始まりは大阪万博だった
太陽の塔の「顔」を制作 FRP製造技術は宇宙に羽ばたく【スーパーレジン工業株式会社(東京都稲城市)】
2023年 12月 25日
1970年の大阪万博を象徴するモニュメントといえば、「太陽の塔」だ。日本を代表する芸術家の岡本太郎氏がデザインし、今も会場跡地である大阪府吹田市の万博記念公園にそびえ立っている。高さは約70メートル。緑に囲まれた公園の中でひときわ存在感を際立たせている。
太陽の塔には3つの顔がある。塔のてっぺんにある「黄金の顔」、塔の正面の中心部にある「太陽の顔」、背面にある「黒い太陽」は過去を象徴している。塔の内部に「地底の太陽」という第4の顔があり、2018年に復元されたが、それはさておき、3つの顔のうち、「太陽の顔」を製作したのが、東京都稲城市でFRP(Fiber Reinforced Plastics=繊維強化プラスチック)の製造を手掛けるスーパーレジン工業株式会社だ。
商談のつかみに活用
「太陽の塔の『顔』を製作した会社であることは、商談のつかみに活用させてもらっている」と、代表取締役社長の朝倉明夫氏は笑顔をみせた。すべてコンクリートでつくられているようにみえる太陽の塔だが、「太陽の顔」はGFRP(ガラス繊維強化プラスチック)でできている。「あの顔がGFRPであることを話すと、お客様は一様に驚かれる。『コンクリートではなかったのか』と」。
GFRPは、ガラス繊維(グラスファイバー)をプラスチックで固めた素材だ。軽量で強度が高いという特徴を持っている。しかも金属のように錆びることがないため耐久性もある。身近なところでは、風呂の浴槽やバスユニットや浄化水槽などに利用されている。それ以外にも小型船舶や自動車、鉄道車両などあらゆる産業分野に広がっている。
「どこもやりたがらない仕事」2つ返事で了解
スーパーレジン工業が創業したのは、1957年(昭和32年)のとこだ。朝倉氏によると、創業者の渡辺源雄氏(故人)が戦時中に陸軍造兵廠の少年工として従軍し、墜落した米軍機に使われていた素材に関心を持ったことがきっかけで、戦後、製造を手がけるようになった。日本のFRP製造の草分け的な存在だ。
産業用の部品から民生品、船舶など幅広い製品を製造していたが、創業から10年が過ぎたころ、「太陽の顔」製作のオファーが来た。当時、太陽の塔の建造には日本を代表する大手ゼネコンが参画。「太陽の顔」はコンクリートではなく、FRPで製作することになった。
ところが、引き受け手がなかなかみつからない。回り回って渡辺氏に話が持ち込まれた。
「あれは、いわゆる“際物”で、下手をすると赤字を出すのが相場とみられ、どこもやりたがらなかった」。創業50周年の節目に編纂された社史の中で、渡辺氏は当時のことをこう述懐している。だが、頭を抱える発注元の姿を見て「一肌脱ぎましょう」と、二つ返事で引き受けたそうだ。「困っているお客様を助けようというマインドが強い人だった」と朝倉氏と語る。
全体を10分割し、巨大な「顔」を作り上げる
万博開催の1年前ほどに岡本氏がスーパーレジン工業を訪問。原型となる60センチほどのサンプルを5個持ってきて、直径12メートルの大きさに引き伸ばしてほしいと依頼した。工場の中だけでは収まり切れない大きさで、全体を10個に分割して製作し、会場に持ち込んで組み立てることにした。作業にとりかかったのは1969年夏。今のようにCAD(コンピューター支援設計)システムや非接触レーダー計測器もない時代。実際のモデルを図って縮尺を変えて型をつくり、ガラス繊維や樹脂を積層して本体を作り上げた。
ところが、完成に近づいた段階で岡本氏から思わぬ注文が飛び出した。「表面のテカテカ光ったのが嫌だ。コンクリートのようなザラっとした感じにしてくれ」。岡本氏の注文に応えようと、いろいろな対策が検討された。その中で硬質ウレタンに着目した。均一に砕いて表面に張り付けてザラザラ感を表現し、岡本氏のOKを取り付けた。
塔への取り付けでは大きなハプニングに見舞われた。突貫工事でさまざまな作業が同時進行する中だった。現場では溶接の火花があちこちで飛んでいた。設置から数日後、顔の半分が燃えて黒焦げになってしまった。渡辺氏の陣頭指揮のもと燃えた部分をすべて張り直し、事なきを得た。社史にはそんなエピソードも残されていた。
万博でスーパーレジン工業が手掛けたのは「太陽の顔」にとどまらない。太陽の塔に隣接して設置された「青春の塔」、「みどり館」や「三菱未来館」などのパピリオンの製作にも携わった。万博全体で550トンのGFRPが用いられたといわれるが、そのうち、スーパーレジン工業は420トン分を製造したと社史に残されている。
