始まりは大阪万博だった

「外食産業元年」に歴史の1ページを刻んだ回転寿司【元禄産業株式会社(大阪府東大阪市)】

2023年 11月 13日

回転寿司を大阪万博に出店した元禄寿司創業者の白石義明氏
回転寿司を大阪万博に出店した元禄寿司創業者の白石義明氏

日本の代表的な食文化ともいえる回転寿司。その1号店である「廻る元禄寿司」が現在の大阪府東大阪市に誕生したのは今から65年前のことだった。そして1970年の大阪万博に元禄寿司が出店すると連日の大盛況となり、一躍注目を浴びた。同じく万博でお目見えしたファーストフードやファミリーレストランといった新しいスタイルの外食産業とともに、回転寿司は日本の「外食産業元年」という歴史の1ページを刻むこととなった。

ビール工場のベルトコンベアでアイデアひらめく

試行錯誤の末に開発したコンベア板「ウロコ」(写真は昭和の頃のコンベア板)
試行錯誤の末に開発したコンベア板「ウロコ」(写真は昭和の頃のコンベア板)

「廻る元禄寿司」創業者の白石義明氏(故人)は戦後の1947年(昭和22年)、出身地の愛媛県から大阪に移り、布施市(現在の東大阪市)で料理店を開店。その後、寿司も提供するようになった。寿司は当時、お祝い事など特別な日に食べるハレの料理だったが、周辺の工場で働く若い労働者や学生たちにも気軽に食べてもらおうと、立ち食いのスタイルとし、1皿(4貫)20円で提供。他店よりも3割ほど安いうえ、寿司店では珍しく価格を明示するというわかりやすさで店は大繁盛した。

しかし、店が多忙を極めると客をさばききれなくなった。さらに、中学を卒業したばかりの若い職人があまりの忙しさからすぐに辞めてしまい、人手不足にも悩まされた。「なんとかもっと効率よくできないか」と白石氏は考えあぐねた。とくに、握った寿司を職人が客に手渡しする際の時間のロスが意外と大きかったという。そんな折、白石氏は地元の経営者らとともに大阪府吹田市内のビール工場を見学し、そこで稼働しているベルトコンベアを目にして「これだ」とひらめいた。店内のカウンターをグルっと回るコンベアを設置し、その上に寿司の皿を載せて客に取ってもらえば効率よく提供できる。そんなアイデアを思いついたのだ。1948年のことだった。

町工場の経営者が協力 1958年に1号店オープン

1958年にオープンした1号店
1958年にオープンした1号店

ところが開発は難航し、それから約10年もの歳月を要した。ネックはコーナーだった。直線のレーン上に皿を流すのは簡単だが、コーナーではコンベアが詰まって載せた皿が落ちてしまった。どうしたらよいか思い悩んでいたとき、トランプで遊んでいる子どもたちが手持ちの札を扇のように開く様子を見て、またひらめいた。「扇形の部材を組み合わせればコーナーもスムーズに曲がれるのではないか」。そう考えた白石氏は近くの町工場の経営者らに酒をふるまいながら一緒に知恵を絞り、ついに「ウロコ」と呼んでいた独特の形状のコンベア板を開発した。

そのほか錆びない素材選びなどを進め、1957年に「コンベア旋回式食事台」と名付けられた試作機が完成した。白石氏の長男で「廻る元禄寿司」を運営する元禄産業(東大阪市)の代表取締役である白石博志氏は「父は材料費を前金で渡すという気前の良さで、面倒見もよかった。そんな父の人柄にほだされて、町工場の経営者らが力を貸してくれたのだろう」と話す。白石氏のアイデアは、ものづくりのまち・東大阪の技術に支えられて形となったのだ。

翌年4月に「廻る元禄寿司」1号店が近鉄布施駅近くに開業した。目の前に流れてきた寿司をサッと取ってパッと食べるというスピード感が「いらち(せっかち)」な大阪人には合っていた。また、レーンが回る様子が店の外から見え、物珍しさもあって店は連日の大盛況だった。1960年には、食い倒れのまちとして知られる大阪の繁華街・ミナミに2号店として道頓堀店がオープンした。

