2026年 6月 5日
Confidential Computing(秘密計算)と聞くと、何かあやしい響きを感じてしまう人もいるかもしれない。秘密計算は、「データを秘匿したままの状態で、計算や分析を行うことができる技術」のことを言い、高度なセキュリティが求められる分野で採用される最新技術だ。株式会社Acompany(アカンパニー)は、この秘密計算分野で日本だけでなく世界市場を狙う。同社を率いる代表取締役CEOの高橋亮祐氏は、名古屋大学在学中に同社を創業、8年で同社を日本有数の秘密計算技術企業へと成長させた。一連の取り組みが評価され、中小機構主催の「第25回 Japan Venture Awards」で中小企業庁長官賞を受賞した。
ダメ学生を変えたヒッチハイク旅行
高橋氏は名古屋大学工学部に入学した1~2年生の頃の自身を「典型的なダメ学生だった」と振り返る。愛知県豊田市で生まれ、名大に入り、自身や周囲も将来は地元の自動車関連企業に就職すると思われていた。「自分の人生のレールがすでに決められている」ように感じた。将来に反発するように、夜中までゲームにのめりこみ、午前中の授業は欠席するという日々を送っていた。転機は、大学3年生の春休みに友人の誘いでヒッチハイクの旅に出たことだった。お金もほとんどなく、野宿で凍え死ぬような経験をしたり、たまたま乗せてもらった車の持ち主の家に泊めてもらい、人の温かさに触れるという経験をしたりする中で、「人間って意外と死なないんだ」と実感した。そして、「それならレールから外れて自分のやりたいことをやろう」という気持ちが湧き上がってきた。
やりたいこととして選んだのが、起業だった。しかし、具体的に何をするというアイデアまでは持っていなかった。当時名古屋では、学生が起業するという選択肢は一般的ではなかった。そこで、異業種交流会に出たり、つてを頼って中小企業の経営者に話を聞いたりすることから始めた。その中からウェブサイトの構築を依頼され、学生ながら個人で請負仕事としてサイトの構築に取り組んだ。仕事の依頼はあり、収入も得られたが「このままではスキルの切り売りをしているだけ、ビジネスの仕組みそのもので価値を生む事業を作りたい」と考えるようになった。
暗中模索のアカン期
名古屋大学でも起業家育成が始まり、高橋氏はアントレプレナー育成プログラムに参加した。そこで開催された第1回のビジネスプランコンテストに、学習塾のアイデアで挑戦した。受賞は逃したものの、スタートアップという概念を初めて理解することになった。その後、学生向け家庭教師マッチングサービスを立ち上げた。サービス開始後1カ月で約500名もの名大生が登録し、手応えを感じた。勢いに乗って2018年にAcompanyを設立、社長に就任した。大学を休学して事業化に精力を傾けた。仕事に協力するスタッフも多数集まり、コンテストで入賞するなど、順調に見えたものの、高橋社長は創業からわずか3か月で事業撤退を決断した。
当時すでに家庭教師のマッチングサービスは世の中に存在した。それを学生の目線でとらえ直し、新たなモデルで事業化したが、「果たしてこの事業が起業時に考えていた、『テクノロジーで世の中を良くしていきたい』という思いに合っているのか、これから10年をこのビジネスに懸けられるかと考えた時に、撤退して新しいビジネスを考えたい」と思った。しかし、この時点で大半のスタッフは「ついていけない」と離れていった。「個人的にはあの時が一番きつかった。この経験から、会社のビジョンやバリューを確立することの重要性に気づかされた」と振り返る。
秘密計算に事業転換

高橋社長はその後、名古屋工業大学でスタートアップのコミュニティを立ち上げた実績のある近藤岳晴氏と出会い、Acompanyにスカウトし、二人体制で事業化を模索した。そして、ブロックチェーンビジネスなど数回の事業転換を経て、秘密計算技術に行きつくことになる。きっかけは、ブロックチェーンビジネスを手がけていた時に、顧客と話していると、「データは活用したいが、外部には出したくない」という声を複数企業から言われたことだった。当時から外部とデータのやり取りをする際は暗号化などの対策が採り入れられていたが、暗号化は計算時にはデータが露出してしまう。これに対して、秘密計算は、計算中もデータを秘匿したままにでき、情報の漏洩リスクを低減できる。情報漏洩対策の重要性が認識されるようになってきたタイミングだった。
