当社は、OEM(他社ブランド製品の受託生産)を専門に、秋田県大仙市の自社工場で紳士革靴や婦人パンプス、スニーカーなど幅広い種類の靴を製造しており、近年は、工場認定取得が必要なゴアテックスシューズの縫製及び製靴なども行っている。小規模の工場としては珍しいと言われるが、企画から設計、裁断、縫製、成型までを一貫して行っており、少量の注文にも可能な限り対応している。
1976(昭和51)年に有限会社羽後通信工業として創業した際は、大手電子部品メーカーの協力工場として弱電部品の製造を行っていたが、元号が昭和から平成に変わる頃に発注元企業が生産拠点を中国に移行することとなったのを機に、当時の社長で現会長の加藤タヱが、製造業という共通点以外はまったく未知の分野であった靴製造に業種転換した。アッパー縫製から徐々に開始し、アウトソール加工、アッパーの革の裁断など取り組み内容を広げていった。1998(平成10)年には、並行して行っていた弱電部品製造の製造を完全に終了し、有限会社ユーイーアイ(2008年に株式会社化)を設立して靴製造業へ完全に業態転換を果たした。
なお、社名の「ユーイーアイ」は「Unique and Essential Individuals」(唯一でかけがえのない仲間たち)の頭文字を取ったもの。私たちの靴を履いてくれるユーザーが力強く歩む一歩一歩を想いながら製品をつくっている。
新型コロナウイルスの感染拡大で生活様式に大きな変化が出始めてからは、革靴生産にも大きな影響が生じた。当社は、リクルート活動を含むビジネスシーンや卒業式、入学式といった各種セレモニーで使用されることが多い革靴や革パンプスを生産の主力としていたため、大勢の人が集まる場面がことごとく取り止めとなったり自粛されたりしたことで需要が激減し、それに伴って生産量も大幅にダウンした。生産の100%をOEMに依存していたため、対策を打つにも限界があった。需要が回復するまでは耐えるしかないと、各種の補助金を活用しながら工場の稼働を停止するなどして、コロナ禍が沈静化するのを待った。しかし、次々と変異ウイルスが発生し、状況が改善されることもないまま時間だけが過ぎた。
国内では、服装や生活様式の多様化に伴い、コロナ禍の数年前から徐々に革靴離れが顕著になってきており、生産縮小の影響が出始めていたところであった。コロナ禍は完全に追い討ちとなり、まるで革靴需要が蒸発してしまったかのように感じられた。