一方の山田氏は、94年から三条市内の紳士服専門店で学生服部門に約8年勤務し、同店の業績を市域のトップに押し上げた実績を持つ。同氏は自身のさらなる成長を期して転職を決意する。この時に取引先が後継者不在のマサヤを紹介したことが、MASAYA設立に至る運命の扉を開けた。
従業員の転職あっ旋につながる稀なケースを実現した取引先に導かれる形で山田氏が正美氏と巡り合ったのは、現在は休業している白根の創業店舗があるだけだった03年。当時唯一の従業員として入店した。
山田氏は「前職で三条店を市域のトップにしたことから学生服販売には自信があった。顧客を1軒ずつ回る地道な営業方法などで多くの共通項も見出した。上司と部下というより、競い合える関係になれると思った」と転職理由を語る。
代志枝氏も「もとから病弱な夫が、代々の店を閉めたくなくて後継者を探していた時に紹介された人材だった。夫が山田さんの商才や人間性を高く評価したことが採用の決め手」と話す。山田氏が、5代目を継ぐのは織り込み済みも同然の入店だった。
山田氏の入店とほぼ時を同じくして、同氏の前職である紳士服専門店が三条店を閉店することになり、同店の顧客を引き継ぐ形でマサヤが三条店を開店するという幸運が重なった。
正美氏の逝去は、学生服販売で意気投合した2人が三条店という2号店を構えて事業を拡大しようとしていた矢先の悲劇だった。「一緒に仕事をしたのは1年半ぐらい。もっと多くのことを学びたかった。正美さんの遺志を継ぐためにも2店舗展開に挑んだ」と振り返る。
当時、代志枝氏も心臓に持病があり、山田氏の入店と入れ替わるように病状が悪化していったことから、次代に引き渡すタイミングを見計らうようになっていた。「山田さんが『自分は店を継がないと言ったらどうするか?』と聞いてきたことがある。『本当にそうなったら、人を見る目がなかったと諦めて廃業する』と即答したが、必ず継いでくれると確信していた」と同氏への承継に迷いがなかったことを明かす。