中小企業のイノベーション
次世代に貢献する「理系の家」で軽井沢を“避寒地”に!【株式会社参創ハウテック 軽井沢建築社(東京都文京区)】
2024年 12月 13日
別荘の建築バブルに沸く軽井沢に、都会から乗り込んできた『軽井沢建築社』。作っているのは「理系の家」で、そこでは極寒の軽井沢の冬を快適に過ごすことができるという。これまでなかった「暖かい木造建築」を可能にした『パッシブ冷暖®』という技術改革は、軽井沢のイメージとライフスタイルを一新する。
別荘バブルの地・軽井沢
東京から新幹線で1時間ちょっと。軽井沢駅に降り立つと、駅前にずらりと並ぶ不動産会社の光景に驚かされる。人口2万人弱のこの町に、こんなにもたくさんの不動産会社があるとは。
軽井沢といえば別荘地としてブランド化されて長く、その発端は19世紀終わりごろにさかのぼる。欧米の外交官や宣教師が東京の暑さを逃れ避暑に訪れたことで一躍有名になったのだ。そのためか、洋風のイメージがつき、洋館風の建物がいくつも建設され独特な雰囲気をもつ町へと変貌を遂げていく。東京からのアクセスがよかったことも大いに関連しているのだろう。大手デベロッパーによる開発も著しく、90年代にはリゾートマンションや広大なショッピングセンターなども建設された。ブームの移り変わりはあるものの、日本で指折りの避暑地として今もその名をはせている。駅前の不動産会社のほとんどは別荘の賃貸や売買専門である。
そんな軽井沢に突然赴任することになったのは、『軽井沢建築社』所長を務める関 泰良氏。同社は東京・文京区にある『株式会社参創ハウテック』の代表取締役清水康弘氏の肝いりで設立された社内ブランドで、社命を受けて右も左もわからない軽井沢へ送り込まれたという。その社命とは、参創ハウテックの商標登録技術『パッシブ冷暖®』の実力を試すこと。環境問題に配慮し、省エネルギーでも快適に過ごせる高性能の家を目指して開発された、独自技術である。
寒さの本場で勝負をかける
参創ハウテックではもともと、地球温暖化を危惧し次世代に貢献できる“省エネの家”をつくることにこだわってきた。日本の家屋建築は木造で寒い。冬場はどうしても各部屋に設置した暖房機器で居室を温めて過ごすことになり、ひとたび部屋から足を踏み出せばそこは極寒。トイレやふろ場で温度差によるヒートショックを受けて倒れる人すらいるというのが日本家屋で過ごす冬なのだ。
そこを改善しようと開発されたのが、『パッシブ冷暖®』。家自体に冷暖房機能を持たせるという画期的なアイデアで、建材の材質や庇の角度を調節して断熱・蓄熱する「パッシブデザイン」と、長さや太さの違うパイプを家全体にめぐらせ効率よくエアコンの冷気や暖気を家全体に送り込む技術をかけあわせている。使用するエアコンは1フロアに1台だけといい、省エネはもちろんのこと、家全体の温度が一定になり、居室と廊下やトイレなどとの温度がかけ離れることがないためヒートショックなども防ぐことが可能だ。
だが、いくら都内でこんな高性能な家を建てても、その真価がわかりにくいため、東京からも行きやすく、かつ冬場は北海道にも劣らぬ寒さで知られる軽井沢をその“勝負の場”とした。知り合いもコネもない、そんな土地に2016年、カンパニーブランドとして『軽井沢建築社』を立ち上げたのだった。
“夏の町”の洗礼を受ける
社内で『軽井沢建築社』が設立されたとき、一番目を輝かせたのが関氏だった。武蔵野美術大学で空間デザインを学び、潜在的な高い機能や意味のあるデザインに強いあこがれをもつ関氏にとって、このパッシブ冷暖®は理想そのもの。過酷な地でその真価を証明することに心躍らせ、清水社長から任務を命じられると二つ返事で引き受けたという。
そうして現場監督とふたり、軽井沢にやってきた関氏。東京都出身で田舎暮らしも初めて。右も左もわからなかったが、「競合がいるとは思いもしなかった」ため、それほど気構えてはいなかったという。ただ、事務所を構える場所には気を遣った。ただの家ではない。それを印象づけることができるよう、不動産会社が立ち並ぶ駅前は避けようと思った。
