2026年 8月 28日
大阪城は常識にとらわれない柔軟な発想力で天下統一を果たした豊臣秀吉が築いたとされる。その近くで産声を上げたIT企業が秀吉さながらの常識を覆す経営改革に挑んでいる。かつて「コンピュータ技研」の名で、大手メーカーの下請け仕事を堅実にこなしてきた同社は、4代目の代表取締役として松井佑介氏が就任して以来、その姿を劇的に変えた。今年1月に社名を「世界に0をONする株式会社」(ゼロオン)に刷新し、中小企業のDX(デジタルトランスフォーメンション)支援や地方創生、さらには給与自己申告制度や漫才部の運営など、IT企業の枠に収まらない挑戦を続けている。同社は「継続と革新の連鎖」を掲げ、中小企業が持続的に成長するモデルケースとなることを目指している。
ベンチャーの真似はご法度、スモールビジネスで勝負

「私たちはベンチャーではなく、中小企業です」。松井氏はこう強調する。松井氏は一時、東京・六本木や渋谷界隈のベンチャーの経営者たちと交流を持っていたことがある。ベンチャーの経営者たちから学ぼうと思ったのだ。「ベンチャーの真似をしようとしていました。ベンチャーの経営者たちに『今、ベンチャーぽいことをしている』と言ったら笑われたんですよ。『違うで』と。やはり我々は我々の道を行かないといけないんだと気づきました」
松井氏には、当時のベンチャー経営者は短期で資金を集め、その資金で実現したいサービスを具体化できる人材を外部から集めて一気呵成にマネタイズし、短期間でのIPO(新規上場)やM&A(合併・買収)を狙っているように映ったという。これに対し、ゼロオンは社内の社員のリソースを生かしつつ、短期的な急成長を狙うのではなく、自分のペースで収益を出し続けるスモールビジネスに重きを置いている。松井氏はベンチャーと中小企業の違いは、まさにここにあると思ったという。
松井氏は「『成長している中小企業と言えば、ゼロオンさんですよね』と言われるような企業を目指しています。中小企業の成長のベンチマークとなり、会社訪問させてください、と言われるようになったら、うれしいですね」と話す。
下請けマインドに強い違和感、脱却を模索
ゼロオンの前身であるコンピュータ技研は、1983年に松井氏の父である準策氏、初代代表取締役の2人が立ち上げた。2人は、税務職員だった準策氏が転職した先のIT企業で出会った仲間だ。初代代表取締役は病気のため数年で逝去し、その後は準策氏、コンピュータ技研初の新卒採用社員だった現取締役会長の由留木達夫氏に続き、松井氏が4代目としてバトンを繋いできた。
松井氏が広告会社やカメラマン助手を経てコンピュータ技研に入社したのは2005年。同社は長らく大手ITベンダーからの下請け仕事を主軸としてきたが、松井氏は当時の社内風土に強い違和感を覚えたという。「クリエイティブな仕事をしてきたせいか、若手が集まって『元請けから無理難題を言われた』と文句ばかり言っているのが、すごく苦痛でした。まったく生産性がないところだと思いました」と松井氏は振り返る。
この経験から、松井氏は代表取締役就任後も、社員が主体的に動けないのは「下請けマインドにある」と感じていたが、「下請けマインド脱却へ」と叫ぶばかりでは何も変わらなかった。松井氏は「下請けマインド脱却とはどういうことかと紐解く必要がありました。そこで行き着いたのが『お客様の当初の期待を超える価値提案ができる人材になる』ということでした」と話す。この意識は社員に徐々に浸透し、現在の同社の成長エンジンである新たな価値創造ビジネスの創出へと結びついていったのである。
挫折の連続、コーチングと出会い意識変化

