人手不足を乗り越える
外国人材活かし海外展開 地元の雇用改善にも貢献【株式会社菅原工業(宮城県気仙沼市)】
2025年 2月 10日

東日本大震災で本社を失うなど、大きな被害にあった株式会社菅原工業は、本業の道路の舗装事業や水道施設工事を行う中で、人手不足に直面した。対策として取り組んだのが、インドネシア人技能実習生の活用だった。ただ、技能実習生はせっかく技術を習得してもいずれは帰国しなければならない。そこで、菅原渉社長はインドネシアでの事業化を決断、帰国後も安心して働ける環境づくりに取り組んだ。働く人を大切にして寄り添う姿勢は、地域でも共感を呼んだ。気仙沼に人を呼び込むことが地域の復興に欠かせないと考え、官民を巻き込んだ地元企業の採用や人材育成にも一役買う活動を行っている。
東日本大震災で本社が倒壊

2011年3月11日は同社にとっても忘れられない日だった。宮城県気仙沼市の海に近い川沿いにあった本社は、激しい揺れの後に津波に襲われた。菅原常務(当時、2020年から社長)は社員とともに近隣の会社の倉庫の上に逃げ、一晩をそこで過ごすという壮絶な経験をした。本社はがれきの下敷きとなり、その後の火事で焼失した。唯一残ったのはダンプ1台。周囲はがれきの山で道路は大渋滞。「どうすればいいのかと途方に暮れながらも、今自分ができることをやろう」と、災害本部に出向き「何かやれることはありますか」と尋ねた。最初に言われたのは「ご遺体を運んでくれないか」だったという。結局担当したのは、がれきを撤去して道路を作っていく仕事だった。津波で一変した町を復旧させたいという一念が過酷な作業を支えていた。その後も2年間にわたってがれき処理に従事した。復旧作業に携わりながらも、本業である道路の舗装事業をどうやって立て直すかについて思いを巡らせるようになっていった。気仙沼市や商工会議所が経営人材育成を目的に立ち上げた「人材育成道場 経営未来塾」に参加し、大企業の経営者や経営コンサルタントなど、普段学ぶことのできない人たちから直接、経営者のあるべき姿を学ぶ機会を得られたことも、その後の事業を行ううえで大きな転機となった。
インドネシアから技能実習生を招く

本社を気仙沼の内陸部に移して新体制での事業が始まった。事業を再開するうえで最も困ったのは、人手がいないことだった。がれき作業は特別な技能はいらないが、道路舗装のような公共事業を受託するには一級土木施工管理技士などの資格を持つ技術者や専門の技能を持つ作業員が必要だった。無資格だった社員を育成してなんとか資格をとってもらったが、作業員の確保には最後まで難渋した。「このままでは事業を縮小せざるを得ない」と危機感をいだいた。そこで取り組んだのが、インドネシアからの技能実習生の受け入れだった。2014年に最初の技能実習生3人を招いた。菅原社長は当初から、「単なる人手不足対策ではなく、来てくれる実習生の将来や当社の企業としての成長に資するものにしたい」という思いがあった。

まず、3人の実習生が仕事だけでなく、地域に溶け込むことに心をくだいた。事前に実習生の宿舎の近隣住民に説明をして理解をしてもらったり、実習生がゴミ出しルールについて指摘された時には、社員が一緒にゴミの分別をしてルールを実習生に教えたりといったきめ細かい対応をして、実習生が地域に受け入れられるように配慮した。また、実習生はイスラム教徒であるため、礼拝堂(ムショラ)やムスリム食を提供するレストランを自社で作ることにした。休日も外出せずにひきこもることが多かった実習生は、こうした施設に出かけて、同じ地域にいるインドネシア人や日本人と交流することで、地域の人がインドネシアの文化を知る機会ともなり、自然に地域になじむことができるようになっていった。交流の輪は毎年広がり、気仙沼でインドネシアフェスティバルを開催し、インドネシア大使も訪れるなど、インドネシアと日本の一大交流イベントも行われるようになっている。
技能の習得も、同社の若手社員が設備や道具の扱い方などを丁寧に教えていった。「現場の社員は最初のうちは言葉も通じず苦労したと思うが、一生懸命に対応してくれた。おかげでそのあとに日本人の新人が入ってきても丁寧に教えることができている」と、社内の人材育成のスキルアップにつながる効果があったことを実感している。
インドネシアでビジネスを立ち上げ