はじめのうち、参創ハウテックの顧客がかねてより所有する別荘の建て替えを行うことになった。気候が違うため技術も異なるにちがいないと、なじみの職人ではなく地元軽井沢の職人に施工をオーダーしたところ、実は彼らには断熱の知識がないことがわかった。軽井沢の別荘は避暑地とすることが多いため、寒い冬を乗り越える住環境にする必要がないのだ。しかし、軽井沢でやっていく以上、東京から職人を呼んで建設するのは現実的ではなく、地元の職人の協力が必須と考えていた。幸い、地元の職人には若い人が多く、パッシブ冷暖®の仕組みなどを話すとかえって興味をもって引き受けてくれた。現場監督も付きっきりとなって無事に家を完成させた。胸をなでおろしたが、軽井沢が“夏の町”であることを痛感した瞬間だった。
このときの施主夫妻は清水社長と懇意にしている人で、半信半疑で『パッシブ冷暖®』を取り入れてくれたのだという。完成した家で「初めて軽井沢の紅葉を見たよ!」とうれしそうに報告してくれ、「来年は軽井沢滞在をもっと延ばそうと思う」と冬を楽しみにしていると話してくれた。夏しか滞在したことがなかった夫妻のその言葉は、寒い軽井沢でも快適な冬が過ごせるという証明だ。このことは非常に大きな励みになった。
譲れない“理系の家”への理解
完成後の家に何度もキツツキに穴をあけられては修繕するなど「軽井沢ならでは」の困難を経験しつつも、口コミや紹介で顧客は増えていき、いまでは施工の順番待ちの状態だ。現場監督が複数の建設現場を兼任するにも限度があるため、パッシブ冷暖®の家は年に7~10軒しか建てることができない。それでもいいから、と待ってくれる施主も少なくないが、「軽井沢ならでは」の問題が起こることがあるという。
関氏は、「当社が作る家はシミュレーションに基づいて設計されている、いわば“理系の家”なんです」と強調する。前述のとおり、軽井沢には洋館のような別荘が立ち並び、そこが軽井沢の魅力でもある。それゆえ、軽井沢に家を、と望む人にはそうしたおしゃれで見た目重視の家を希望するケースも多い。その場合、「打ち合わせ時に小難しいパッシブデザインなどの話をすると、まったく話がかみ合わなくなる」という。ただ、パッシブ冷暖®に関わるデザインや技術は他よりも工程がかかり、費用が高くなるため、十分に理解をしてもらう必要がある。関氏は無理に話を続けず、「当社よりもお客様に合う会社がありそうです」と駅前の不動産会社を紹介するのだという。怒って帰ってしまった人もいるというが、軽井沢建築社はあくまでも“暖かい木造建築”の会社。ただ顧客が増えればいいというわけではない。できないことには「できない」ときちんと伝えることが、信頼の礎を築くと信じている。
軽井沢を“省エネの町”発信地に
関氏がそこまで確固とした態度で臨むのも、ひとえに強い思いがあるからだ。
古くは川端康成や田中角栄、新しきはビル・ゲイツなど著名人や政治家がこぞって別荘を建てる軽井沢。パンデミック中はリモートワークの拠点とする人が増え、「軽井沢に別荘を」という向きはさらに加速している。「日本のトップが集まるこの町で、冬場エネルギーをまき散らすだけだなんて、無駄だと思う」と、軽井沢だからこそパッシブ冷暖®を普及させたいという想いが関氏にはある。冬になったから、軽井沢へ。それが省エネルギー活動になるということを、広めていきたいと考えている。
「次世代のために、町の工務店にだってできることはある」と参創ハウテックの清水社長はパッシブ冷暖®の家を開発した。その想いを引き継ぐ者として、関氏にできることは「家守(いえまもり)になること」だという。2016年から数えて40軒ほどのパッシブ冷暖®の家が軽井沢に誕生したが、それぞれの家が竣工してからも家との付き合いは続く。定期的なメンテナンスを行い、現場で気づいた問題点をその都度、解消していくからだ。施工中の家の様子を現場ライブで施主に伝えるユニークなサービスもあり、家々をめぐって軽井沢を走り回る。「めんどくさい家づくり」だが、完成後のクレームが一切ないのは、こうした細やかなケアのたまものだ。社員の数も増え、ますますやりがいを感じている。
企業データ
- 企業名
- 株式会社参創ハウテック 軽井沢建築社
- Webサイト
- 設立
- 1998年 2016年軽井沢建築社OPEN
- 資本金
- 3,000万円
- 従業員数
- 8名(会社全体:40名)
- 代表者
- 常務取締役所長 関 泰良 氏
- 所在地
- 長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2064-1
- 事業内容
- 高断熱住宅及び別荘の設計施工