松井氏の経営哲学の源流にあるのは、29歳のときに出会ったコーチングだ。クリエイティブな仕事に憧れて大学時代にはコピーライターのアルバイトに勤しみ、その縁で広告プロダクションに内定したが、「もっと大きな広告代理店へ行け」と父親から言われて紹介された広告代理店に入社。しかし、仕事が面白くないと感じて半年で退職し、カメラマン助手として4年間丁稚奉公するも、取引先から冷遇されたことをきっかけに辞めることになり、その後は配達のアルバイトをしていた。そんなとき、コンピュータ技研の当時の常務から声がかかり、同社に入社することになったという。松井氏は「様々な挫折を経て、転がり込むようにこの会社に入社しました」と振り返る。
だが、入社後も試練は続く。総務担当になったものの、上司も部下もいないうえに仕事もなく、孤立していたという。そんな状況を打破しようと飛び込んだのがコーチングだった。そこで「松井さんのすべての原因は、一度も人生を自分で決めていないことですね」と指摘され、涙が止まらなくなったという。この瞬間から松井氏は自分で意思決定することを強く意識するようになった。会議でも忖度なく発言し、元請け企業からの不当な価格交渉やパワハラ的な対応についても、毅然とモノを言うようにしたところ、周囲の目も変わってきた。
「2016年に新しいことに挑戦しようということで、イノベーションチームを立ち上げました。2018年に理化学研究所が毛髪診断コンソーシアムというのを立ち上げたときに、参加したいと手を挙げたところ、アデランス、京セラ、ダイキン工業、ヤフーといった、そうそうたる大手が揃うなか、唯一中小企業で選んでいただきました。理研によれば『真っ先に手を挙げたのがコンピュータ技研さんだったので』ということでした」(松井氏)
松井氏は、コンソーシアムでは同社が最も働いたと自負している。「大手からは『このコンソーシアムはコンピュータ技研さんがいなかったら、回らなかったね』と言われました。これをきっかに戦うフィールドを変えたら、『もっといけるんちゃうか』と思いました」。この経験が後の松井氏が事業を行ううえで一貫して重視している「独自化」につながっていくのである。
代表取締役に就任し企業理念を刷新
同社の牽引役となった松井氏が代表取締役に就いたのは2020年。「若い子が『会社ってあまりドラスティックに変わらないよね』と言って辞めていってしまうのはつらいことでした。『今(会社を)変えてほしい。それだったら僕が代表になるべきだ』と思い、父親や当時の由留木代表取締役と交渉して3度目で認めてもらいました」
代表取締役に就任して真っ先に取り組んだのが、企業理念の刷新を話し合う委員会を立ち上げることだった。社内募集で集まったメンバーは十数人。ある時、松井氏が入社当時から温めていた「0をONする」というキーワードを提案したところ、メンバーから「めっちゃいいじゃないですか」との声が上がったという。そこで生まれたのが「世界に0をONする株式会社」という社名だ。
「0」をまだ見ぬ価値や可能性の原点と位置づけ、何もないところに新しいビジネスを立ち上げたり、すでにある経営モデルを一から作り替えたりすることを意味する。コンピュータ技研時代の人を大切にすることや、顧客・社会への貢献といった根本的な理念も引き継いでおり、松井氏は「僕らも会社を変えようとやってきましたが、変えちゃあかんという部分もめっちゃあるなと思っています」と指摘する。
給与自己申告制度を導入、離職率が低下

松井氏の「独自化」路線を象徴しているのが、社員が給与を自己申告する「オーナーシップ制度」だ。社員が半期ごとに希望年収を申告し、面談で本人が納得するまで話し合いを繰り返して給与を決める。この制度を導入したのは松井氏が取締役時代の2019年。「社員の個性を尖らせ、磨いていくには、それを表現させて、それに見合う対価を支払う仕組みにする必要がある」(松井氏)と考えたからだった。
「昔だったらもう辞めてしまったかもしれない優秀な若者が、攻めの給料を宣言して、それに見合う活躍をするという事例が出ています。『新しいことにチャレンジします』と宣言して、実行してくれるというのは会社の成長にとっても大きい」と松井氏はその意義を強調する。この制度導入を機に、エンジニア自らが顧客に対して価格交渉を行うようになるなど、組織全体に自発的な動きが定着していった。
制度導入の初年度は、人件費が約3000万円増加したが、それ以上に売上高が伸びたため、利益は下がらなかったという。2019年以降、売上高は18億~19億円と横ばいだが、松井社長は「会社が生み出している付加価値額は約7000万円増加し、平均賃上げ率は10%以上上昇しました。目標は社員の平均年収650万円。下請けから始まった我々が、この水準の年収になったら結構胸を張れるのではないかと思っています」と話す。この制度は離職率の改善にも貢献しており、10%超だった離職率は現在3%程度まで低下したという。
新価値創造室発足、独自サービスを開発

