中小企業のイノベーション

「犯罪を未然に防ぐ」を日本のインフラに 元警察官の悲願が結実【株式会社ヴァンガードスミス(東京都港区)】

2024年 11月 15日

「困っている人を助けたい」という強い想いをビジネスに活かす。元警察官
「困っている人を助けたい」という強い想いをビジネスに活かす。元警察官

警察に寄せられる相談件数は年間30万件にのぼり、ともすれば凶悪犯罪に発展することもある近隣トラブル。当事者同士で対処することでよけいにこじれることも多く、第三者の介入が必要だ——。そんなときに頼りになる近隣トラブル解決支援サービス『Pサポ』を提供するのは、株式会社ヴァンガードスミス。創業者の田中慶太代表取締役は北海道警察出身で、警察官であるがゆえの制限にジレンマを感じての起業だった。創業から9年目の今、同社は累計契約数188万世帯に成長。「いつしか日本の防犯インフラに」と意気込む。

「早期対応」で事件化を防ぐ。その仕組みがあることで劇的にトラブルを減らすことができるはず
「早期対応」で事件化を防ぐ。その仕組みがあることで劇的にトラブルを減らすことができるはず

近隣トラブル解決の専門会社

近隣トラブルとは、「感情のトラブル」だと田中氏はいう。きっかけの7割は騒音が占め、そしてごみ捨てなどのマナー違反、ペット禁止物件でペットを飼うといったルール違反と続く。精神疾患が原因によるトラブルもあるが、多くの場合発端は些末なもので、張り紙などして注意を促したりすることで収まっていく。しかしそれでは収まらず、二度、三度と続くうちにだんだん怒りがエスカレートしていき、時には相手に対し処罰感情にまで発展してしまうこともある。ここまでくると当事者同士で収束させることはもはや不可能。なにか事件が起きる前に、誰かがなんとかしなくてはならない。

近隣トラブルやカスタマーハラスメントはもはや社会問題化しているといっていい。こうした問題に向き合うサービスは世界でも類を見ない
近隣トラブルやカスタマーハラスメントはもはや社会問題化しているといっていい。こうした問題に向き合うサービスは世界でも類を見ない

集合住宅なら管理会社に苦情を申し立てるところだが、実は管理会社では掲示板に張り紙をして注意喚起する程度しかできることがないというケースも多い。互いの言い分を聞いて、対処できるものならばその方法をアドバイスしたり、精神疾患が疑われる場合は医療など適切なサービスにつないだり、じっくりと腰を据えて対応するには人手が足りない。そもそも管理会社としては住民同士のいざこざを解決することは業務外である。

こうした一連の近隣トラブルを一手に引き受けるのが、株式会社ヴァンガードスミスの『Pサポ』だ。会員制で、電話にて近隣トラブルの相談を受ける。前述したような、近隣トラブルに対し、当事者の相互理解を促し収束に向けた専門サービスだ。特徴的なのは、相談員の全員が元警察官だということ。田中氏の人脈もあるが、それ以上に志を持ったメンバーが集まるという。

警察官だからこそのジレンマ

警察官時代の田中氏。青島巡査からキャリア・室井を目指して上京。社会人としての第二幕が始まる
警察官時代の田中氏。青島巡査からキャリア・室井を目指して上京。社会人としての第二幕が始まる

「事件は現場で起こっているんだ!」

田中氏の警察官人生は、少年時代にあこがれた刑事ドラマに始まる。被害者に寄り添い、体制に逆らいながらも信念を通して事件を解決していく主人公。田中少年の夢はついえることなく、大学を卒業すると警察学校を経てノンキャリアの警察官として北海道警察に入職した。だが、意気揚々と交番勤務に就くも、だんだんと違和感を覚えるようになってきた。警察官であるがゆえの“制限”に突き当たるようになったのだ。交番に多くの相談が寄せられても、パトロールを強化するなど見守ることしかできない。警察官とは“刑法の番人”であって、刑法違反を取り締まることが本分。「事件になるまで警察は動いてくれない」とよく言われるが、ケガをしている、モノを壊された、などの実害がないかぎり、事件として扱うことができず介入することができないのである。