当時、秘密計算に取り組む企業は世界でも十数社程度だった。一方、ブロックチェーンは数万社レベルの企業が存在する。「将来をかけるなら、新しい技術にかけたい」と、秘密計算に全力を注ぐ決意を固めた。ただ高橋社長にも近藤取締役にも、秘密計算の知見はなかった。そこで、ゼロから論文や文献を調査し、秘密計算エンジンの開発を行うことにした。名古屋大学情報学部の優秀な人材を片っ端から紹介してもらい、5人の学生をインターンとして招き、文献の輪読から始めた。
秘密計算とは、データを秘匿したまま計算できる技術。手法は秘密分散・マルチパーティ計算(MPC)、ハードウェア型のTEE(Trusted Execution Environment)など、複数が存在する。さまざまな検証作業を重ね、同社はTEEを採用することに決めた。TEEはConfidential Computing(機密コンピューティング)とも呼ばれ、データは秘匿状態で送信され、CPU内の安全領域でのみ復号される。この安全領域にあるデータは管理者でもアクセスができず中身を見ることはできない。また、機密性だけでなく、実行コードが事前に開示されたものと一致していることを証明する仕組みもある。TEEは、インテルやAMD、マイクロソフトなど、世界的なチップメーカーのチップに搭載されており、現時点で最も実用性が高い秘密計算技術と言われている。AcompanyはTEEの中で機能するミドルウェアの開発に取り組んだ。
新しい仲間との出会い

同社が秘密計算を事業展開するうえで、大きな力となったのが、現在同社のCC Labに所属している櫻井碧氏が入社したことだった。櫻井氏は、早稲田大学在学中からTEEの研究に取り組み、IPA(情報処理推進機構)の突出したIT人材を発掘する事業である「IPA未踏事業」に選抜され、さらにその中から「スーパークリエイター」に選ばれたという逸材だった。大学院修了後に大手企業で働いていたが、同社が口説き落として入社することになった。櫻井氏の入社で、同社は日本の秘密計算技術でトップクラスの存在に躍り出ることができた。
もう一人は、現在執行役員パブリック・アフェアーズスペシャリストを務める竹之内隆夫氏の入社だ。竹之内氏は、大手IT企業で約15年間、秘密計算を含むプライバシーテック分野の研究に取り組んでいた。竹之内氏とAcompanyとの出会いは、当時在籍していた企業が、Acompanyに投資を検討することになり、技術の目利きとしてその検討に参加したことからだった。高橋社長や近藤取締役が4年かけて口説いた結果、入社を決断したという。竹之内氏は現在、開発だけでなく、秘密計算という日本ではまだ聞きなれない技術を普及させるために、国内外で啓蒙普及活動を積極的に行っている。
彼ら二人の他にも同社には、秘密計算とその市場の将来性を信じて集まった有為な人材が多数在籍している。プライバシーテックの開発を約50名体制で行っている企業は、国内の大手IT企業を含めてみても少ない。同社はすでに国内有数の開発体制を持っていると言え、これが内外からも評価を受け、期待される要因ともなっている。
個人情報保護に活路を見出す
開発の体制を着々と整え、秘密計算の売り込みに奔走する日々が続いたものの、企業から最初は良い反応が得られなかった。秘密計算という技術が日本ではまだ知られていなかった。ただ、商談の中で相手が反応したのが「パーソナルデータを安全に使える」という言葉だった。2020年当時、特定の個人の情報は厳格に守りながらも、データとして有効活用するにはどうすればよいのかが議論されていた。また、顧客の個人情報を外部に流出させれば、企業にとって多大なダメージを負うことも、リスクとして認識されるようになっていた。「パーソナルデータを安全に使える技術」という説明をすると、相手の目の色が変わった。同社は、個人情報を守る技術を持つ、プライバシーテックカンパニーを前面に出すことで、成長の土台を作った。2022年から1年で売上高は約5.4倍に急拡大した。
