東大阪市は約6000社の中小製造業が集積し、日本でも有数の「モノづくりのまち」として知られる。中農会長の父・茂氏がこの地でミシン部品製造を始めたのは1949年。中農会長は大学を卒業後に入社した。「高校3年の時に承継する意思を伝えたため、父は喉から手が出るほど待っていた」と振り返る。42歳になった89年に2代目の社長に就任した。
それから8年目と早い段階で事業承継を考えたのは、社長就任当時に経営者として未熟さを痛感したためだ。「職人気質の父から加工・生産技術を徹底的に学んだ。しかし経営とは、経営者とは、といった視点では何も教えてくれなかった。後継者にはそうした苦労をさせたくなかった」と話す。そして社内に社長にふさわしい人材はいないか、数年かけて探し始めた。
「最初から従業員を後継者に決めていたわけではない」と中農会長。自身の長男も入社しており、後継者選びでは相当悩んだという。だが会社を成長させるためには「攻めの経営ができる人物がふさわしい」と判断した。2006年に26歳という若さで営業部長を務めていた西島氏を居酒屋に誘い、将来的な社長就任を内示した。高校を卒業後に入社して8年目であり、大胆な抜擢だった。
「何日か考えさせてほしいという言葉を予想したが、彼はその場で即答した。高校生の頃に事業家を志し、企てが好きで率先垂範。切れ味抜群で明るい」。中農会長は西島社長をこう評する。これに対し西島氏は「こんなに早く打診されるとは思わなかった。社員や家族のことを思うと潰したら大変と考えたが、ここでやらなかったら後悔する」と決断した。