「こういう体制を変えるには、ノンキャリアでいてはだめだ」。そう考えた田中氏は、当時の上司に「キャリアになります!」と宣言して北海道警察を辞して東京へ。国家公務員試験を受けるまでの間、生活の糧を得るためにベンチャー企業で働くことにした。

民間企業でコンサルティングやサービス設計などを任されるうち、これまでずっと抱いてきた理想をビジネスとしてカタチにするアイデアが浮かぶ。民間でもできることがある。官へのこだわりを捨て、「困っている人を助ける」をモットーに2015年、株式会社ヴァンガードスミスを起業した。

譲れない信念

ビジネスとはいえ、利益よりも利用に際しハードルの低さと継続のしやすさを重要視。なかなか軌道に乗らなかったが、そこは決してゆずらなかった
ビジネスとはいえ、利益よりも利用に際しハードルの低さと継続のしやすさを重要視。なかなか軌道に乗らなかったが、そこは決してゆずらなかった

北海道警察時代の上司に「ずっとあたためてきたことを実行に移します」と報告したところ、喜んで創業メンバーに加わってくれた。その他の賛同者と合わせて5人でのスタート。資本金一千万円は手持ち資金では足りず、限度額いっぱいをカードローンで借金した。出産を控えていた妻には言えず、「これはなんとしてでも成功させなければならない」と決意を固めた。

田中氏が考案し、実行したビジネスモデルとは、近隣トラブルの解決・支援のサブスクリプションによるサービスだ。毎月定額を支払うことで、いざというときはいつでも何度でも相談ができる仕組み。サービスは定額で、従量制にはしない。なぜなら、アクションごとにお金がかかると思うと利用者が相談を躊躇してしまうことがあるからだ。どんなに些末なことでも不安なことがあれば気軽に相談できることが重要。ある程度会員が集まらなければ利益はでないが、このサービスは交番のように身近な存在で、かつ気軽でなくてはならないと考えていた。

「はじめの4年間はまったく利益が出ませんでした」と田中氏。「元警察官って、いかにもあやしいじゃないですか」と笑うが、実際のところ、このようなサービスは世界にも例がないだけに営業にも苦労したという。

経営コンサルティングや貸別荘事業などでなんとかしのいできたところに、転機が訪れた。コロナ禍である。多くの業界が一様に業績を落とすなか、ヴァンガードスミスも厳しい局面を迎えたものの、休校する学校が増えリモートワークの導入が進むにつれ、近隣トラブルが激増。全国で事業展開する不動産会社が全国のプロパティに『Pサポ』を導入(※)したことから、業界で注目されるようになったのだ。

※『Pサポ』は個人向けサービスの名称で、法人(管理会社)向けのサービス名は『mamorocca(マモロッカ)』という。便宜上、記事内では近隣トラブル解決支援サービスを『Pサポ』の名称で統一

使命感と一体感

相談員は全員元警察官。「精神が原因のハードクレーマーには正面から対峙するのを避ける」など警察時代に培ったノウハウも役に立つ
相談員は全員元警察官。「精神が原因のハードクレーマーには正面から対峙するのを避ける」など警察時代に培ったノウハウも役に立つ

『Pサポ』を導入する企業が増え続け、軌道に乗り始めたヴァンガードスミス。ここで田中氏は、社員を守りたいという動機で『Pサポ』を利用する企業が多いことに気づいた。近隣トラブルの当事者たちは感情が高ぶっていて、その気持ちを管理会社の社員にぶつけてくる。ただでさえ業務外であるのに、延々と強い感情をぶつけられ、メンタルが疲弊してしまう社員は少なくないのだという。対応に当たった社員が休職や退職することが頻発し、管理会社にとって深刻な悩みとなっていた。

