2026年 6月 19日

株式会社ヤマナカの髙田慎司代表取締役
株式会社ヤマナカの髙田慎司代表取締役

東日本大震災、コロナ禍、温暖化による影響…。苦難が降りかかってくるたびに新しいことに挑戦し、危機を乗り越えてきた企業が宮城県石巻市にある。「ホヤ」「カキ」「ホタテ」を軸とする水産加工製造業、株式会社ヤマナカだ。創業者の髙田慎司代表取締役は、その機動力と固定観念にとらわれない斬新なアイデアを武器にピンチをチャンスに変えてきた。同社はベトナムに支社を設置しており、東南アジアを中心に海外展開を一段と加速させることで、持続的な成長を目指す戦略を描いている。

金融業界から水産業に転身、東日本大震災で事業継続の危機

2017年に竣工した本社工場。最初の工場は東日本大震災で流出した
2017年に竣工した本社工場。最初の工場は東日本大震災で流出した

損保会社に就職していた髙田氏に転機が訪れたのは、1990年代に発生した金融ビッグバンだった。金融業界の再編が進み、損保会社の吸収合併を機に地元の石巻市に戻ることを決意。髙田氏は「何をするのか決めないで辞めてしまったので、水産加工会社でのアルバイトや飲食店経営で食いつなぎながら、次に進むべき道を模索していました」と話す。実はそのアルバイトがその後の運命を決めることになる。

三陸海岸に位置する石巻市は、漁場に恵まれた水産の町。髙田氏はアルバイトを通じて水産物の流通プロセスに興味を持ち、参入障壁が比較的低かった「ホヤ」に目をつけた。生産者と直接契約し、市場を介さずに仙台の飲食店に卸すビジネスモデルを確立した。ホヤは新鮮さが命。鮮度が落ちると、独特の臭みが出てくる。市場を介さないホヤは、高い鮮度を維持しており、「当時は飲食店経営と掛け持ちだったのですが、取引先が少しずつ増えてきたので、トラックを買って妻と本格的に始めました」(髙田氏)。

2008年に法人化し、「カキ」「ホタテ」と事業を拡大、2010年に売上高2億円に達した。順風満帆に見えたが、2011年3月11日に東日本大震災が発生、当時の工場が被災する。社員15人は無事だったが、髙田氏は「工場は今より内陸にあったのですが、マグニチュード9.0の地震と津波により、壁や屋根が落ちて作業はできなくなりました。このまま継続するのは難しいと一時は思いました」と振り返る。

ホヤの逆輸入の奇策、壊滅からの復活

工場では徹底した水温管理と最新設備で瞬時に加工し、鮮度を保つ
工場では徹底した水温管理と最新設備で瞬時に加工し、鮮度を保つ

政府による失業保険の緊急措置が示されたため、会社が復活した暁には再雇用することを条件に10人の社員が一時離職し、5人が残った。「この5人をどうやって食べさせていけばいいのか」。髙田氏自身も右足を負傷していたが、被害を免れた同業者の元へ仕事を請いに走った。専門外のサバ加工事業者だったが、この仕事で5人の人件費を賄ったという。

右足の負傷が予想以上に重く、後に東京の大学病院に入院。手術は11回に及び、1年間に及ぶ入院生活を余儀なくされた。そんな中、髙田氏が入院中に起死回生策として思いついたのが震災前に韓国に大量に輸出したホヤだった。「韓国の取引先に連絡を取り、「日本に送り返してくれないか」と打診。取引先は「協力する」と売った値段で買い戻すことを快諾してくれたという。「10トン買い戻し、6月から3カ月間、東北のスーパーで販売したところ、爆発的に売れて、震災前の売り上げを上回りました」(髙田氏)。震災で宮城県のホヤ養殖が全滅する中、「逆輸入」という逆転の発想が功を奏したわけだ。

だが、問題はホヤの生産地である宮城・岩手・青森の3県で生産量の7割を占める宮城県の養殖施設が壊滅し、激甚災害指定を受けたため、3年から4年間はホヤが市場から消えてしまうことだ。「新たな供給源を探さなければ」と髙田氏が行き着いたのが北海道の八雲町だった。同町の漁業関係者は、2010年ごろから韓国向けのホヤの養殖を試験的に行っており、髙田氏は現地に赴き、「国内向けにやりませんか」と説得。国内販売向けの原料として購入することで合意し、北海道内で水揚げされた魚介類を正規で仕入れる権利「買参権」も異例の即日発行となった。

