2026年 7月 17日
長野県安曇野市は、北アルプスのふもとにある自然豊かな地。2005年に、長野県東筑摩郡の明科町、旧南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村の5町村が合併して誕生した。産業面では、「安曇野」というブランドを活かした観光や農産品開発に加え、精密加工を中心とする製造業が多数立地する一面もある。地域の産業支援を担う安曇野市商工会は、これらさまざまなニーズに対応する力が求められている。そこで、経営指導員の支援力向上をはかるため、関東経済産業局と中小機構が地域の中小企業支援機関に対して行っている「課題設定型支援実践研修」に手を上げた。中小機構から派遣された中小企業アドバイザーの力を借りて取り組んだ、印刷会社に対する伴走支援では、細やかな心配りで若き社長の意識を変革させ、社長としてなりたい姿を思い描けるまで導いた。支援ノウハウの会得だけでなく、どうすれば相手の心に届く伴走支援ができるのかを考え抜く姿勢は、中小企業支援者が持つべき資質とも言えそうだ。
支援力強化へプロセス・コンサルテーション手法を学ぶ
安曇野市商工会は、2007年に安曇野の旧5町村(明科町・豊科町・穂高町・堀金村・三郷村)の商工会が合併して誕生した。現在の会員数は約1800で、20年間、県内最大規模の商工会として活動を続けてきた。2027年に商工会議所に移行する方針を固め、準備を進めている。移行には国の認可や会員の同意が必要となる。強みである小規模事業者へのきめ細かい支援を続けながら、より幅広い商工業への支援を強化する体制づくりを目指している。今回、「課題設定型支援実践研修」に参加することにしたのも、支援スキルのもう一段の向上が必要との問題意識からだ。
経営力再構築伴走支援は、商工会議所や商工会などの中小企業支援機関の担当者が、経営者との対話を通じて、経営者自らが「真の経営課題とは何か」に気づき、課題に向き合い、解決へと自走するまでを伴走するもの。従来の、相談に対して指導や助言をするといった、いわゆる医師-患者型の手法とは一線を画し、経営者のふところまで飛び込んで、意識変革を促すプロセス・コンサルテーションの手法を採る。中小企業・小規模事業者が先を見通すことが困難な時代において、成長・事業継続をしていくには、経営者自らが自社の経営課題を見極め、様々な環境変化に柔軟に対応して自社を変革させていく「自己変革力」を高めることが必要となっている。
中小企業庁と中小機構は、「経営力再構築伴走支援ガイドライン」を策定するとともに、商工会議所、商工会で企業支援を担当する経営指導員の伴走支援に対するスキル向上をはかるため、実践型の研修に取り組んできた。今回、安曇野市商工会で実施する事業では、商工会側の経営支援員として田島祐介氏と上原昭一氏が参加。中小機構関東本部の中小企業アドバイザーである、井田優里氏がインストラクターとして、馬場美州氏がプロジェクト管理者として派遣された。モデル事業の実態や現場を確認するため、長野県商工会連合会からも広域専門経営支援員や経営支援課の担当者が参加した。
若手二代目経営者の課題に向き合う

支援する企業として、安曇野市商工会が有限会社アルプス印刷に依頼した。同社の浅川博行社長は、父親である現会長から経営を引き継いで4年程度という若手経営者。地元愛が強く、安曇野の発展のために力を尽くしたいという思いを有しており、商工会の青年部でも熱心に活動していたことから、白羽の矢が立った。浅川社長自身も、「人手不足で営業になかなか手が回らない。印刷業界は価格競争にさらされている」という問題意識があり、その改善ができるなら、と応じた。
第一回目の対話は、アルプス印刷に出向いて作業場などを見学した後に、商工会館に移動して行われた。会社より商工会館の方が社長も話しやすいだろうという配慮からだった。田島氏は「まずは、事業概要や経営課題を聴いたが、『これを深堀りして聴こう』という目標を明確にしていなかったので、社長から課題を十分に引き出すことができなかった」と、対話のイメージを持つことの大切さを感じたという。上原氏も「社長は従来の経営支援の延長であり、自分の悩みを解決してくれる機会との認識だった」と言い、事業者と支援者の双方で事業に対する向き合い方に齟齬があった。
