2026年 7月 31日

菊池洋一代表取締役社長

仙台空港に隣接する宮城県岩沼市の臨空工業団地に日本の食文化の未来を変えようと挑戦を続けている企業がある。レトルト食品メーカーの株式会社にしき食品だ。カレーを中心にレトルト食品のおいしさを追求し、味に妥協しない姿勢を貫き続けたことが売上高100億円達成の原動力となった。同社の「中興の祖」である父親、菊池洋氏(現会長)の「やってみっか」精神を継承する菊池洋一社長は、「自社ブランド強化」と「海外展開」「カフェ事業」の3本柱を軸にさらなる飛躍を目指す。

手作業を重視、素材にこだわり

手作業と機械による自動化のハイブリッド形式でレトルト食品を生産

2020年に建設された空港南工場(岩沼市)には、レトルト食品の製造工程を見学できる通路が設けられている。そこでは従業員が手作業でレシピに従って原材料を計量したり、ソースづくりにいそしんだりする一方、完成したレトルトカレーが機械で自動的に箱詰めされていく様子を見ることができる。製造工程は原材料の計量から始まり、ソースの製造、パウチへの充填、レトルト殺菌、出荷と流れていく「一方通行設計」となっているが、これは作業動線を一方向にして生産の効率化を図るとともに、品質管理を徹底するためだ。2022年には同じ敷地内に第二工場が新設され、月間の生産能力は岩沼工場を含めて当時の1.5倍の約600万パックに増強されている。

最近の工場は機械による自動化が進んでいるイメージがあるが、同社の工場は従業員による手作業も重視しているのが特徴だ。実はここに「おいしさ」の秘密がある。直営統括部ブランディング課の森智恵主任はその理由について、「商品は約600種類作っています。原材料は1000種類ほどになりますが、スパイスだけでも100種類以上、塩も3種類使っています。具材が数種類入る場合は、手作業でも計量します。こうした多品種のレシピに対応するには、手作業で処理するのが一番確実なんです」と説明する。

同社の事業の柱は自社ブランド「NISHIKIYA KITCHEN」と、大手雑貨店をはじめとする「OEM」(相手先ブランドによる生産)だ。自社ブランドでもOEMでも素材に徹底的にこだわるのが同社の真骨頂だ。菊池社長は「手作りで料理を作って、それを家庭に持っていくための器がレトルトという感覚です。具材もしっかりと入れて、料理を作って提供しているという思いでやっています」と強調する。

父親から届いた便箋11枚、経営者への覚悟示す

菊池洋代表取締役会長

菊池社長が同社に入社したのは2013年、29歳のときだった。営業担当や商品開発企画担当などを経て、2025年3月に社長に就任した。菊池社長は物心ついたころから、父親が自分の後継者として育てたいとの思いを抱いていたのをひしひしと感じていたという。「小学生の頃から、会社に連れていかれたり、工場を見学したり、ファミリーレストランでは『これがお父さんが作っているスープだぞ』と教えられたりしていました」(菊池社長)

大学卒業後は、父親がにしき食品に入社する前に勤務していた大手印刷会社に就職した。「大手印刷会社で修行して成長して、にしき食品に入れたらいいかなと思って就職したんですが、取引先との関係も良く、社内表彰ももらえるぐらいになって、仕事が面白くなってきたんです。5年目に父親から『戻って来い』という話がきましたが、断りました」。しかし、後に父親から11枚の便箋が入った手紙が届いた。「今の会社で成果を上げることも尊い経験だが、自ら事業を率いる『経営者の視点』は、実際にその立場に立たなければ養えない。次の世代の経営者として成長したいなら、俺がまだ現役で働けるうちに来てほしい」。そんな内容だった。この手紙で覚悟を決め、にしき食品への入社を決断した。

最初の試練は入社翌年の2014年に手掛けた中国事業だった。大手雑貨店から「中国国内でレトルトカレーを売りたい」との要請を受けたが、福島第一原発事故の影響で、東北地域からの輸出は不可能だった。中国のレトルトメーカーと共同で商品を開発することになったが、「日本と中国ではスパイスの香りも違うし、パッケージや物流の手配など、すべてゼロからの準備でした」(菊池社長)。苦闘の末、“中国産レトルト”の発売にこぎつけたが、「ゼロからイチを創り出すことの大変さ」を身に染みて感じたという。この経験は経営者となった今、新規事業などに取り組む際の意思決定に生かされているという。