同社は、博報堂DYホールディングスやKDDIなどと相次いで業務提携し、プライバシー保護技術に関する共同研究や実証実験を進めている。現在約30の顧客に対して、秘密計算活用のためのソフトウェア提供を行っている。例えば生成AIを活用する場合、これまでは社内の機密情報の入力はさせない企業が多かったが、秘密計算技術を使えば、機密情報を保護した状態で、生成AIでの演算が行えるため、使い勝手は格段に向上する。
2022年に、プライバシーテックに取り組む他のスタートアップ企業と共同で「プライバシーテック協会」を設立し、高橋社長が代表に就いた。プライバシーテックという言葉そのものが日本では普及が遅れている。協会として活動することで、内外に周知させるとともに、個人情報保護法などの法制度と技術の関係におけるあるべき姿についても、政府に提言している。同協会には、3社の他、NECや富士通、ソフトバンクといった大企業も賛助会員になり、秘密計算やプライバシーテックの活用について、議論を重ねている。
2026年通常国会で審議中(6月2日時点)の改正個人情報保護法では、個人データの利活用について、AI学習・統計作成目的なら本人同意なしで第三者提供を可能とするといった利活用を促進する面と、不正利用における課徴金の導入という規制強化の両面が盛り込まれた。個人データを活用して、国民生活や産業の活性化に役立てる一方、個人が特定されるようなデータの利用は避けなければならない。同協会は、こうした課題に対して「秘密計算の利用が有用」という提言を行っている。
プライバシーテックで世界へ

高橋社長は、中小機構主催の「第25回 Japan Venture Awards」において、中小企業庁長官賞を受賞した。また同社は、世界のスタートアップ3万社以上がエントリーする「スタートアップワールドカップ2025」に参加。東京で開催された国内予選で優勝し、米国において開催された世界決勝戦でトップ10に入る快挙を達成した。いずれも、世界的に注目されている秘密計算技術で先進的な取り組みをしていることが評価された。
同社は、企業理念として「非連続な未来を創る、圧倒的に」を表明し、事業ミッションとして「Trust. Data. AI. あらゆるデータとAI活用に、信頼を」を掲げている。AIやネットビジネスの世界では、グーグル、アップル、METAといった米国のビッグテック企業が市場をリードしている。ただ、高橋社長は「セキュリティや秘密計算の領域においては、日本の勝ち筋もある」と見ている。「日本は以前から暗号技術で世界有数の力を持っている。さらに、秘密計算に必要なハードウェア、ミドルウェア、クラウドサービスを自国で内製できるのは、現時点で米国と日本だけ。ユーザーとなる製造業も力のある企業が多い」と言う。同社はまず、国内市場を確実に抑えたうえで、アジア市場に進出し、欧州にも展開する計画。

Acompanyという社名は、トップを意味するエースの「A」と、「アカンパニー=同行する」という二つの意味を込めたものだという。「仲間とともに、しっかりと結果を出して社会に価値をつくることに、自分自身のモチベーションがある」と将来を見据えている。世界を目指すテック企業としての成長に期待したい。
企業データ
- 企業名
- 株式会社Acompany(アカンパニー)
- Webサイト
- 設立
- 2018年6月
- 資本金
- 1億円
- 従業員数
- 58人(2025年6月現在)
- 代表者
- 高橋亮祐 氏
- 所在地
- 愛知県名古屋市中区栄2-1-1 日土地名古屋ビル7階
- 事業内容
- 秘密計算に関連した製品・技術と、機密データ活用に関するコンサルティングサービスの提供



