瀕死の危機にあった会社の救世主となったのは、リーマンショック翌年の2009年に取得した志布志工場(志布志市)だった。もともとは大阪府内に本社がある自動車部品のプレス金型の製造会社が鹿児島工場として所有していたが、リーマンショックで撤退を決定。工場閉鎖となっては雇用面など地元経済への打撃が大きいとして、工場を引き受ける企業を探していた鹿児島県が、南光に買い取りを持ち掛けたのだ。依頼を受けた同社は、工場が有する金型加工の技術の高さに注目。また、その時点ではアメリカの太陽光パネル生産ラインの案件は先延ばしとなっていただけで、いずれ動き出すとの見方があった。「この技術は太陽光パネルの件で必ず役立つ。なによりも『来る仕事は断らない』という理念から、県からの依頼も仕事として引き受けた」と上田平氏は振り返る。同社の経営状態も苦境にあったが、金融機関からの融資もあり、9000万円で取得した。
結局、アメリカ向けの話は消滅したが、かわって登場したのが同社近くに建設されることとなった鹿児島七ツ島メガソーラー発電所だった。2012年9月着工、翌年10月に竣工した太陽光発電所で、発電出力は70MW。運転開始時点では国内の太陽光発電所としては最大だった。7社によるジョイントベンチャー(JV)で、そのなかの京セラと竹中工務店とは以前から取引があったことから、上田平氏は自社製品の売り込みを開始。懸命な営業努力の結果、納入にこぎつけたのが太陽光パネルを設置する架台だった。その架台には、志布志工場で製造し、薄くても十分な強度を持つ留め具が使用されている。「架台を受注できたことで会社は息を吹き返した」と上田平氏。アメリカ向けの太陽光発電で苦境に陥った同社が皮肉にも国内の太陽光発電に助けられる格好となったが、とりわけ大きな役割を果たしたのは志布志工場だった。
「リーマンショックで仕事がだんだんと減っていくなか、志布志工場の取得に賛成したのは当時の会長だった父と私だけだった。その時の決断が結果的に会社を復活させることにつながった」と上田平氏は話す。