髙田氏は「誰も使っていない八雲町落部の漁師小屋を借りて、すぐに出荷を始めました」と振り返る。水産加工場として改築し、10人を現地採用するとともに、ホヤの出荷と加工品製造をスタートさせた。実はこれが2012年5月以降、北海道産ホヤが全国に流通する仕組みが出来上がった瞬間だった。同時に現地の漁業者に技術指導と種苗生産の指導を行っており、北海道産ホヤを年間5000トン生産するところまで成長したという。

冷凍殻付きカキで世界市場開拓、売上高10億円突破

「Yamanaka Vietnam」の社員と髙田慎司代表取締役(手前左)
「Yamanaka Vietnam」の社員と髙田慎司代表取締役(手前左)

飛ぶ鳥を落とす勢いだった髙田氏が、海外展開に本格的に目を向けたのは2013年。「北海道のホタテは海外で評価が高かった。宮城産も悪くないと思っていたところへ香港への輸出話が舞い込んできました。中国は福島第一原発事故の影響で宮城産の輸入は禁止していましたが、香港は市場を開けていました」(髙田氏)。自らトラックを運転して、仙台空港に週2、3回ホタテを運んだという。実は宮城産のホタテが海外に輸出されるのはこれが初めてだった。

海外輸出の足場を固めつつある中、次なる挑戦は殻付きカキの輸出だった。香港で市場調査をしていたところ、欧米の殻付きカキは店頭に並んでいたが、日本産は見当たらない。財務省の品目別輸出統計などで調べると、日本からは、カキの身だけの状態である「むき身のカキ」は冷凍されて輸出されていたが、殻付きは皆無だった。「これはチャンスだ」。そう考え、試験的に石巻市で水揚げされた殻付きカキを香港とシンガポールに送ったところ、ダメ出しをくらったという。「口が開いてしまっている」「鮮度が悪い」などとクレームの嵐だった。

これには理由があった。養殖方法の違いである。日本は100年続く垂下式養殖で、カキは種苗から成貝になるまで海の中で育つ。しかし、海外は潮間帯養殖の干潟で養殖する。満潮時には水没し、干潮時には空気にさらされることで、生命力の強いカキに育つ。生きているカキが流通する欧米では一般的な養殖方法だ。「海外のカキは空気中で生きることに慣れているんです。北海道の一部で潮間帯養殖を試験的にやっているところがあったんですが、『売れるぐらいはない』と言われて、いったんあきらめたんです」(髙田氏)

しかし、髙田氏は殻付きカキを冷凍にして輸出するという手法を思いつく。「日本ではカキというと冬季に食べるものと思われがちです。しかし、実が豊富なのは産卵前の5~7月です。この時期の殻付きカキをCASやプロトンなどいくつかの凍結機器で冷凍し、解凍後に試食したところ、生鮮カキと比べて何ら遜色ありませんでした。その後、コンテナでシンガポールへ輸出したところ、非常に高い評価を得ました」。2015年には、シンガポールから60~80トンものコンテナ単位での注文が舞い込むようになり、次第に東南アジア全体にも波及、日本のカキ輸出の新たな市場を切り拓いた。今では宮城県産の殻付きカキは、「宮城オイスター」としてブランドも確立されており、海外でも知名度は高い。

一連の戦略は見事に当たり、2015年には売上高が10億円を突破。震災後に一時離職した元社員10人も約束通り呼び戻したという。宮城オイスターはとくに東南アジアで評価が高く、2019年にはベトナムの高い将来性を見込んで、現地法人「Yamanaka Vietnam」を設立し、宮城県のカキ養殖や衛生管理の技術を広める活動をしている。髙田氏は「ベトナムは平均年齢が若く、食は今後どんどん伸びていくと思います。ベトナム進出の足掛かりを模索し始めた2015年ごろから、4年間、私の通訳を担ってくれていたベトナム人に社長になってもらいました。数年間も僕の話を聞いていたので、すべて分かっています。素晴らしい営業マンになっています」と話す。「Yamanaka Vietnam」は、生産からレストラン経営まで一貫して手掛けるビジネスモデルを確立しており、ベトナムにおける地方創生と生産者の所得向上にも貢献している。

