全国鍍金工業組合連合会会長、現代の名工、令和5年秋の叙勲受章……輝かしい肩書をもつ三共鍍金株式会社社長の苅宿充久氏の人生は、まるで小説のようにドラマチックだ。
貧しい家庭に生まれ、幼い弟妹の世話をしながら幼少のころから母の内職を手伝うなどして家計を助けてきたという苅宿氏。高校への進学費用も自ら稼ぎ、晴れて進学校に入学するも、間もなく父が病に倒れてしまう。自身の学費だけでなく、家計をも担う大黒柱となったことから、高校を中退せざるをえなくなった。そのとき縁あって入社したのが三共鍍金である。
学業への未練は断ちがたく、定時制高校に編入しての二足の草鞋。当時の社長・田中光煕氏(三共鍍金の創設者のひとり)は苅宿氏に理解を示し、定時の17時よりも30分早い16時半に仕事を切り上げて遅刻せずに学校へ行けるよう配慮してくれた。高校生の苅宿氏は当時、学業はもちろん部活にも精を出し、会社が用意してくれた寮に帰るころには「バタンキューの状態」だったというが、朝からきっちりと職場に出かけ、無遅刻無欠席を貫いている。