おいしさを追求、食品添加物に頼らない味づくりを目指す

新ブランド名「NISHIKIYA KITCHEN」を掲げる空港南第二工場

にしき食品の歴史は、戦前の1939年に佃煮製造業として創業したのが始まり。1975年にレトルト食品への参入を視野にレトルト殺菌装置を導入したものの、レトルト食品を開発する技術がなく、経営危機に陥った。その装置を同社に納入したのが大手印刷会社の社員だった父親の洋氏だった。洋氏は2代目社長に懇願され、1981年に入社。当時の社員数はわずか4人だった。洋氏の入社をきっかけに同社は業務用レトルト食品に軸足を移した。

「ファミリーレストランなどは大手メーカーが作る業務用レトルトを仕入れていたからだと思いますが、カレーの味はどのお店に行っても同じだったそうです。うちは御社オリジナルの味を作りませんかと提案して回ったと聞いています」(菊池社長)。当時はファミリーレストランや弁当チェーンが急速に増えていた時代。大手メーカーが提供する業務用レトルト食品は数トン単位の発注が基本だったが、にしき食品は小ロットの200キログラム単位でオリジナルカレーを作ると提案した。この小回りの利く生産体制が差別化を求める外食チェーンのニーズに合致し、取引が拡大していったという。

2002年には同社の素材へのこだわりの象徴である「食品添加物に頼らない味づくり」に取り組む。当時は健康志向や無添加に対する世間の関心は低く、それが花開いたのは8年後。「信じていたんですね。おいしいカレーを作りたい、おいしいレトルトを作りたいと、いろいろと研究していたら、最終的に無添加で作ったカレーのほうがおいしかった。ブレずにおいしいものを作ろうとやっていたら、いつの間にか食品添加物に頼らない味づくりになっていった。それが今でも続いています」(菊池社長)

同社には現在100種類以上の自社ブランド商品があるが、その原点は2009年に本社玄関前の小さなスペースで長テーブルを並べて始めた直売だ。コロナ禍の2021年、自社ブランド事業の売り上げの増加を機に、ブランド名を「にしきや」から「NISHIKIYA KITCHEN」へと刷新した。「日本中にブランドを広めたかったというのが理由です。社員全員で力を合わせて少しずつ積み上げるという文化祭的な雰囲気で『にしきや』ブランドを作ってきたのですが、もうワンステージ次の段階に行こうと考えた結果です」(菊池社長)

100億円突破の原動力は商品開発力、その根幹はインド研修

にしき食品の武器は商品開発力。自社ブランド商品は100種類を超える

同社の成長の最大の原動力は、1975年のレトルト食品参入以来、おいしさを追求し続けてレトルト食品を開発してきたことにある。現在はリニューアルを含めて年間15~20種類の新商品を発売しているが、同社のヒット商品で真っ先に浮かぶのは2014年発売のレモンクリームチキンカレーだ。その前身は大手食品雑貨店向けに開発したレモンチキンカレーで、当時、東京支店の営業マンだった菊池社長は「追加注文が止まらなくて、当初予定の5倍くらい売れました」と振り返る。自社ブランドでもレモンを使った新しい味わいとして開発したのがレモンクリームチキンカレーで、今では同社の一番の人気商品になっている。

実は同社の歴史上、最大のヒット商品は大手雑貨店の依頼を受けて開発したバターチキンカレーだという。菊池社長は「弊社の営業マンがたまたま東京のインドカレー屋で偶然出会ったのがバターチキンカレーでした。当時の消費者の認知度はおそらく0.1%程度。試作品を作って先方に提案したら、『これはいい』と2009年に発売に至りました。今はバターチキンカレーを知らない人はほとんどいないと思いますが、開発して広めた一翼を担った、という矜持はあります」と力説する。

毎年、従業員を対象に実施しているインド研修

一連の同社の商品開発力を支えているのは、毎年実施しているインド研修だ。日本の約9倍の面積を持つインドでは、地域ごとにカレーの作り方が異なる。本場の多様なカレー文化を体験し、その技術や流行を学ぶことで、それを実現したいという意欲につながっているのだ。

同社の売上高が100億円の大台に乗ったのは2024年2月期。菊池社長が「毎年8億~10億円伸びていきました」と振り返るように、2020年の売り上げは70億円ほどだったが、2024年には100億円を突破と、驚異的なスピードで成長を遂げている。コロナ禍における巣ごもり需要も追い風になったが、「世界で一番おいしいレトルトを作りたい」という強い思いからくる商品開発力と、そのブレない姿勢が100億円達成という形で結実したのだ。

