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ものづくりと福祉の相乗効果でだれもが幸せに暮らせる社会を目指す「株式会社ヒラマツ」

2025年 6月 23日

第三の柱・福祉事業を立ち上げた平松洋一郎社長は既存事業との相乗効果を狙う
第三の柱・福祉事業を立ち上げた平松洋一郎社長は既存事業との相乗効果を狙う

「ものづくりを楽しむ精神」を掲げる株式会社ヒラマツ(三重県津市)は、橋梁など大型の鋼構造物とバス・トラック用の大型車両洗車機という、ダイナミックでありながら繊細なものづくりを得意とする。父の跡を継いで30代で就任した平松洋一郎社長は、第三の柱として高齢者と障がい者のための福祉事業をスタート。ものづくりだけなく福祉も楽しむ雰囲気のなか、既存事業と福祉事業が相乗効果を発揮して、だれもが幸せに暮らせる社会の実現を目指していく。

創業者が移動式自動洗車機を考案 高い溶接技術で鋼構造物を製造

創業者・平松正氏が考案した移動式自動車洗車機「ポートワッシャー」
創業者・平松正氏が考案した移動式自動車洗車機「ポートワッシャー」

大手鉄鋼メーカーなど数多くの工場が立地する津市臨海部の雲出(くもず)地区の一角に、周囲とは趣の異なる、赤と黒のツートンカラーの事務所棟を構えるのがヒラマツだ。外見だけではない。内部には美容院風のおしゃれなデザインを取り入れている。「3Kといわれるネガティブなイメージも少しでも取り除きたい」と、髪を金色に染める平松氏は話す。

同社は1951年、祖父・正氏が平松鉄工所として創業(1991年に現社名へ変更)。当初はミシン部品の製造を手掛けていた。「発明好きで、下請けではなく完成品のメーカーになりたいと思っていた」(平松氏)という正氏は、渡米の際に目にした自動洗車機の開発に取り組み、1964年に移動式自動洗車機「ポートワッシャー」を考案(翌年に実用新案登録)。その後、大型化して主にバスやトラック用として販売してきた。

また、1969年に日本鋼管(現JFEエンジニアリング)が雲出地区に鋼構造物製作拠点を設立したのに伴い、日本鋼管向けの部品加工を開始。1976年には雲出工場が完成した。当初は造船部品が多かったが、現在は主に橋梁向けの大型鋼構造物を製造。2代目社長だった父・正彦氏が名古屋大学大学院で溶接の研究を行っていたことから、高度な溶接技術を持つ社員が多く、鋼構造物の製造に高い能力が発揮されている。大型車両洗車機と併せて、同社の事業の2本柱となっていた。

販売会社で修業、33歳で3代目社長に就任

バス・トラック用の大型車両洗車機と、高い溶接技術を活かした鋼構造物が事業の2本柱
バス・トラック用の大型車両洗車機と、高い溶接技術を活かした鋼構造物が事業の2本柱

発明好きの正氏と溶接の専門家である正彦氏と2代にわたって技術系だったが、「ウチには技術力があるが、販売力がない」と祖父から聞かされていた平松氏は、大学進学に際して文系の学部を選択。卒業後には「営業の仕事がきついことで有名」(平松氏)というリフォーム会社で営業職をつとめた。その後、2004年に「家業を継ぎたい」としてヒラマツに入社すると、修業先として関東地域で洗車機を販売する千葉市内の会社へ出向。3年半後に復職して専務に就任した。

2008年のリーマンショック後に正彦氏から社長交代を打診された平松氏は、「まだ早い」としながらも「いずれは代わらなければ」との思いをいっそう強くし、三重県中小企業家同友会に入会。県外の同友会会員の経営者らにも教えを乞うなどして準備を進めた。そして2013年11月、父に代わって社長に就任した。この間、隣接していたJFEのグループ会社を買収。また、津市中心部の比較的近くで主に洗車機を製造していた観音寺工場を閉鎖して製造拠点を雲出工場に集約。当時33歳の3代目社長が誕生したヒラマツは新たなステージを迎えつつあった。

大手メーカーからOEM打ち切りを通告、自社製品開発に注力

デザイン性を重視した自走式大型洗車機「ROBOSEN」
デザイン性を重視した自走式大型洗車機「ROBOSEN」

ところが、社長に就任して間もなく大きな危機に見舞われた。大型洗車機の一部を大手メーカーのOEMで製造していたが、相手メーカーから「自社で製造するのでOEMは打ち切る」と通告されたのだ。そして、「完成品ではなく、部品は納入してもらってもいい」という話だった。当時、年間10億円ほどの同社の売上高のうちOEM分は2億~3億円を占めていた。

父・正彦氏をはじめ社内では「売り上げがゼロになるよりはいい」として部品の納入を引き受けるべきだとの意見が多かった。これに対して平松氏は「部品だけでは下請けになってしまう」と強く主張した。そもそも同社は「メーカーになりたい」という創業者・正氏の思いから洗車機製造に乗り出したのだ。「下請けになっては意味がない」(平松氏)として社内の反対を押し切って大手メーカーの提案を断った。