パンデミックで消費者向け商品を開発、「オイスターパテ」が大ヒット

大ヒットとなったオイスターパテ
大ヒットとなったオイスターパテ

しかし、そこにコロナ禍という試練が襲ってくる。飲食店が一時休業・時短となり、カキなどの水産物の動きも鈍くなった。そこで水産加工製造会社の枠を超えて取り組んだのが、消費者に直接訴求する商品の開発だ。「時間があったので、いろんなことを考えることができました。蒲焼とかサバ缶など水産加工品というと和食のイメージがありますが、洋食に合うものが何かできないかと。それでパンに合う水産加工品として開発したのが『オイスターパテ』です」(髙田氏)

地元の飲食店と共同開発したオイスターパテは、農林水産大臣賞を受賞し、メディアにも取り上げられたことで大ヒット。累計で10万個近く売れたという。同社の公式オンラインショップでは、冷凍牡蠣グラタンや冷凍ホタテグラタン、冷凍ホタテチャウダーといった商品も並ぶ。さらには船のプロペラに絡んで邪魔者扱いされ、太平洋沿岸では食用として需要がない海藻「アカモク」に着目し、大学と連携して化粧品や健康食品の原料として活用している。ここには「なければ、つくる」という同社の真骨頂が発揮されている。

コロナ禍を乗り切った背景には、こうした斬新なアイデアに加えて、運にも恵まれたようだ。髙田氏は「食料自給率の低い香港やシンガポールから注文が入り、国内でも飲食店の時短営業で、保存の効く冷凍カキの需要が急増しました」と振り返る。

ベトナムで海外ビジネスモデル確立、東南アジアで事業拡大視野

松島湾の浅瀬を活用した潮間帯養殖は生命力の強い輸出用のカキをつくる
松島湾の浅瀬を活用した潮間帯養殖は生命力の強い輸出用のカキをつくる

逆境を機動力と革新的なアイデアで乗り越えてきた髙田氏だが、今度は外部の環境要因という壁が立ちはだかった。2023年8月に福島第一原発のアルプス処理水の海洋放出を巡り、中国が反発して日本産水産物の輸入停止に踏み切ったことで、北海道のホタテが国内に安価で大量に流通して価格が下落。さらに温暖化の影響で水温が上昇し、ホタテが死滅する事態が同時に発生した。「冷たい海の海洋生物であるホタテが生息できるのは、宮城県が南限と言われています。しかし、2023年あたりから夏季の水温が28度とか、29度になってしまったようなんですね」(髙田氏)。ホタテは同社の売り上げの約7割を占めており、大きな打撃を受け、2024年に約14億円あった売上高は10億円を割り込む事態となった。

だが、髙田氏は次の一手を打ち始めている。生鮮水産物の輸出だ。「魚類やウニなどの生鮮水産物をベトナムなど海外に送っています。当初は伸び悩んだが、昨年度の売上高はベトナム一カ国で1億5000万円と予想以上に成長しています」。温暖化に対しても手をこまねいているわけではない。高温耐性のあるホタテの種苗の研究にも取り組んでおり、髙田氏は「社会実装するのはまだ時間がかかります。でも高水温耐性のあるホタテを作る技術はあるので、やろうと思えばできます」と挑戦意欲を隠さない。

同社は世界13カ国に輸出実績があり、売り上げに占める輸出の割合は約75%。海外の取引は市場のオークションを介さず、品質を評価してもらったうえで、相対で価格交渉を行うため、安定した価格での取引が可能だという。「国内市場よりも高い価格で販売できるので、生産者にもその利益を還元することができます」(髙田氏)。これが海外輸出に力を入れる理由の一つだ。今後の海外展開で軸となるのは「Yamanaka Vietnam」の成功体験。将来的には、東南アジアに新たな現地法人を設立することも視野に入れているという。ベトナムで確立したビジネスモデルを東南アジアに広めていくという髙田氏の新たな挑戦は始まったばかりだ。

企業データ

企業名
株式会社ヤマナカ
設立
2008年8月
資本金
1600万円
従業員数
30人(2026年6月1日現在)
代表者
髙田慎司 氏
所在地
宮城県石巻市幸町1-38 ヤマナカビル3F
事業内容
食料品輸出入業・水産加工品製造業