万博の閉幕後、取り壊される運命だった太陽の塔は撤去反対の声が強まり、永久保存されることになった。しばらく放置されていた塔内部も2018年に修復され、2020年には、国の重要有形文化財に指定されている。
「太陽の顔」製作技術はその後の発展の礎に
「太陽の塔」で培った技術は、スーパーレジン工業の発展の礎となった。その一つが「レーダードーム(レドーム)」だ。マッシュルームのような球形の構造物で、大型のパラボラアンテナやレーダーなどを雨や風、雪などの自然環境から保護する。電波をよく透過するGFRPが材料に使われていた。1970年代から80年代にかけて、スーパーレジン工業は数多くの受注を獲得していた。
「当時で直径20メートルクラスの大型のレドームを製造していたが、大型の『太陽の顔』を製作したノウハウが生きている」と朝倉氏。電波の透過性を高める設計などの技術に強みを持っており、現状では、大型レドームはスーパーレジン工業が大きなシェアを持つそうだ。
一方、炭素繊維を素材にしたFRPも急速に進化している。炭素繊維(カーボンファイバー)を素材にした炭素繊維強化プラスチック(CFRP)が登場し、スーパーレジン工業も積極的に技術導入した。一般的だったガラス繊維よりも軽量で強度が高い素材で、ビジネスの幅が広がった。航空・宇宙分野への事業展開だ。
2003年には神奈川県津久井町(現・相模原市)にCFRP製造工場を建設。日本の航空・宇宙産業を担う大手各社に積極的にアプローチをかけた。小惑星探査衛星「はやぶさ」の部品もスーパーレジン工業が手掛けた。
2003年に打ち上げられた「はやぶさ」は地球から約3億キロ離れた小惑星イトカワに到達。帰路の途中で通信が途絶え、行方不明になるなどさまざまなトラブルを抱えながら2010年に地球に帰還し、大きな話題を呼んだ。「実は、部品を製造していたとき、『はやぶさ』に使うものだとは知らされていなかった。のちのち地球に帰ってくるころになって、発注先が教えてくれた」と朝倉氏は話す。その後、2014年に打ち上げられた「はやぶさ2」の部品製造では信頼を得て当初から用途が開示され製造に携わった。
衛星の部品は非常に高い品質が求められる。研究開発部門を強化し、発注元の要望に応える部品を製造し、信頼を勝ち取ってきた。「初代」のときには部品がどこに使われるものかもわからなかったが、部品点数は大きく増え、部品の組み立ても任されるようになった。「今年打ち上げたX線天文衛星『XRISM(クリズム)』には、当社の部品がかなり載っている」と朝倉氏は胸を張った。
曲折を経て、新たな成長を目指す
高い技術を誇るスーパーレジン工業だが、一時は大きな経営体制の変化を経験している。
創業者である渡辺氏が創業から50年を過ぎたのを機に2008年、スーパーレジン工業を同業企業に事業譲渡した。「50年続けてやりきったという思いと、後継ぎがいなかったことが背景にあるのでは」と朝倉氏は推測する。その後、2015年に別の会社が親会社となったが、さらにその数年後、優良中堅企業の恒久的な存続・成長を促す恒久的スポンサー株主としてJPH株式会社がスーパーレジン工業の株式を引き受け、新たな経営体制で再出発した。
朝倉氏はJPHから指名され2021年に社長に就任した。取締役になって半年たってのことだった。1991年に入社して以降、長年、製造現場一筋。その後、営業部長も経験した。創業者である渡辺氏からは直に薫陶を受けた。「厳しい人だった。技術面よりも経営に関することで厳しい指導を受けてきた」と振り返る。会社の実務に最も精通した人物が抜擢された。
これまでFRPの成型を事業の主力として展開してきたが、新たな資本のもと、樹脂の自主開発へのチャレンジも始めた。杉由来の素材を含んだ生分解性樹脂の開発に成功。「社名にある『レジン』は樹脂のことを指す。創業者がかなり先を見通して名付けたのではないかと思う。やっと社名に追いついてきた」と朝倉氏は感慨深そうに語った。
2025年の大阪・関西万博について、朝倉氏は「次の万博には何かしら携わりたい。営業には『必ず取ってこい』と発破をかけている」と意気込みをみせる。およそ50年前、「太陽の塔」から宇宙へと羽ばたいたFRPの技術が大阪・関西万博でどんな活躍をみせるのか楽しみだ。
企業データ
- 企業名
- スーパーレジン工業株式会社
- Webサイト
- 設立
- 1957年11月
- 資本金
- 1億円
- 従業員数
- 140人
- 代表者
- 朝倉明夫 氏
- 所在地
- 東京都稲城市坂浜2283
- Tel
- 042-331-3611
- 事業内容
- 炭素繊維・ガラス繊維を中心とした先進複合材料を用いた成形加工メーカー。航空・宇宙機器や液晶・半導体製造装置の部品および産業機械部品などの研究・製造・販売