モノレール駅前に出店、国内外で認知度高める

万博に出店した元禄寿司は連日の大盛況
万博に出店した元禄寿司は連日の大盛況

ものづくりのまちで生まれ、食い倒れのまちにもお目見えした回転寿司は、その大阪で開催された万博で大きく成長する。「東大阪からだれか万博に出てくれないか」という地元の商工会議所からの打診を白石氏は引き受けた。そして元禄寿司は、広大な会場内を周回するモノレールの西口駅前という好立地に出店した。万博が開幕すると徐々に客足が伸び、やがて大行列に。ネタごとに提供する余裕がなく、握りのセット(300円)を寿司桶に入れてレーンに流したという。白石氏や従業員は早朝に出かけ、午前0時を回って帰宅という毎日だった。当時は大学生だった博志氏も夏休みには手伝いに出かけた。「今と違って当時はエビの皮をむいたりノリを切ったりするところから寿司作りを行っていた。とにかく忙しかったことしか記憶にない」という。

大阪万博には、元禄寿司のほかにも、国内企業のロイヤル(当時)が運営したアメリカ式のファミレスやアメリカのファーストフード店、ケンタッキーフライドチキンなどが登場し、多くの日本人が新しい食文化に触れた。万博後の1970年11月にはケンタッキーフライドチキンの国内1号店が愛知県名古屋市にオープンし、翌年12月にはロイヤルが運営するロイヤルホストの1号店が福岡県北九州市に開店。1970年は「外食産業元年」と位置付けられることとなり、元禄寿司はファーストフードやファミレスとともに記念すべき年の歴史の1ページを刻んだのである。

万博の出店で回転寿司の認知度は海外でも高まった。元禄寿司の店舗は、とくに人気が高かったアメリカ館やソ連館に比較的近かったこともあり、日本人だけでなく外国人客も数多く訪れた。回転寿司は海外でも知られるようになり、その後の海外展開へとつながっていった。「大阪万博は日本の外食産業の夜明けだった。もし(元禄寿司が)出店していなかったら、その後の回転寿司の発展は遅れていたことだろう」と博志氏は話す。

市場規模は7500億円に 広辞苑にも登場

現在の元禄寿司本店
現在の元禄寿司本店

大阪万博で大ブレークした元禄寿司はその後、フランチャイズを中心に店舗を全国展開していき、ピーク時には直営店と合わせて約250店舗にのぼった。「元禄寿司ができたら周りの寿司店はつぶれる、と言われた時期もあった」(博志氏)という。無断で模倣する店も多かった。元禄寿司は1962年に「コンベア旋回式食事台」の特許を取得しており、東京と大阪で弁護士や弁理士を雇い入れ、類似店を見つけては警告などを行ったという。

その特許は1978年に失効。すると、フランチャイズからの独立もあって、新たな看板を掲げる回転寿司店が全国各地に登場した。回転寿司ブームはさらに続き、今や日本人に欠かせない外食産業となっている。富士経済(東京都中央区)の調査によると、回転寿司の市場規模は、2022年の売上高が前年比7.6%増の7252億円、2023年には7500億円を超すと見込まれている。

また1991年には広辞苑(第4版)に「回転寿司」の項目が初めて登場。日本人の生活に定着したことを裏付ける格好となった。その「回転」という名称は、登録商標として現在に至るまで元禄寿司が持ち続けている。ただ、回転寿司業界のさらなる発展のためとして、博志氏が代表取締役に就任した1997年に使用を開放した。

今も変わらぬコンベア機、「機械遺産」に認定

元禄産業代表取締役の白石博志氏
元禄産業代表取締役の白石博志氏

回転寿司の国内店舗数が4000店を超えた現在でも、創業者の白石氏が東大阪の町工場の経営者らと開発した「コンベア旋回式食事台」が基礎となっている。「開発から60年以上経った今も形状はほとんど変わっていない。当時完成させた形が最善、最良のものだったからだ」と博志氏は力強く語る。2021年には、日本機械学会が歴史的意義のある機械技術として「機械遺産」に認定した。対象となったのは、元禄寿司の堺東店(大阪府堺市)の寿司コンベア機(1985年製造)と、試行錯誤の末にたどりついたコンベア板「ウロコ」である。また、回転寿司にはなくてはならない自動給茶装置(湯呑みをレバーに押し当ててお茶を淹れる装置)も元禄寿司が最初に導入したものだ。

回転寿司の生みの親である「廻る元禄寿司」。「これからも元禄寿司らしい回転寿司のスタイルをお客様に届けたい。なにより美味しい、そして安心・安全なお寿司を提供し続けていきたい」と博志氏は話している。

企業データ

企業名
元禄産業株式会社
Webサイト
設立
1962年4月(創業1947年9月)
資本金
1000万円
従業員数
約250人(アルバイト・パート含む)
代表者
白石博志 氏
所在地
大阪府東大阪市足代1丁目12番1号
Tel
06-6727-8209
事業内容
寿司飲食業、旋回食事台による廻る寿司のフランチャイズ業

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