同社は初代・松川三太郎氏が「松川織マーク」として創業。服やバッグなどに付けられるタグとなる織ネームは、刺繡と異なり、シャトル織機で糸から生地、柄を織り上げたもので、京都の西陣織の技術を受け継いだと言われる。
3代目となる代表取締役の松川敏雄氏が22歳で父・良雄氏の跡を継いだのが1974年。オイルショックによる不況の真っただ中だった。「機械が稼働せず、工場の中はシーンとしていた。まったく仕事がない状態だった」と振り返る。創業以来最大の危機を迎えるなか、工場で長年働いていた叔父からの勧めで織リボンの製作を始めたところ、売れ行きは順調で、辛うじて危機を乗り越えた。その後、織リボンの技術を応用して織ワッペンの生産にも着手したが、これが転機となった。
1985年に茨城県で開催された国際科学技術博覧会(つくば万博)向けに「サイズの大きなワッペンを作ってみないか」と取引先から打診された。しかし、当時使用していたシャトル織機では織れる幅が狭く、対応が難しかった。そこで敏雄氏は、ヨーロッパで登場したばかりのレピア織機に着目。レピア織機では、幅広の織物が可能となるほか、使用する糸の色も4色に限られていたシャトル織機と異なり、7~8色に広がった。