3年間我慢の経営で黒字化
透明性ある人事で社内改革
「2位ではだめなんです」
まず「日本一になれるシナリオが描けなければ、その事業には手を出さない」(坂田匠社長)という明確な目標設定がある。そして、透明な人事制度や大手にも決して引けを取らない社員に対する施策によって社員が一丸となる同社は強い。事業承継に悩む企業が少なくない中で挑戦を恐れない頼もしい後継者にも恵まれている。
坂田社長が入社した1985年当時、サカタ製作所は住宅用、非住宅用と両方の折板屋根金具を製造していた。だが、住宅用と非住宅用とでは生産設備や流通など全く異なる。これが伸び悩む業績の原因だった。当時の体力では両方を手がける余力がないと坂田社長は判断し、市場開拓する余地がある非住宅用に経営資源を集中した。
その結果、数年後に国内でトップシェアとなり、売上高は毎期ごとに30%近く増加した。坂田社長は「市場がニッチであってもトップに立つと頼ってくる取引先が増える。そして、事業の可能性はますます広がる。2番手、3番手は頼りにされない」とトップシェアを握る重要性を訴える。
現在でこそ成長の原動力となっている太陽光パネル取り付け金具だが、市場に投入した2008年、そして2009、2010、2011年と赤字が続いた。同社は2008年12月期から3期連続で当期損益が赤字で、同金具から撤退すれば黒字決算になる可能性もあった。だが、坂田社長は待った。オールサカタとして開発し、新たな成長の原動力になると確信し、万を持して投入した商品だけに待たねばならなかった。ようやく2012年3月に単月で黒字となり、2014年6月以降は恒常的に黒字化した。そして、同金具と架台を生産するため、約12億円を投じ、県営東部産業団地(新潟県阿賀野市)に工場も建設した。
新工場で新たな成長の原動力を生産
社員満足が顧客満足に
3期連続で当期赤字となった原因は、事業が拡大する中、坂田社長を支えられる幹部クラスがいなかったためだ。2011年4月に坂田社長は自分以外の取締役の体制を全面的に刷新する。社内の雰囲気は大きく変わり、2011年12月期には当期損益が黒字転換する。その時に大抜擢されたのが、入社3年目で総務部経理課長だった小林準一取締役だ。小林取締役は大学卒業後、地元金融機関に就職し、エンジニアリング会社を経て、株式の上場を目指す地元の成長企業に転職し、大きなプロジェクトに携わる。そして、ヘッドハンティングでサカタ製作所に入社した。
まず小林取締役は不透明だった人事評価を見直し、目標管理と実績を反映させる納得のいく制度にした。さらに、「社員満足度が顧客満足につながる」との考え方に基づき、社員の家族の会社見学会や出産・育児支援、社員教育などの施策を次々と打ち出した。
もっと革新的な組織に
今後、坂田社長にとっての課題はいつ、どのような状況で後継者にバトンタッチするかだ。後継者は長男の坂田啓(あきら)取締役だ。09年に大学を卒業後、鉄鋼商社を経て、12年に坂田製作所に入社した。坂田取締役は「幼い頃から経営者になるべくして育てられた。経営者になるつもりで学業に打ち込んだ」と振り返る。坂田社長が忙しく働いている姿や、坂田社長を中心に社員が一丸となって仕事に打ち込んでいる光景を見て育った。そして、将来は「自分も経営に参画する」と経営者としての自覚が芽生えていった。
後継者の準備も万端、長男の坂田啓取締役(左)
大学は工学部機械工学科で学んだ。製造現場のことは入社してからも勉強できるが、現場の技能者に「こんなことも知らないのか」と思われたくはなかった。鉄鋼商社では「サカタ製作所は鉄を扱うので、ものすごく勉強になった」と振り返る。入社後は「社内の整備ができていなかった。当時は不満たらたらだった」。負けん気が強く、勉強熱心、そして、現状に満足しないのが坂田取締役の性格だ。
経営者としての目標について「もう少し新しいことに挑戦できる社風にしたい。革新的な企画が下から上がってくる組織にしたい」と変化を恐れず、太陽光パネル取り付け金具に続く経営の柱の育成を目指す。株式の上場や海外展開など課題も少なくない。これからもピンチに直面するだろうが、常に挑戦を続ける同社には乗り越えられないピンチはないはずだ。