農業ビジネスに挑む(事例)
「GRA」ICTを活用したイチゴ生産で震災復興を目指す
- 経験・知識への依存からデータ依存へ変える
- 海外へも生産システムの普及を図る
2011年3月11日、東日本大震災の津波により宮城県山元町のイチゴ栽培ハウスの9割が壊滅的な打撃を受けた。が、そのわずか4カ月後、農業生産法人を立ち上げてイチゴ栽培を復活させた若者がいた。農業生産法人・株式会社GRAの岩佐大輝さんだ。
山元町は宮城県の最南端の沿岸に位置し、山と海に囲まれている。日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きく、冷たい南西の風が吹くなどイチゴ栽培に最適な気候条件が揃う。
基幹産業の1つがイチゴの山元町には130軒のイチゴ生産者があったが、その9割が東日本大震災の津波で被災してしまった。山元町出身で東京でIT企業を経営する岩佐さんは震災直後おっとり刀で故郷へ駆けつけ、壊滅的被害にあった農業の復旧をボランティアで支援した。しかし、高齢化した生産者にとって大震災後すぐに立ち直ることは容易なことではない。その様子を目の当たりにした岩佐さんは自らイチゴを生産する意を固めた。
さっそく地元の社会福祉協議会で働く橋元洋平さんと共同で2011年7月に農業生産法人・株式会社GRAを設立。50mのハウスを2棟建て、橋元さんの遠戚でイチゴ栽培のベテラン・橋元忠嗣さん迎えてイチゴの生産を始めた。岩佐さんにビジネスアイデアはあったが、イチゴの栽培技術がなかった。そのためどうしても腕利きの生産者が必要だった。
ただし、目指すイチゴの生産は、旧来のように生産者の知識と技に依存する栽培ではなく、誰もが一様に栽培できるシステムの確立だった。
データに基づくイチゴの生産システムを目指す
イチゴは同じように赤く色づいていても、あるものは甘く、あるものは酸味が強いなど果実によって異なる。そしてそれを見分けるには長年の経験と知識が必要になるが、これまではその経験や知識が個人に属してしまい、他と共有されることはなかった。つまり、栽培技術における経験や知識は暗黙知(個人のノウハウ)になってしまい、誰もが共有できる形式知(共有されたノウハウ)になることがなかった。
岩佐さんがイチゴの生産で最も重要と考えたのが、この暗黙知を形式知に転換し、誰もが同じ品質のイチゴを生産できるシステムを確立することだった。例えばベテランがハウス内で「ちょうどいい」と感じる温度や湿度があるが、そのちょうどいいという暗黙知を具体的な温度・湿度の数値に置き換えることで形式知にする。つまり、これまで皮膚感覚(個人依存)で判断していた環境条件を具体的な数値(共有化)で表す生産システムを目指すことだった。
そのために岩佐さんはハウス内の温度、湿度、Co2濃度、日照量、冠水量、施肥量、さらに風向きや雨量に応じて天窓を開閉して通風を管理することなど栽培条件を数値化し、それらのデータを蓄積していった。
「人に依存するイチゴづくりでは栽培ごとに少しずつ誤差が生じます。また、誤差があったり、栽培に失敗したりしても、これまでそれについて検証もされなかったため、そのデータも残らないできました」(岩佐さん)
栽培に成功するにしても失敗するにしても、その工程のすべてでデータを取得しておけば、それを解析することで最適な栽培条件を見出せる。岩佐さんは、それらのデータの取得や栽培の管理をすべてICTで制御する生産技術の確立を進めた。
さらに、最先端技術を駆使して生産性を飛躍的に高める栽培方法を確立させるため、2011年末に農林水産省の「被災地の復興のための先端技術展開事業」を受託し、山元町に最先端大規模園芸施設(約1万m2、総工費約2億5000万円)を建設した。そこではICTで栽培環境を制御したイチゴの研究的生産に着手し、同時にその研究成果を新設した自社農場(2万5000 m2)で実践していった。
販路を開拓し、高級ブランドも完売させた
2012年、GRAは初めてイチゴを出荷した。生産するイチゴの品種は、「もういっこ」「とちおとめ」「おおきみ」「桃薫(とうくん)」の4種類。それらを消費者の嗜好や用途に応じて販売する。いわゆるマーケティングに基づく生産・販売だ。その理由は、従来のように市場流通を介して薄利多売に陥りがちだった生産を改め、綿密なマーケティングに基づき生産し、独自の販路で販売することで生産者の収入を安定させることにあった。
イチゴの生産システム開発を進めながら、GRAでは苦労を重ねながらも首都圏、東北圏(宮城県)の小売店へ独自の販路を築き、さらに通販サイトを介して直接消費者に販売もした。
そして2012年冬、GRAは「ミガキイチゴ」のブランドネームで1粒1000円の高級イチゴを東京都内の有名百貨店で完売させた。糖度20と砂糖のように甘いイチゴ。GRAが開発した生産システムの技術の粋が結実したイチゴだ。
ちなみに、GRAが生産する4種類のイチゴはミガキイチゴのブランドで生産・販売されている。「ミガキイチゴ」のブランドネームは、味を磨くという意味から命名された。
海外への展開を試みる
GRAが生産システムを開発する目的は、自社のみならず周辺の生産者への普及を図ることで地域の復興につなげることだ。さらに、周辺地域だけでなく海外への普及も視野に入れ、実行している。
2012年秋、GRA はJICAのプロジェクトに協力してインドの貧困地域・ブネ(マハラシュトラ州)でICTを活用したイチゴの(試験)栽培を始めた。目的は貧困地域に女性の就労機会をつくることだった。
そして約半年後の2013年3月11日、大震災と同じ日にインドで栽培したイチゴを同国内に初めて出荷した。インドで栽培したイチゴは高価であり、粒は小さく、酸味が強いといったように味と品質にまだ課題はあるが、イチゴ好きのインドの人たちには好評で販売も好調だった。
「甘くてやわらかなイチゴというのは日本独特の栽培技術であり、世界に類を見ません。それだけ世界的にも優位な技術なのです」
その日本の技術によって、今後、富裕層・中間層向けに大粒で甘いイチゴを戦略的に生産・販売すればジャパンブランドとしての浸透が図れ、翻って山元町にも大きなメリットをもたらせられるだろう。
収益2倍、コスト半減に挑む
GRAは、海外への生産システムの展開を図りながら、国内ではさらなる先端な栽培技術の開発に邁進する。そのため、今年新たに2カ所に施設を増設し、「局所温度管理」(チューブに冷水・温水を通す、電熱線を利用することでイチゴの株元を20℃前後に管理し、果実を早期に肥大・成熟させて増収)、「高設栽培」(栽培時の姿勢が楽で、溶液供給など栽培管理しやすい)、「密植移動栽培」(栽培ベンチを移動式にして単位面積あたりの栽培本数を増やす)などに取り組むことで、従来の観光栽培に比べて収益2倍、コスト半減の生産性向上に挑む。
「溶液栽培の生産性を最大化し、あらゆるいちごに対する生産性の高さを実証します」
最終的には開発した技術は標準化することで地域全体が営農を続けられる環境整備を目指している。さらに、実証した技術を普及させるため、2014年度には新規就農者や企業に対する研修も実施していく。GRAが進めるイチゴおよび地域復興への取組みは着実に前へと歩んでいる。
企業データ
- 企業名
- 株式会社GRA
- Webサイト
- 代表者
- 岩佐大輝
- 所在地
- 宮城県亘理郡山元町山寺字桜堤48