大嶋氏が経営する越後繊維は、1919(大正8)年に創業した地元で老舗の繊維問屋だ。本社を構える上越市高田は江戸時代から城下町として栄えたところで、全国の主要産地から仕入れた衣料品やタオルなど繊維商品を地域の洋品店や小売店に卸売りをしてきた。現在のように交通機関が発達していない時代に地域の流通を担う重要な役割を果たしてきたが、流通革命で地方の問屋は大きな逆風にさらされるようになった。大量仕入れ・大量販売の量販店が衣料品を低価格で販売するようになり、さらに製造から販売までを一気通貫で手掛ける衣料専門店が急成長。主要な取引先である街の洋品店はその数を大きく減らし、繊維卸の事業は厳しさを増している。
大嶋氏は大学を卒業すると、大阪に本社がある繊維商社に就職。5年間勤務し、その間、大手流通を担当した。「大手の考え方や厳しさ、恐ろしさを目の当たりし、地方の問屋の置かれている立場を感じ取った」という。退職し、越後繊維に戻るのを前に1年間、欧米・中国を放浪。中国・上海に8カ月間、語学留学し、日常会話が普通にできるようになった。その経験がロードバイク事業を展開する大きな下地になった。
2005年に父から経営を引き継ぎ、新潟県中小企業家同友会の会員になった大嶋氏。新たな収益の柱となる事業を模索する中で、同じ会員企業の経営者からこう問いかけられた。
「中国語が話せるなら、なぜ、中国から輸入しないのか?」
だが、中国から繊維製品を仕入れるとなると、1つの製品で2000ロット単位の数でないと取引できない。小さな繊維問屋ではさばき切れないほどの量になり、リスクが高くとてもできない。すると、その経営者は「別に繊維じゃなくてもいいのでは」と大嶋氏に投げかけた。
その経営者は、市場は小さいものの、特定の消費者にニーズの高い製品を中国から輸入し、全国に販売していた。国内に販売するメーカーは少なく、トップクラスの全国シェアを確保していた。「言われてみればそうだと感じた。ニッチな市場というのは、小さい会社にとってはブルーオーシャンだと思った」