浅川社長への対話を終えた後の振り返りでは、インストラクター役の井田氏が「その日のゴールを明確にしておくことが大事でしたね」と問いかけ、第二回目の対話に向けて具体的な目標を設定して臨むこととした。二回目の対話のゴールとして設定したのは、「将来目指したい姿を言語化してもらう」ことだった。

第二回目の対話は、商工会の2人に加えて長野県商工会連合会の広域専門経営支援員の松尾靖氏、経営支援課の福井純子氏が参加した。場所は商工会で、対話時の椅子や机の配置は相対ではなく、90度の配置にした。90度の角度(L字型)は、親しみやすさと安心感があり、会話が自然に流れる効果を期待した。対話を重ねる中で将来なりたい姿を探っていったが、そこで明らかになってきたのは、自社の経営数値に対する現状とあるべき姿のギャップだった。これには松尾氏が部門ごとの売上管理を行っている他社の事例を具体的に示し、数値管理の重要性を訴えたことが影響した。浅川社長から「経理は現在母親が担当しているが、いずれは世代交代をしていこうと思っていた。具体的にどの事業でどれだけ売上や利益を得ているのか事業別の損益をしっかり管理できていなかった」との気づきにつながったことがうかがえる。
また、会社にとって大きな資産であるオフセット印刷機についても、「現状では、技術が必要なため会長や特定の社員しか操作ができない。すでに導入から30年以上がたつが、今後設備の更新をするには高額の投資が必要で、どうすればいいのか悩んでいる」といった将来を見据えた、新たな本音も引き出すことができた。今回の目標としていた、目指したい姿の言語化も「みんなで、楽しく働ける会社を」、「業務の効率化を図り、新しい事業を進めていく」に着地した。対話終了時には、浅川社長から「今日は安心して話せる環境でした」という言葉が出た。対話を重ねる中で、信頼関係ができつつあり、経営者としての自身の状況を確認することにもつながっているようだった。

終了後の振り返りで田島氏は「気づきにつながるような問いかけができず、あらかじめ用意した記入シートを埋めることに意識がいき、型にはまった質問しかできなかった。そんな中で、松尾さんが、部門別の収益管理の重要さを伝えて、社長もそれに応じる姿が勉強になった」とベテラン指導員のスキルを目の当たりにして、得るものがあったと感じたようだった。
第三回目の対話では、浅川社長に事前に用意してもらった決算書を、中小機構の「経営自己診断システム」(決算書の財務情報を入力するだけで経営の強みや課題が把握できるシステム)で分析した上で臨んだ。上原氏は、分析結果を見て「健全な経営をしている会社。社長が思っているほど財務データが悪いわけではなかった。確かに印刷業界は縮小傾向にあるが、アルプス印刷は社長の丁寧できめ細やかな仕事ぶりが行政等からも評価され、取引先と良い信頼関係が築けている」と言い、社長が考える新規事業に向けて、まずは既存の事業をしっかり深堀りする方がよいのではと考えたものの、経営の方針を考えるのは社長の仕事と心得、自分の胸の内だけにとどめることにした。なお、今回の目標は「具体的なビジョンの言語化」とした。
また、それまで聴き役に徹していた井田氏、馬場氏も今回は対話に参加した。経営のかなり踏み込んだところまで聴き出すやり方を見て、上原氏は「自分はここまで聴いていいのかと躊躇していたことも、アドバイザーの二人は聴き出しており、社長も思いを率直に伝えていた。今まで自分は勝手に型にはめて壁を作っていたのだ、と気づかされた」と言う。実際、会社における会長の存在感の大きさ、社長自身の経営者としての力量への課題など、対話の中から次々と引き出されてきた。社長から「決算書の内容を正確に把握できるようになりたい」という積極的な言葉も出て、経営者として取り組むべき具体的な課題と向き合う姿勢も見られるようになった。
真の課題と向き合う 「会長がいなくなっても大丈夫な会社に」