OEM分の売り上げを失った同社は、自社製品の開発にそれまで以上の力を注いだ。また、九州を中心に同社の洗車機の販売を手掛けていたダイホウ西日本(福岡市)を2016年にM&Aで子会社化(2021年に統合)。製販一体の企業として営業力を一段と強化した。

2025年には、主力製品である自走式の大型洗車機「ロボ洗」をフルモデルチェンジし、商品名も「ROBOSEN」と改めて販売を始めた。自走式洗車機は、門のような形をした通常の洗車機とは異なり、縦長の大型ブラシ1本で車の側面を洗浄する。無線リモコンで操作する自走式なので設置工事は不要だ。標準洗車時間は全長12mの車両で約9分と大幅な時短を実現。運送業界の人手不足やコスト削減につながるという。これまでも改良を重ねてきたが、今回とくに重視したのはデザイン性で、事務所棟にも用いている赤と黒の2色を基調にしたデザインに一新。年間60~70台の販売を目指す。平松氏は「1本ブラシの洗車機ならヒラマツ、というブランドイメージを広げていきたい」と話している。

第三の柱・福祉事業、介護施設と就労支援事業所を併設

介護施設と就労支援事業所を併設した「虹の夢 津」
介護施設と就労支援事業所を併設した「虹の夢 津」

洗車機と鋼構造物に次ぐ第三の柱として登場したのが福祉事業だ。移転した観音寺工場の跡地に高齢者介護施設「虹の夢 津」が2015年にオープンした。大きな特徴は障がい者就労支援事業所を併設している点だ。事業所の利用者が介護施設で清掃や洗濯などの身体介護以外の業務を補助することで、介護スタッフは入居者の対応に専念できるというメリットがある。介護施設と就労支援事業所の併設は全国的にも珍しいという。

製造業とは畑違いの福祉事業に乗り出したのは祖父・正氏の病気がきっかけだった。がんを患った正氏は手術や入退院を繰り返していたが、根っからの技術者である正氏は、勝手に病院を抜け出しては工場で設計図を描いたり試作品を作ったりしていた。家族に見つかると「死んでもいいからやりたいことをやりたい」と言い張っていたという。そんな祖父の姿を見て、「高齢者が好きなことを自由にできる場所を作りたい」という話が社内で持ち上がった。その後、話は立ち消えになったが、観音寺工場の跡地活用で復活したのだ。また、同工場稼働時には事業内容が周辺住民にはあまり知られていなかったことから、「福祉事業という地元の人たちから必要とされる仕事をしたい」という平松氏の思いもあった。

福祉事業は平松氏の弟、平松大知(たいち)専務が担当する。全日本空輸(ANA)グループの整備士が前職だった大知氏は「自分の意思でなにかを動かすような仕事がしたい」として2013年にヒラマツへ転職すると同時に、福祉事業の修業のため、高知県を中心に介護事業などを手掛ける企業へ1年間出向。「虹の夢 津」開所の前年にヒラマツへ戻り、以来、施設の運営に当たっている。

ものづくりと福祉が支え合い作用し合う仕組みの構築にチャレンジ

ものづくりも福祉も楽しむ雰囲気が社内にあふれる
ものづくりも福祉も楽しむ雰囲気が社内にあふれる

ヒラマツが狙うのは三つの事業の相乗効果だ。ものづくりで培った5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)や生産性向上のノウハウを福祉事業の場で活用する一方で、介護施設で働く看護師が工場で労災時の応急措置などを教えるといった安全・衛生面の指導を行っている。また、就労施設の利用者である障がい者がヒラマツへ転籍したケースもある。そして、さらなる多角化を視野に入れている。「まだ検討段階だが、とくに福祉事業との相乗効果が期待される新分野への進出を考えている」(平松氏)という。

福祉事業は弟の平松大知専務(右)が担当する
福祉事業は弟の平松大知専務(右)が担当する

事業の枠を超えて社員同士の交流も活発だ。たとえば、定期的に実施している社員旅行では、本社・雲出工場と「虹の夢 津」双方の社員が一緒に参加し、人気の社内イベントになっている。製造業として70年以上の歴史を有する同社では「ものづくりを楽しむ精神」を大事にしているが、福祉事業が加わった今、ものづくりだけでなく、福祉も楽しむ。そんな雰囲気にあふれるなか、創業以来のものづくりと新規事業の福祉とが互いに支え合い作用し合う仕組みの構築にチャレンジし、だれもが幸せに暮らせる社会の実現を目指していく。

企業データ

企業名
株式会社ヒラマツ
Webサイト
設立
1951年4月
資本金
3000万円
従業員数
112人
代表者
平松洋一郎 氏
所在地
三重県津市雲出長常町1349
Tel
059-264-7131
事業内容
大型車輌用洗浄機械および車輌下部洗浄機械の開発・製造販売、各種水門・橋梁部品等製造、特定施設入居者生活介護事業所運営