2026年 7月 21日
お好み焼きソースで全国トップの売上を誇るオタフクホールディングス。2025年度の売上高は325億円、グループ全体の社員数は951人で、中国、米国、マレーシアに生産拠点を持ち、約50カ国に輸出するグローバル企業へと成長した。ただ、同社の歩みは単なる食品メーカーの成長物語ではない。同社の佐々木茂喜会長は「ソースを売るのではない、家族団らんの象徴としてのお好み焼き文化を売る」と言う。いわゆる“モノよりコト売り”の考えを早い段階から採り入れてきた。経営に参画する親族間の争いを未然に防ぐために「家族憲章」を作成するなど、同族経営の負の側面を排除する工夫も講じてきた。同社の軌跡は、成長を目指す中小企業に大きな示唆を与えるものだ。
戦争で全事業を失い、ソース事業に再起をかける

同社は1922年に佐々木清一氏が、広島で醤油類の卸と酒の小売業の佐々木商店を創業したのが始まり。清一氏は、商売で儲けたいというより、生き方や人としてのあり方を尊ぶ人だった。酢の醸造を始めた時は、寿司職人の要望を聞き、店ごとに味を調整して届けるなど、お客様の声を大事にする商売を心掛けた。戦争で原子爆弾が広島を襲い、清一氏も事業のすべてを失った。再起をかけて戦後に新しい商売としてソースづくりに取り組んだ。広島には「一銭洋食」というお好み焼きの元祖とも言える食べ物が屋台で売られるようになっていた。その後大人の食べ物「お好み焼き」として発展していった。この時も一軒一軒回って店主の要望を聞き、お好み焼きから流れ落ちず辛すぎないソースを開発した。これが「オタフクお好みソース」の始まりとなった。

ソース会社としては後発だった同社だが、5合瓶で売られていたソースを、小容量の容器に変更したり、甘味を加えるためにデーツ(ナツメヤシの果実)を使用したりするなど、さまざまな工夫を凝らし、お好み焼きソースとしての存在感を増していった。その間に、会社経営は清一氏から三男の勉氏、四男の繁明氏、五男の照雄氏、六男の尉文氏へと受け継がれていった。1978年に現在の本社工場のある広島市西区商工センターに移転し、業界に先駆けて紙容器入りのソースの製造を始めた。その後ユニオンソース株式会社(栃木県日光市)と業務提携し、関東に製造拠点を獲得するなど、着実に規模を拡大させていった。
広島のお好み焼きソースから、全国展開へ
広島のお好み焼きソースから、日本のお好み焼きソースへと飛躍を遂げるために、同社はさまざまな決断をした。同社二代目の勉氏の次男である佐々木茂喜氏(現会長)は、地元の大学を卒業して1982年に同社に入社し、本社工場でソース製造に従事していた。会社には自分の兄がおり、いとこもたくさんいたため、自身が後継者になることはないと考えていた。「日本一のソース職人になる」と周囲にも宣言し、製造畑一筋で働くと決めていた。ところが、当時の大阪支店長が病に倒れた時に、「茂喜氏を自分の後任にしてほしい」と言われ、思いがけず大阪支店長に抜擢された。粉もの文化の中心地で、ソースの大消費地である関西で広島のお好み焼きソースをどう売っていくべきか。苦闘が始まった。
大阪に着任して半年後に、阪神・淡路大震災が発生した。茂喜氏は支店の社員とともに、週末ごとに避難所を回り、焼きそばの炊き出しをしていった。茂喜氏は「絶対にうちの社名を出すな。トラックも遠くに止めて分からないようにしなさい」と指示した。売名になるような行為をすべきではないと考えたからだ。しかし、徐々にその活動がコープこうべ(生活協同組合コープこうべ)の理事長の目に留まるようになった。純粋なボランティア活動をする姿勢が評価され、生協との取引が始まった。コープこうべには、全国の生協から多数の社員が研修に来ており、生協ルートでの販売は全国へと拡大していった。
「まぜ焼き」を選択する決断

