激変する時代を乗り越える中小企業
豪雨災害からの再建 球磨焼酎の伝統を守り抜く【合資会社大和一酒造元(熊本県人吉市)】
2023年 7月 20日
1. 事業内容をおしえてください
明治時代から続く蔵元を1952年(昭和27年)に先々代の祖父が引き継ぎ、以来、球磨焼酎の伝統を守り続けている。球磨焼酎は人吉球磨地区で製造されている焼酎で、米を原料としている。「本来の米焼酎とは何か」を追求し、伝統製法を焼酎の原点ととらえ、古い製法の再現に取り組んでいる。
父から経営を引き継ぎ、代表社員になったのは2010年。大学を卒業して県立高校で社会科の教師をしていた。教師を天職だと思って跡を継ぐことを考えたことはなかったのだが、後継者がなく父が事業を手放そうとしていた。「それはもったいない」と感じた。中小企業が日本の経済を支えていて、地域の産業としていかに重要なのかを説いていたのに「自分は何をやっているのか」と感じ、2003年に教師を辞め、大和一酒造元に入社した。
機械に頼らず、蔵人の五感をフルに活用しながら石造りの麹室で麹を育て、すべての焼酎を手造りで作り上げている。また、伝統製法の「兜釜蒸留機」を独自に開発した。伝統的な製法は時間やコストがかかり、また簡単な方法とは言えないが、焼酎本来の深い味わいが残ると高い評価を受けている。
一方で、自由な発想を生かした焼酎づくりも行っている。先代の父は、焼酎蔵から湧く温泉を使った焼酎づくりに取り組んだ。アルカリ性の温泉水は発酵に不向きと指摘されていたが、試行錯誤を重ね、10年をかけて全工程で温泉水を使用した「温泉焼酎」を商品化し、看板商品になっている。また、酪農が盛んな熊本の特色を生かし、牛乳と米を発酵させて造った「牛乳焼酎」はフルーティーで甘い口当たりが人気となっている。
2. 外部環境の変化でどのような影響を受けましたか
2020年7月の豪雨で球磨川が氾濫し、生産工場が3メートルの高さまで浸水した。1階部分は完全に水没し、焼酎蔵・店舗ともに壊滅状態になった。明治以来、使われてきた石造りの麹室も天井の1メートル上まで水没。原酒の貯蔵タンクは倒れ、中身がほとんど流出してしまった。設備や資材は何もかもが泥をかぶって使用できない状態となってしまった。
それ以前にあった水害は1965年にさかのぼるが、床下浸水ぐらいの被害だった。その程度の浸水を想定して、地下のタンクに貯蔵していた焼酎を少し高い位置にあるタンクに移し替える作業を未明から一人でしていた。自分の身が危なくなることは全く考えていなかった。午前7時ごろにくみ上げ作業が終わった。ほっとしたときに水が扉を破って押し寄せてきた。慌てて2階に逃げ込むような状態だった。
醸造していた焼酎の8割は流されてしまった。4人のスタッフもみな被災した。「もう事業は継続できないかもしれない」。そんな弱気な気持ちにもなった。だが、被災後、球磨焼酎の蔵元仲間や熊本の酒販店の方々が片付けの手伝いに駆けつけてくれた。その当時の同僚や教え子たちも来てくれた。避難所から工場の片づけに行っていたのだが、工場に行くと、誰かしらが来ていて「きょうは何をするの」と言ってくれた。延べ人数にすると300人以上にもなった。多くの仲間たちが大きな支えになった。「もう一度、焼酎を造ることができるかもしれない。造りたい」という前向きな気持ちになることができた。みなさんの支えがなかったら、前に進めなかったと思う。
再建に向けてクラウドファンディングを実施し、支援金を募った。IT系の団体がボランティアでサポートをしてくれた。目標金額を大きく上回る支援をいただいた。貯蔵タンクの中には水の上を漂い、倒れずに残ったものもあった。その原酒で「ここに生きる」「川の神」という焼酎をつくり、ささやかながらに支援のお礼にさせていただいた。
被災から4カ月後には焼酎づくりを再開した。仕込みをする部屋や麹室を優先して復旧させた。4カ月の熟成を経て、2021年4月に新酒を販売した。
3. どのような対策を講じましたか