そこで新たに誕生したのが、『Pサポ+for Business』。近隣トラブルだけでなく、カスタマーハラスメントに特化した法人向けサービスだ。ここでも『Pサポ』で培ったノウハウ、すなわちエキサイトしている相手の感情を根気よくそぎ落としていく手法が有効。いわば苦情係のアウトソーシングで、対応する社員の時間やメンタルを守るのに大きな助けとなることは間違いないと考えた。

ただし、カスハラ対応の場合は近隣トラブルと違い、企業側の過失や説明不足が発端となって発展することが多く、一方通行で文句を言われ続けることになる。その場合、逆に相談員たちのメンタルがボロボロになってしまうが、これは警察官時代の対応にも似ているのだという。「警察官って、民間人に手を挙げることが許されないので」と、どんなに激高する相手に対しても強い対応をすることができない。ただ、警察官時代と違うのは、問題を解決するごとに感謝されることだった。これは相談員たちにとって大きなやりがいとなっている。

また、もともと警察官とは「人の助けになりたい」という信念をもってなる人が多いものだが、同社に入社する元警察官も、仕事に対する使命感は田中氏と負けず劣らず。志を同じくする者としての一体感もあり、くじけずに乗り越えていけるという。

業務にあたる相談員たちを見守りつつ、田中氏が最も気にしているのは「相談者にしっかりと寄り添えているか」。官から民へと場所を移しても、初志を忘れないでいることが仕事の支えとなっている。

インフラへの道を拓く

ヴァンガードスミスには柔道部があり、田中氏も積極的に参加。警察学校から始めた柔道だが、今や黒帯の有段者だ
ヴァンガードスミスには柔道部があり、田中氏も積極的に参加。警察学校から始めた柔道だが、今や黒帯の有段者だ

現在『Pサポ』の累計契約世帯数は200万にも迫る勢いだ。しかし、田中氏は「トラブルは1対1以上で起こるので、日本の総世帯数約6,000万の半分である3,000万世帯に導入してもらうことができれば、理論値としてどちらかが会員ということに。 “犯罪を未然に防ぐ”ためのインフラになれば」と、さらに高みを目指す。

そのためにいま描いている構想は、「全国にある柔道場を“防犯拠点”にすること」だという。身辺警護のサービスも準備中の同社ゆえ、腕の立つ柔道家とともに地域防犯ができれば理想的だ。突拍子もないアイデアのようだが、「自他共栄」という、相互理解や互いに敬うことを重視する柔道の教えは、地域社会において個々人に持っていてほしい精神でもある。道場に通う子どもたちに防犯意識を啓もうし、将来的に自他共栄の精神を理解する人を増やしていければいいという考えもある。ただのアイデアにとどまらず、今年5月にはシドニーオリンピック男子柔道金メダリストの井上康生氏を取締役に迎えた。認定特定非営利活動法人JUDOs理事長も務める井上氏の活動により柔道人口が増えれば、さらなる意識の高まりも期待できそうだ。

柔道場は全国で2,000か所に上るというから、あながち“インフラ”に、というのも夢のような話でもない。柔道は世界的なスポーツでもあるし、このモデルが成功すれば、海外進出も視野に入れる。

「もともと、相談される10件のうち1件でも解決に導ければいいと思っていた」という田中氏。だが、これまでに同社で受けた相談数は6万件にものぼり、そのすべてを収束に導いてきている。何度でも気軽に相談できる相手がいる安心、些細な困りごとや「かもしれない」の段階から対応してくれる第三者がいること。それは安全な社会の理想のかたちであって、人々が交番のドアを叩かなくてもよくなる日は、意外と近いのかもしれない。

企業データ

企業名
株式会社ヴァンガードスミス
Webサイト
設立
2015年
資本金
104,700千円
従業員数
81名
代表者
田中慶太 氏
所在地
東京都港区西新橋1-1-1 日比谷フォートタワー10階
事業内容
トラブル解決支援事業