松井氏が重視する「独自化路線」を牽引しているのは、「新価値創造室」だ。2016年に松井氏が立ち上げたイノベーションチームが源流で、発足当初は一人しかいなかったエンジニアは現在10人程度に拡大した。松井氏は「経営理念とも照らし合わせつつ、独自性を持ってサービスを開発しています」と胸を張る。
ここで生まれたのが、学生と社会の接点を創出し、若者と企業の変容(成長)を目指すWebサービス「atteyaa(アッテヤ)」と、住民の声をIT・DXの力で集約・分析し、政策決定プロセスを迅速化する「行政向け公聴業務DXサービス」だ。
アッテヤは単なる採用プラットフォームではなく、若者が企業のコミュニケーションを通じて持続可能なキャリア形成の可能性を探ることが目的だ。甲南大学と連携し、アッテヤを活用して、中小企業が主催する課題解決ワークショップや従業員とのお茶会などへ学生の参加を促し、交流を図ることで「大企業志向」や「ブランド志向」からどのような変化が生まれるかを探る実証実験などにも取り組んだ。
公聴業務DXサービスは、未開拓領域への挑戦である。行政機関や議会などが政策を決定する過程で、住民や専門家などの意見を公式に聴く「公聴」のデジタル化を図ろうという取り組みだ。「実はここにはイノベーションは起こっておらず、ブルーオーシャン」(松井氏)であり、同社は開発した公聴プラットフォームの売り込みに力を入れている。

もう一つ同社の成長の牽引役として忘れてはならないのは、中小企業向けDX支援だ。そのアプローチは一般的なITベンダーとは一線を画している。いきなりデジタルツールを提案するのではなく、「その企業にとって今後の成長のために本当に大事なことは何か」という本質的な問いから対話を始める。組織コンサルティングの形で顧客と深く関わって、「価値創造パートナー」として伴走し、経営の根幹に踏み込むことで、顧客とともに成長する関係を築いている。
実は2018年に発足した「漫才部」も同社のビジネスの成長に貢献している。35周年の社員旅行をきっかけに松井氏と社員の2人でネタを書いて始めたこの漫才部は、今やプロの漫才師を講師に迎え、M-1グランプリで2組が1回戦を突破するほどに本格的な活動に成長した。部員は社外を含めて十数人。社内で定期的に開催される漫才ライブには、同社の顧客も多数来場し、取引先との関係を強化する舞台装置にもなっているほか、新規の顧客獲得に貢献しているという。「笑い」がビジネスを生んでいるのである。
地方で若手成長、会社の主役は社員

同社は地方展開にも力を入れている。現在の地方拠点は佐賀、石垣島、静岡・伊東、愛媛・西条の5カ所。ここには地方の課題と向き合うことで、自社の新しい魅力や不足しているリソースに気づき、地域と企業がともに成長していく好循環を作っていこうという狙いがある。地方拠点に赴任する社員はすべて自発的に手を挙げた20代の若手だ。各拠点には管理職を置かず、若手社員にすべての裁量を委ねている。松井氏は「地方では若くして地元のビジネスコミュニティに交じり、経営者とも繋がることができる。東京や大阪では経験し難いと思います。一国一城の主としての意識が芽生え、人間的な成長スピードが早い」と指摘する。
また、社員の可能性を広げるために積極的に取り組んでいるのが「社外留学」だ。デザインに興味を持つエンジニアをデザイン会社に修行に出したり、地方創生を学ぶために他社に派遣したり、ミャンマーのIT企業に2年間駐在させたりと、これまでに4人が社外での経験を積んでいる。
松井氏は「会社の主役は社員であるべきです。経営者としては、社員個人の可能性を最大化できるような機会をどうやって生み出すかに尽力したいと思っています。社員が自分の頭で考えて、自分の意思でやったことについては、失敗しても仕方がない。父親も『自分で考えろ』が口癖で、コンピュータ技研時代からそういった文化は根付いていたと思います」と力説する。松井氏は失敗を恐れず、挑戦を続ける社内風土を作り上げようとしているのである。
松井氏は浅羽茂氏と山野井順一氏の著書「ファミリー企業の戦略原理 継続と革新の連鎖」に感動し、同社の中期的な経営のテーマとして「継続と革新の連鎖」を掲げている。創業の精神を守りつつ、変えるべきは変え続けるというこのテーマは、変化を恐れるあまり、なかなか一歩を踏み出せない中小企業にとっては、まさに羅針盤となる言葉だ。同社の成長の始まりは画一的な働き方や古い慣習に「これでいいのか」と一石を投じたことだった。若手の挑戦する姿勢を何よりも大切にし、それが自社の成長にもつながるという松井氏の信念は、同社の魅力をますます高めていくに違いない。
企業データ
- 企業名
- 世界に0をONする株式会社
- Webサイト
- 設立
- 1983年1月
- 資本金
- 3080万円
- 従業員数
- 130人(2026年8月1日現在)
- 代表者
- 松井佑介 氏
- 所在地
- 大阪市都島区片町2-8-1 CTLゼロオンビル
- 事業内容
- ソフトウェア開発、インフラ構築、ERP導入支援、スマホアプリ開発、中小企業DX支援、ソーシャルビジネス