一般的に関西のお好み焼きは、お好み焼き粉やキャベツ、卵などの具材をまぜてから鉄板で焼く「まぜ焼き」、広島のお好み焼きは、鉄板に生地を薄くクレープ状に広げ、その上に大量のキャベツ、天かす、もやし、豚肉などを重ねる「重ね焼き」と、焼き方が異なる。重ね焼きはキャベツの甘味が感じられておいしいが、大きなコテでひっくり返すのに技術が必要で、家庭で焼くのは難しいとされていた。茂喜氏は「全国でお好み焼きソースを広めるには、まぜ焼きの方が適している」と考えた。そして、お好み焼粉や天かす、青のりなどをワンパッケージにした「お好み焼こだわりセット」を開発、ソース売り場の横に置いてもらうよう店舗に働きかけた。この決断は、本社や地元広島で大問題となった。「お前は大阪に心を売ったのか」「セットにしても売れるわけがない」など、散々な言われようだった。
最初に火が付いたのは静岡だった。同社の静岡営業所の社員は2、3人と小規模だったが、スーパーの店舗で、お好み焼きを試食販売したところ、こだわりセットとソースが一緒に売れていった。静岡にお好み焼きを自宅で作る習慣はなかったが、これなら手軽に作れると思ってもらえた。当初は売れるわけがないと思っていた同社の社員たちも、静岡での実績を見て、本腰を入れてこだわりセットを販売するようになった。ちょうどその当時、スーパーは、商品の配置を、食材別からメニュー別にまとめるやり方へと移行させようとしていた。お好み焼きの提案は、その変化にもうまく乗ることができた。

もう一つ、同社がこだわったのが、安売り競争に巻き込まれない販売戦略だった。営業担当者はライバルメーカーが値引きをしてもそれに追随することは許されなかった。消費者に安全・安心な材料を使っていることには自信があった。だからその価値に見合った価格で販売することを徹底した。店のバイヤーを接待することもさせなかった。こうした姿勢が嫌われて出入り禁止になる取引先もあった。一方で、社員自ら店舗でお好み焼きを焼いて、お客様に食べてもらったり、販促企画を店舗に提案したりという提案営業には力を入れた。だんだんと消費者からも「あの会社のソースはちょっと高いけれど、おいしいよね」と評判を呼ぶようになり、店側も同社との取引継続を求めてくるようになった。同社のお好み焼きソースは現在、全国のスーパーの95%以上の店舗に並ぶ全国ブランド商品となり、お好み焼きソースで全国トップの売上を堅持するまでに成長した。
お好み焼き文化の継承
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Wood Eggお好み焼館 -

お好み焼き店を開業する人向けに研修を実施
同社は2008年に、本社工場の近くにたまごのようなドーム型の外観の「Wood Eggお好み焼館」を開設した。お好み焼の歴史や文化を見て・知って・体験できるお好み焼の情報発信拠点と位置付けている。館内には、お好み焼の歴史や文化を紹介する博物館「おこのミュージアム」など、見ごたえのある施設が揃えられている。修学旅行生や地元の学校の生徒たちが、お好み焼きづくりを体験できるコースや、お好み焼きやたこ焼きの店の開業を考える人を対象とした研修施設としての機能も持つ。茂喜会長は「私がオタフクソース社長に就任した2005年は、食品偽装問題が世の中で騒がれるなど、食の安全・安心が問われていた時代だった。Wood Eggお好み焼館は、金融機関から『利益を生まない施設』と言われたが、当社の食に対する考え方、家族団らんの象徴としてのお好み焼き文化を大切にしたいという想いを、世の中に伝えるために、是非作りたいと考えた」と開設の狙いを語る。同館には、国内外から毎年約2万人が来場し、お好み焼き文化やオタフクブランドを人々に定着させる役割を果たしている。
海外展開 米・中・マレーシアで生産