インドネシアからの技能実習生は毎年3人ずつが来るようになり、先輩の実習生が後輩を指導するという体制も整った。しかし、せっかく技能を獲得してもいずれはインドネシアに戻らなければならない。菅原社長は「せっかく育てて、当社と縁のできた彼らの将来にもできることはないのか」と考え、インドネシアでの事業化を決意した。経営未来塾(2017年から「気仙沼経営人材育成塾」)で懇意になった経営コンサルタントやJETRO(日本貿易振興機構)、JICA(国際協力機構)などの協力を得て、2017年にインドネシアで再生アスファルトの製造と道路舗装事業のための現地法人PT.SUGAWARA KOGYO INDONESIAを現地企業との合弁で設立した。
日本では道路の舗装作業を行う時に、古いアスファルトをはがして、新しいアスファルトを敷く作業を行う。古いアスファルトはリサイクルされる。しかし、インドネシアは道路のアスファルトが劣化すると、古いアスファルトの上に新しいアスファルトを敷くため、道路がどんどんかさ高になり、段差ができてしまうという問題があった。そこで、現地でアスファルトの再生ができる工場を建設し、古いアスファルトが再利用できる仕組みを導入した。建設資金の一部は環境省の実証事業に採択された資金と銀行融資で賄った。工場では日本から現地に戻った実習生だけでなく、現地で雇用も行い事業を行っている。菅原社長は「当初はアスファルトをリサイクルするという考えがなかなか理解されなかった。コストもどうしても割高になる。しかし、現地でも資源循環への関心は高まっている。当面は日系企業からの発注などで実績を作り、現地の公共事業を受託できるように進めていく」と言い、毎月のように現地に行き直接指導をしているという。
「合同会社気仙沼の人事部」を立ち上げ
菅原社長は、気仙沼とインドネシアを行き来する多忙な中でも、気仙沼の復興を一番の課題ととらえていた。しかし、周囲を見回せば、人口は減少し、地元企業は採用の難しさに苦しんでいた。「海外から働き手に来てもらうだけでなく、地元の若者、さらには日本中から人を集めることはできないか」という思いで2023年に同社と地元企業が出資して立ち上げたのが「合同会社気仙沼の人事部」。気仙沼市の高校生は大半が市外、県外の大学に進学し、地元に戻ってくる人は少数にとどまる。気仙沼の人事部は、こうした若者と地元企業がさまざまなイベントで交流することで、地元企業に就職するきっかけづくりをしている。気仙沼の人事部が窓口となり、地元企業で就業体験を行う実践型インターンシップにも取り組んでいる。気仙沼の人事部は、現在は東京から気仙沼に移住した小林峻さんが中心になって運営をしている。
菅原社長は「採用問題に取り組む中で、地元企業の中でも新卒採用ができる仕組みがある企業とそうでない企業がいることが分かってきた。だから、採用を支援する前に、会社の将来展望を見出すことや、人材を育成する社内の仕組みづくりからやる必要があることに気づいた」と言い、気仙沼商工会議所とともに、地元企業の社長の意識改革を進める取り組みにも着手したという。「地元の企業が力をつけていかないと、地域の継続的な発展は望めない」という菅原社長の思いに共感して手を挙げた社長たちとともに、地域の課題と企業の課題を掛け合わせて解決する策を見出そうとしている。
社員のウエルビーイングプランを策定

同社の従業員は国内48人、インドネシアに約25人。「中期経営計画を策定し、受注も3年先まで予測している」という。今後は、利益は社員に賃上げで還元し、また雨で工事が休みの時には勉強会を開催し、積み立てNISAなどの金融知識について学ぶ機会を提供する予定。最近は大卒で同社に入社を希望する人も増えてきた。菅原社長は一人ひとりと面接をして「あなたは何のために当社で働きたいのですか」と問い、答えをじっくり聞くことにしている。「3度問い続けて答えられる人なら大丈夫。多少のことがあっても辞めない」と言い、実際同社の離職率は年々減少しているそうだ。来年採用する社員も一人は気仙沼出身で、もう一人は山形出身。女性が働きやすい環境づくりにも取り組んでいる。同社のコーポレートスローガンは『このまちをつくる』。気仙沼の復興と再生を自社の最大の課題と考え、着実に歩みを進めていく。
企業データ
- 企業名
- 株式会社菅原工業
- Webサイト
- 設立
- 1980年7月(創業は1965年10月)
- 資本金
- 2000万円
- 従業員数
- 48名(国内のみ)
- 代表者
- 菅原渉 氏
- 所在地
- 宮城県気仙沼市赤岩迎前田132
- 事業内容
- 土木工事一式・舗装・管・水道施設