にはない、できたてポテトチップの製造販売
正直に情報開示をし、お客様に誠実に向き合う企業姿勢
食べたこともない「ポテトチップ」なるものの製造
昭和28年、現代表取締役の父である岩井清吉氏(以下、先代)は、瓦煎餅の製造販売で創業した。
戦後、菓子屋は業績のいい企業が多かった。先代が同業者と熱海に行った時に、アメリカの進駐軍が食べているポテトチップというものが美味しそうだとの話を耳にし、作ろうと試みる。
食べたこともないポテトチップではあったものの、元々、先代が下仁田出身だったため、こんにゃく芋を薄くスライスして軒に干して乾燥させ粉にひく習慣があり、鰹節を削る要領で芋をスライスする発想があった。また、親戚が芋羊羹を作って売り歩いていたため、スライスした芋に砂糖をかけるアイデアを思いつく。「ポテトチップに砂糖だなんて、最初聞いたときはなんだかでたらめ言ってるな~と思ったけど、芋羊羹からいもに砂糖をかける発想が出てきたのだと、最近やっと話が繋がってきてね」と現在の代表取締役の岩井菊之氏(以下、現代表)は話す。
知り合いにかりんとうの製造販売するところが数軒あり、揚げ方を習いに行ってポテトチップなる食べ物を作る。砂糖ではなく塩をかけると先代が気づいたのは少し後のことだった。
1968年にはポテトチップの大量生産をするべくフライヤーの設備投資を行ったが、上手く揚げられなかった。元来先代は「家で勉強するより外に出て経験をすることが重要」との考え方により、アメリカにポテトチップの製造を学びに行く。学んだ技術を活かし、やがて日本ではじめてポテトチップの大量生産に成功する。毎日製造したてのポテトチップをルートセールスで販売して廻った。
今では当たり前のように食べられているポテトチップは戦後に日本に入ってきて定着した食べ物である。先代は自分が日本人ではじめて日本製のフライヤーを使い、ポテトチップを大量生産して販売した人物なのではと考えている。
大手がやらないスキマを狙うも苦戦
大量生産ができるようになったと言っても、大手メーカーには叶わない。大手と同じ流通経路に乗せると一次卸・二次卸と入り、どうしても中間手数料が高くなる。そこで、先代は珍味問屋を通し、業務用としてホテルやレストラン等へと配送することにした。二次卸が入らない分中間手数料は安くなる。大手がやらない方法で生き残ろうという戦略だ。
しかし、大手にこの流通方法が知られてしまい、真似されてしまう。
さらに精製塩しかポテトチップに使われていなかった時代に、先代が1975年の沖縄国際海洋博覧会で甘塩を知り、これを焼いて焼き塩にしてポテトチップにかけて販売していた。塩を商品のセールスポイントにしていたのだが、塩にこだわる方法もやがて大手に真似されることとなる。
次に目をつけたのがお土産用のポテトチップだ。それまで、お土産というと箱に入ったものばかりだったが、袋入りのお土産用ポテトチップの販売に乗り出す。ちょうど2001年をすぎた頃には、自分用にお土産を買う習慣が出てきて追い風となったが、やはり大手に真似されることになる。
タイトル
現代表が幸運にも、競争率の高い東京マラソンに2度当選し、「このラッキーをお裾分けしたい」という思いで、できたてのポテトチップをお渡しできないかと考えたのが、東日本大震災の後のことであった。しかし、どのようにこのお裾分けを世の中に伝えれば良いのかが分からない。そうしたところ、自社製品を納めていた食材配達サービス会社との繋がりで、マーケティング・広告宣伝の専門家と出会い、一緒に告知をしたところ20名の人たちにできたてのポテトチップをお届けすることが出来た。
さらに、その専門家からできたてのポテトチップを消費者にお届けするのは大手では簡単に真似できないことではあるが、経営資源が豊富なため不可能ではない。そこで「できたてポテトチップの菊水堂」として商標登録し真似を防ぐこと、そしてインターネット販売で直接消費者に販売することの提案を受ける。
以前、中小企業大学校の中小企業診断士を目指す受講生から受けたコンサルティングの提案の中にもインターネット販売の提案をされていたこともあり、インターネット販売に乗り出した。また、商標登録も実施した。
ポテトチップのできたての美味しさが評判を呼び、人気テレビ番組でも紹介され、更に「できたてポテトチップ」ファンが日本全国に増え続けている。
ポテトチップのホワイトデーパッケージ