同社は2013年に中国・青島、米国・ロサンゼルスでソースの現地生産を始めた。その前から輸出は行っていたが、2011年の東日本大震災とその後の福島第一原発事故により、日本産の食材の輸出が困難になっていた。円高で輸出では採算が厳しい状況でもあった。米国にいる経営幹部から「米国市場を開拓するには現地生産が必要」という訴えもあり、決断した。中国は、中国人の事業パートナーの強い勧めがあった。両工場には、日本と同じように鉄板を設置し、見学ルートも設けている。来客には、お好み焼きを食べてもらい、味を楽しんでもらうとともに、現地の食材に適した味づくりのヒントをもらうようにしている。2016年にはマレーシアでの生産も始めた。マレーシア工場はハラル認証も取得し、イスラム圏への輸出拠点としても活用している。
2023年に広島で開催された「G7広島サミット」で、各国首脳がお好み焼きを堪能した他、イギリスのスナク首相が、同社でお好み焼きづくりを体験する姿は世界に発信された。広島を訪れるインバウンドの多くもお好み焼きを楽しみ、お土産にお好み焼きソースを購入していく姿も見られるという。同社はこうした需要に対応するため、ハラル認証ソースだけでなく、ヴィーガン(完全菜食主義者)用のソースも開発している。
同族経営の利点を引き出す「家族憲章」
同社を語るうえで、欠かせないのが「佐々木家家族憲章」の存在だ。茂喜会長は、家族憲章を作成するに至った経緯をこう説明する。「私は創業者から3代目にあたる。子ども時代は創業者と一緒に生活していた記憶もある。しかし、これから4代目、5代目となれば創業者の考えもだんだんと受け継ぐのが難しくなる。世間で同族経営が公私混同やワンマン経営で失敗に終わる例もたくさん見てきた。長期的な事業承継のためのしっかりとした仕組みや決まりを確立しなければならない」。当時社内で創業家の人間が11人いたという。経営幹部に個別に聞くと「この会社は佐々木家のもので、われわれは使用人」など、耳の痛い話がどんどん出てきた。社員に就業規則があるのなら、創業家にも家業に対する理念や行動規範を課すものが必要と考えた。
家族憲章は、茂喜会長と同じ3世代目のいとこ8人で制定にあたった。しかし、会議は「毎回大荒れ」だったと言う。株保有のあり方や経営に参画する者の制限など、機微に触れる課題が山積みだったからだ。3年かけて2015年に作り上げた家族憲章は、「株は八家が均等に保有」「株主も会社に入社できる創業家メンバーも各家1人まで」など、細かく規定されたものとなった。茂喜会長は「日頃から顔を合わせる関係だから、作ることができた」と言う。茂喜氏自身も、憲章に則って65歳で社長から代表権のない会長となり、社長をいとこの直義氏に譲った。また、オタフクソースの社長には同じくいとこの孝富氏が就いた。
同社のグループ企業のいくつかは、すでに佐々木家以外の社員が社長に就任している。茂喜会長は「いずれはホールディングスの社長も佐々木家以外から就くこともあるかもしれない。そうなれば、経営と所有の分離が完成する。ただ、何か大きな問題が起こった時に、決断ができるのは、創業家だからという思いもある。いずれにしろ、家族憲章は5年に1度見直していくことにしている。今後は、私たちの次の世代が考えていってもらいたい」と、経営の姿を次代に委ねることにしている。
「佐々木家家族憲章 要旨」
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株式は八家が均等に保有する
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会社に入社できる創業家メンバーは各家1人まで
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株主となる者も各家1人まで
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重要事項は多数決ではなく全員合意を原則とする
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グループ企業の取締役は過半数を創業家以外で構成する
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経営者は65歳で現役を退き、顧問・相談役へ移行する
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給与は基本給(平等)+役職給(公平)
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退職金は基本額(平等)+貢献給(公平)
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年4回のファミリー会を開催し、一族の価値観を共有
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後継者は世間が決める「何を変えたか」「何を始めたか」「誰を育てたか」
良い環境で人を育てることが、会社の成長につながる