菊池社長は「うちが続いているのは、時代にあったレトルトという提案が、先手、先手でできていたからだと思います。仮にうちが食品添加物に頼らないでおいしいものづくりをしていても、他メーカーが同じようにもっとおいしいものを作るようになったら、こんなにお客さんにはきてもらえないと思います。だから、どんな小さな分野でもいいので、ナンバーワンを目指すことが大切だと思います」と語る。

ボトムアップ型の組織へ、本格的な海外展開も視野

社長に就任して2年目。菊池社長は今後の成長戦略として本格的な海外展開を視野に入れている。現在は台湾や韓国、東南アジアを中心に海外の売り上げは数千万円程度だが、これを早期に1億円の大台へと引き上げたい考えだ。将来的には市場規模の大きい米国市場への進出も考えているという。

さらに自社ブランドのシェアアップも狙う。自社ブランドが売り上げ全体に占めるシェアは現在約20%。菊池社長は「自社ブランドの割合は50%ぐらいにしたいですが、OEMも増えながら、自社ブランドも増えていくのが理想です」として、OEMと自社ブランドがともに成長していく姿を描く。現在は新規事業の目玉として「カフェ事業」にも取り組んでいるという。「6月19日の金曜日にオープンした『NISHIKIYA KITCHEN &CAFE』(岩沼市)では、店舗限定メニューをいちから開発し、ここでしか食べられない特別なカレーを提供しています。オープン日には平日にもかかわらず、50人以上の行列ができ、初日から5日間で1000人以上にご来店いただきました。現在も売り上げが伸び続けており、今後、新しい柱になっていくと期待しています」(菊池社長)

だが、具体的な売り上げ目標は立てていないという。売り上げを追い求めるあまり、品質を削ったり、安売りに走ったりすることは、同社のブランド価値を損なうと考えているからだ。あくまでもおいしいレトルト食品を作った結果として、売り上げがついてくるというスタンスだ。

菊池社長の経営哲学の根幹にあるのは、父親から言われた「米仕事」と「花仕事」の教えだ。「米仕事は日々の売り上げを生み出す大切な毎日やる仕事で、花仕事は利益には直結しないけれども、会社や地域を華やかに彩っていく仕事。米仕事だけやっていると面白くない会社になっていくし、花仕事だけやっていると利益は出ない。両方やれ、と言われていました」

同社の「花仕事」を象徴しているのが、小学生とともに「夢のレトルトカレー」を企画開発する「学校のカレープロジェクト」だ。もともとは東京都と新潟県の小学校で実施していたが、昨年から地元・岩沼で展開している。菊池社長は「この街が好きですし、岩沼に住んでいる従業員もたくさんいます。街と一緒にやっていく、街に還元するというのは当たり前のこととして考えています」と話す。

  • 「学校のカレープロジェクト」の様子
  • 小学生が開発したカレー

菊池社長はどんな経営者を目指しているのか。「父は力強いし、重厚感もあるけど、お茶目なところもある。ああいう理想的な経営者にもなりたいが、必ずしも同じタイプになる必要はない」と強調する。今変えていきたいと考えているのは、組織の在り方だ。父親の時代はどちらかと言えば、トップダウン型だったが、ボトムアップ型への転換を目指している。各部門長に権限を委譲し、従業員がそれぞれの持ち場で力を発揮できるような組織づくりに取り組んでいる。「うまくいっているチームは、管理職がチャレンジしているチームだと感じます。社員の自発性を高めるには、管理職の自発性を高めるのが一番の近道です。いかにリーダーが動きやすい環境を作るかが、組織活性化のキーポイントだと思います」(菊池社長)

レトルト食品のおいしさを追求し、今日のにしき食品の礎を築いた父親の「やってみっか」精神を取り込みつつ、独自性も発揮している菊池社長。次世代の夢と情熱を胸に、日本の食文化を牽引する存在へと進化していくに違いない。

企業データ

企業名
株式会社にしき食品
設立
1952年(創業は1939年)
資本金
3000万円
従業員数
約560人(2026年7月現在)
代表者
代表取締役会長 菊池洋 氏 代表取締役社長 菊池洋一 氏
所在地
宮城県岩沼市下野郷字新関迎265番地1
事業内容
企業向けプライベートブランド(PB)商品のOEM受託製造/自社ブランド「NISHIKIYA KITCHEN」の企画・販売