最終回となる第四回のテーマは、浅川社長に「ありたい社長像の言語化」に取り組んでもらうことである。事前に「ありたい社長像」を考えてきてもらうよう、課題として設定した。当日、社長から出てきたのは「頼られる社長」「社員の給料を50万円にしたい」という言葉だった。そこで、田島氏が「その目標に対して、今の自分は何点ですか」と問うと、「50点」という謙遜した答えが返ってきた。対話の過程で社長から「強み」として語られたのは「企画から製版、加工まで対応可能」などわずかだった。そこで、白板を使って、支援者として気づいたものを総括的に列挙することにした。「従業員想い」「地域想い」「若さ」「学ぶ姿勢」など、最終的には20以上の強みを示すことができた。そこには、変革しつつある社長の姿勢に対して、さらなるもう一押しにつなげられれば、という伴走支援者としての想いも込められていた。
そして、浅川社長が最終的に導いた今後の会社の方向性は「会長がいなくなっても大丈夫な会社づくり」だった。商工会の経営支援員二人との対話を重ねるなかで、当初の人手不足で大変という目の前の問題意識から、会社の真の課題は高齢の会長が不在となっても安定する経営であることに気づき、それに向き合う覚悟を引き出すことにつながった。浅川社長自身も「一人では本当に取り組むべき課題にたどり着けなかった」と言い、課題設定型だからこそ導けた結論に到達することができた。
浅川社長は、会長が不在となっても大丈夫な会社にするという真の目標を定めたことから、会長にしかできていない業務を定量的に分析していくことや、多忙の原因となっている業務を効率化するために、IT化やDXに取り組むという課題を自ら設定し、自己変革を遂げて、自走を始めている。
自走化で経営者も支援者も双方が楽になれる
研修として取り組んだ安曇野市商工会の上原氏は「勝手に社長を自分の型にはめ込んでしまいそうになっていたが、アドバイザーの徹底的に相手の話を引き出そうとする対話と傾聴の実践を目の当たりにして、実は自分自身が勝手に枠を作り、型にはめて壁を作っていたことに気づかされた。今回の経験を踏まえて、伴走から自走化への後押しをする支援を行っていきたい」と、今後の伴走支援にヒントを得た様子だった。また、田島氏は「発言の隙間や背景を自分の推測や思い込みで埋めるのではなく、相手に質問をして実際に言語化してもらうプロセスの重要性に気づくことができた。プロセス・コンサルテーションの手法を商工会全体で共有していきたい」と支援スキルの向上を実感したようだった。
馬場氏は、「課題設定型支援は、事業者の本質的課題をともに考え、課題解決に向けて事業者の潜在成長力を引き出し、自走化を後押しする取り組み。事業者が自走化に向かうにつれ、支援は徐々に手離れしていくことになる」と言い、課題設定型伴走支援は企業と支援者双方に役立つ仕組みであることを力説した。井田氏は、「田島さんと上原さんが、自分たちで考えたさまざまな工夫を重ね相手に寄り添うことで、社長の心を開き、気づきを促し、最終的に社長の覚悟の言葉を引き出すことにつながった。お二人は、研修の目的であるプロセス・コンサルテーションの対話手法に主体的に取り組まれた」と振り返る。相手の話をよく聴くスキルとともに、相手の立場に立つ支援者の想いこそが伴走支援の目的を達成する重要な要素で、今回の取り組みで体現されていたと語った。
支援事例
なりたい社長像を考えるきっかけをもらった
有限会社アルプス印刷 代表取締役 浅川博行氏
有限会社アルプス印刷は、役所や企業からの印刷物の依頼、個人の名刺やはがき印刷を手掛ける、地域密着型の印刷会社だ。代表取締役の浅川博行氏は、4年前の43歳の時に創業者で父である現会長の浅川英忠氏から、社長を引き継いだ。安曇野市商工会から課題設定型支援事業の声がけをいただいた際は、目の前の問題が少しでも改善できればという思いで会長に説明しないまま支援をお願いした。
しかし、商工会の田島氏や上原氏から、会社の状況について聴かれていくうちに、だんだんと自分の立ち位置がおぼつかない状態であることを実感するようになった。現在、浅川社長は、定期的に受注している仕事の段取りを立てたり、短納期の飛び込み客に対応したり、配送業務で外回りをすることに追われている。日々、時間を使って丁寧な仕事をこなしている分、ゆっくりと経営について考える余裕はなかった。大口取引先との価格交渉は、今も会長が握っていて、受注額が適正かどうか浅川社長には判断が難しい。そもそも経理は母親が担当で、浅川社長自身は部門別の財務データの数値もあえて踏み込まないようにしていた。印刷会社として重要なオフセット印刷機の操作も、会長と特定の社員しかできない。「会長の昔からのやり方と今の時代の合わせようとするやり方のすり合わせがうまくできないことが悩み」と感じていた。