同社の新卒採用時には、毎年1000人近い応募者が集まるという。採用時に多くの新卒者が配属先として希望するのが「お好み焼課」だ。お好み焼課は、お好み焼きの普及活動や、お好み焼きをはじめとする新メニューの開発を行う部署。同社は店舗でソースを売る時に、営業部員が焼き方を実演することが多い。焼き方がバラバラでは、味にも差ができてしまう。そこで、会社として最もおいしい焼き方を決め、それを全国に普及させることにした。お好み焼課は、その焼き方の開発や普及を担っている。そして、「お好み焼士」という社内制度も設け、初級のインストラクター、中級のコーディネーター、上級のマイスターと3つのランクがある。インストラクターは社員の多くが取得しているが、マイスターは現在3人しかいない超難関で、社員にとってもあこがれの仕事だという。

同社の新入社員は、キャベツ農場で苗の植え付けから収穫までを体験する研修に参加する。お好み焼きにとって最も重要な食材であるキャベツについて、より深く学ぶためだ。また、同社の厚生施設の「清倫館」を使った宿泊研修では、かまどや鉄板のある土間で、自分たちで収穫した農作物や魚を使って自炊をする自給自足生活を体験する。最低限の設備の中で、仲間と苦労を共にしながら作業することで、チームワークを高め、人としての五感を磨くことを目指している。
同社はパート社員の正社員への登用や、社内保育所の整備など、働く人の意欲を引き出す施策に率先して取り組んできた。また、中小企業大学校に毎年多数の社員を派遣し、経営スキルを学ぶ機会を提供している。茂喜会長は経営の最重要テーマに「人材育成」と「環境整備」を挙げる。良い環境で人を育てることが、会社の成長につながると信じ、それを実践している。
利他の心とイノベーション

同社は戦後の混乱期を経た後は、売上高を順調に伸ばしていった。1994年に売上高100億円を達成、コロナ禍においても巣ごもり需要効果で成長を続けた。2025年度の売上高は325億円で、海外売上比率も約20%にまで拡大した。順風満帆に見えるものの、その航路は決して穏やかなものではなかった。創業以来、真摯に顧客の声に耳を傾けて安全・安心な商品開発に取り組んできたこと、安易な価格競争に巻き込まれず知恵と工夫で市場を開拓してきたこと、同族経営の負の側面を排し家族経営の良さを引き出すルール整備を進めたこと、社員の意欲を引き出す経営を重視したことなど。口で言うのはたやすいが、実践するにはどれも強い覚悟と忍耐が求められることに、愚直に取り組んできた結果にほかならない。
茂喜会長は「私は日々の経営において『利他の心とイノベーション』このふたつのことしか頭になかった。自分たちの事業が世の中の役に立っているのかを世の中に問い続けること、人材育成と環境整備を怠らないことをよりどころとしてきた」と言う。今後100億を目指す企業に対して「AIが普及する時代だからこそ、『感性を磨こう』と言いたい。直感ははずれることがあっても、違和感ははずれないもの。何か怪しいなと感じる力が重要だ。五感や六感を磨いてもらいたい」とエールを送る。グローバル企業へ成長した今も、茂喜会長の視線は数字ではなく、人に向けられている。創業者から受け継いだ理念を土台に、人を育て、食文化を育て、社会とのつながりを育てる。同社の姿勢は、100億を目指す企業にとっても指針になるものだ。
企業データ
- 企業名
- オタフクホールディングス株式会社
- Webサイト
- 設立
- 1952年(創業1922年)
- 資本金
- 1億円
- 従業員数
- 951人(グループ全体、2025年10月時点)
- 代表者
- 佐々木直義 氏
- 所在地
- 広島県広島市西区商工センター7丁目4-27
- 事業内容
- ソース、酢、たれ、その他調味料の開発・ 製造・販売