あの時の水害は100年に1度をいわれたが、歴史をさかのぼると、同程度の水害があったのは300~400年前の出来事だ。だが、気候変動のリスクが高まる中、再び同じような水害がこの先、起きないとは言い難い状況だ。水害にはしっかりと備えないといけない。そこで、焼酎蔵の再建に向けて今後、同規模の水害が起きても「被害は最小限、復旧は最短」にするための改修を行った。
事務所は1階から2階に移転した。1階の貯蔵室をかさ上げし、甕が横倒しにならないよう、木枠をつけてロープでつるすような仕組みを取り入れた。通常、甕は土の中に埋め込まれているが、この仕組みにすることで水が来ても甕が浮き、転倒せずに着地して原酒の流出を防ぐことができる。
水害が起きる以前、重量物はフォークリフトのように下から持ち上げる装置を使用していたが、それでは洪水時に水没すると考え、天井から釣り上げるホイストクレーンを4台設置した。水害の影響を受けにくく、しかも仕込みや重量物の移動など効率的に行えるようになった。クレーンの設置などの改修費用には小規模事業者持続化補助金なども積極的に活用させていただいた。損傷した建物や製造設備、店舗などの大規模な改修を終え、被災からちょうど1000日目の今年3月30日にリニューアルオープンした。
4. 今後はどのように展開していきますか
今回のリニューアルでは、昭和時代の木造教室に見立てた研修室を作ったほか、明治期の石づくりの麹室を間近に見られるように貯蔵室と区切る壁をくりぬく工事を施した。コロナ禍と水害の影響で施設見学を3年間実施することができなかったが、再開するのにあたって、見学の内容として充実させるための改修だ。リニューアルが完了し、「焼酎蔵ガイドツアー」として再開した。訪問されたお客様に満足したもてなしができるよう有料のツアーとした。ツアー料金は見学のみで1000円、飲み比べ付きで1500円に設定した。
水害で被災した体験を持っているので、その経験を自分たちだけでなく、みなさんにも伝えることでお役に立ちたいと思っている。被災したことで、焼酎を作るときの気持ちも変わった。自然の力で焼酎を作っているとも強く感じるようになった。
球磨川の水、球磨川水で育った米を使って焼酎を作っている。また、他の蔵ではやっていない自然酵母での焼酎造りも行っている。自然の恵みを享受し、自然とともに焼酎造りをすることの意味を、さまざまな体験を通じてお客様に伝えていきたい。すでにガイドツアーには多くの方々に参加していただき、神奈川など遠方からも来られている。海外の方はまだ参加されていないが、参加されても支障が生じないよう使用するスライドに英語字幕を付けようか検討しているところだ。
本業では、2022年7月から新商品の「球磨川」を販売した。人吉球磨産の玄米と玄米麹を原料に球磨川が新しく運んできた蔵付き酵母菌、いわば「球磨川酵母」だけで自然発酵した球磨焼酎だ。この商品は2023年にフランスで開催された日本の酒のコンクール「Kura Master」でプラチナ賞を受賞した。日本酒、ウィスキー、ワインの海外消費量は伸びている一方で、焼酎全体が伸び悩んでいる。蒸留酒を食中酒とする文化が海外では根付いていないのが原因。多くの方に球磨焼酎について知ってもらいたいと思っており、10月には、蔵元の仲間たちとフランスにPRに行く予定だ。
水害を通して、当社を含め27蔵元でつくる球磨焼酎組合の存在、団結力を実感した。多くを失った一方で、初めて会社の価値が何かを気付かされた。蔵に湧く泉源、牛乳焼酎、玄米仕込みなど当社でしかできないことに集中し、伝統を守っていきたい。
企業データ
- 企業名
- 合資会社大和一酒造元
- Webサイト
- 設立
- 1952年1月31日
- 資本金
- 300万円
- 従業員数
- 4人
- 代表者
- 下田文仁 氏
- 所在地
- 熊本県人吉市下林町2144番地
- Tel
- 0966-22-2610
- 事業内容
- 球磨焼酎の製造・販売など
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