一方で、対話を通して事業を振り返ることで、浅川社長は「会長は先を見る力に長けている」と、改めて会長の影響力の大きさに気づくことになった。会長が高齢になっていることもあり、「このままの状態で会長が不在となったら、会社はどうなるのか」浅川社長は商工会の二人からのさまざまな問いかけに答えるうちに、「会社の現状に向き合い、将来を社長としてどうしていくべきか、今、しっかりと考えていかなければ」と改めて実感した。
なりたい社長像に向き合う
二度目の対話で、商工会側から「なりたい社長の姿、理想像は」と問われた。漠然とだが、「社員を大切にする経営、地域に貢献するような事業にしたい」というものが頭に浮かんだ。そして、それを具体化するためにも、自社の財務内容の詳細を自ら把握することも重要だと認識するようになった。決算書類の作成を依頼している会計事務所から財務データを取り寄せて、商工会の担当者に渡した時は「内部事情が知られることになって恥ずかしい」と感じたが、一方で「取引先との価格交渉に関与し、部門別の損益データも把握する。そのためには、自ら決算書の詳細を理解できるようにならないと」と、取り組むべき課題を自覚するようにもなった。
浅川社長は自身の経験から、社員との融和には特に心を砕いていた。社員が若手であることもあり、一人ひとりと対話する機会を設け、社員の成長や満足度を意識して、業務内容や個人的な状況に寄り添った対応もとってきた。採用についても「来年はデザインのスキルがある人材を採用したい」と、将来に向けた人材獲得にも取り組んでいる。社長は家族に対する思いやりもあり、公私ともに「人を大切にする」という心をベースに有している。

現状では、安定した印刷物の注文を獲得しているものの、将来を見通せば、印刷事業だけでは、収益が確保できなくなる可能性もある。こうした危機感から、新分野の開拓にも少しずつ取り組んでいる。そのひとつとして2025年に商工会が関わる事業で、観光客に市内の蕎麦屋を回ってもらう「そば好きさんスタンプラリー」を開催した際、蕎麦屋の紹介とスタンプラリーの台紙となるチラシを同社がデザインから挑戦した事例がある。同時に、スタンプを集めた人の中から抽選で渡す賞品として、トートバックの作成にも取り組んだ。チラシもトートバックも一般客を対象にしたものだけに、デザイン力が問われる。社員にとっては、独自のセンスを発揮する仕事となった。評価は上々で、今後の新しい事業に向けて弾みがつく結果となり、一定の成果に自信をのぞかせている。
浅川社長は、「今後ECサイトで販売するTシャツなどのグッズの開発もやっていきたい」と考えている。将来的に、各社員が個性を活かして自主自発で事業に取り組み、成果をあげて給与に反映させ、やりがいと自信をもって仕事に向き合ってもらえるような環境の構築を理想として掲げる。今回の事業は、その理想のために、社長として今、何に取り組むべきなのか、どうあるべきなのか、という課題に向き合う時間になったと思われる。
対話と傾聴を繰り返した中で、最終的に自身が経営者として最も対峙すべき現在の課題として「高齢の会長が不在となっても大丈夫な会社づくり」ということに腹落ちすることができた。人手不足や価格競争への対策といった目に見えている課題も重要だ。しかし自らが抱える経営への不安を直視し、対話で深堀りしていくことで、会長に依存している業務の定量的な可視化等、現状把握に向けた具体的な課題設定の下、解決策に取り組む覚悟もできた。まさに、対話を通じた気づきと具体的な課題への落とし込みから、自己変革や自走化へのプロセスを歩み始めた。
浅川社長は「対話を重ねる中で不安だったことを話せて安堵感や信頼感を感じることができた。やはり社長は孤独で、日々、会長と机を並べていても、経営について深い話ができていないことにも気づかせられた。付き合いのある他の社長等にも、自分の今回の経験を伝えて、この事業の利用を勧めていきたい」と、経営者として自身の成長を実感している。



