堯さんは中学・高校生の頃から仕事を手伝い、家業を継ぐことに違和感はなかった。「小さい頃から自宅隣の工場で過ごし、他の選択肢は考えられなかった」。モノを売ることが大好きで「めったに人をほめない父から販売だけはほめられた」と振り返る。実際、震災半年後の9月に東京・恵比寿で開かれたビール祭りで、笹かまぼこを2000枚販売。大学生でありながら「東京出張所」の名刺を持ち、首都圏で行われる展示即売会で活躍した。
堯さんは大学を卒業後、即座に入社した。しかし社長は「他社で社会人経験を数年した上で入社した方がいい」と主張した。堯さんも震災前はそう思っていた。だが「被災を乗り越えて事業を復興させている今こそ、この会社に関わっていきたい」と押し切った。
圭亮社長には事業承継にある思いがあった。京都の大学を卒業後、父の会社でがむしゃらに働いた。しかし1993年になって突然、手形と小切手帳を出して「後は任せる」と言われた。何の準備もなく、いきなり経営者となり苦労した。自分が経営を譲る際はもう少し時間をかけたいと思った。25歳で大学の後輩と結婚したものの、堯さんが生まれたのは40歳の時であり、「30代の時は跡継ぎがいなくて不安だった」とも明かす。
堯さんは入社1年半後の2016年10月、中小企業大学校東京校の「経営後継者研修」に参加した。全国から集まった後継候補者とともに約10カ月間、泊りがけで経営者に必要な知識と経験を学ぶ。26人の同期生とは卒業後も定期的に再会する。「経営上の悩みなど何でも相談できる仲間を得られたことは大きい」と語る。
印象深かったのは「会社は潰してもいい」と敢えて講師が発言したことだ。「余裕がないと経営者は厳しい」ということを実感した。選択肢を増やす重要性も学んだ。ただ「もう少し会社経験を積んでから入校したほうが良かった」と話す。人事や労務、経理部門などは未経験だったため、研修当初は「何が分からないかが分からない悩みに直面した」という。
事業承継に際して圭亮社長が気を配ったのは、株式の円滑な移転だ。震災後数年して圭司会長と孫の堯さんを養子縁組させた。震災で事実上、株価が暴落したのを逆に好機と捉え、会長、社長、社長の姉らに分散していた株式を堯さんに生前贈与した。「懇意にしている税理士が自ら行った方法で、当社にも勧められた」。結果として節税に貢献したという。