甲子化学工業は、南原在夏社長の父が1969年に創業した。プラスチックが世の中で急速に使われ出した時代で、需要も順調に伸びた。在夏氏が社長を継ぎ、工業用プラスチックの受託加工業としてさまざまな部品を生産するようになっていった。一方、徹也氏は大学を卒業して、大手ゼネコンに就職した。会社で施工管理から現場の工事担当、設計や強度計算、入札業務など、さまざまな業務を任され、やりがいを感じていた。それだけに「当時は家業を継ぐことは全く頭になかった」と言う。ただ、父親が苦労する姿は見ていた。当時の甲子化学工業は取引先から受託する仕事が100%。常に価格競争にさらされる厳しい世界に、将来を見出すことはできないと思っていた。しかし、30歳を目前にして、将来を考えたときに「家業を継ぐ」という思いが湧き上がってきた。祖父と父が精魂込めて取り組んできた事業を、このまま終わらせたくないという思いだった。「アイリスオーヤマも、もともとはプラスチック加工の町工場から始まった。自分がやることで、この会社で新しいことがやれるかもしれない」と挑戦したい気持ちもあった。
入社して最初の1年間は、製造現場で働いた。射出成形機に金型を取り付けて、プラスチック材料を投入するという作業。慣れてくると課題も見えてきた。日々決まったルーティーンワークがあり、「人がやるより自動化した方が生産性は上がるのでは」と思った。また、倉庫も整理がされておらず、ベテランしか在庫のありかが分からない。結果として出荷が遅れ、発注元からクレームが付けられるということも起こっていた。毎日100種類以上の部品を出荷していたが、部品は地面から積み上げているだけで、在庫管理という概念もなかった。
「新しい事業を考えるより、現場のカイゼンが必要だ」。まず倉庫から始めた。棚を自分で組み立てて、そこに生産した部品を、定位置を決めて保管するようにした。部品管理にバーコードリーダーを導入しようと考えたが、既存のシステムでは対応できなかった。そこで、当時世の中に普及し始めたノーコードアプリを使って、自分で開発した。アプリの作成はYouTubeを見て学ぶという全くの初心者だったが、何度もやり直して作り上げた。それまでは遠巻きに見ていた社員たちも実際にシステムを使ってみると、その便利さを理解した。最初のころは、徹也氏が新しいことをやろうとすると、社員全員が反対した。「今のままでいいじゃないか」と変えることを抵抗された。それでも、「この先30年食べていける会社にしたい。そのためにみんなでカイゼンをしよう」と粘り強く訴えかけ、社員の意識も少しずつ変わっていった。