今ひとつの決断は、事業戦略を大幅に見直すことだった。具体的には事業分野を1次から3次までを網羅した「多次元の事業戦略」を掲げたことである。そして、宮原が本格的な事業化に乗り出したのは、「3次元の仕事」と位置づけたゴルフ関連機器事業だった。
ゴルフ練習装置兼娯楽装置のことで、その名は「よせ太郎」。的に向かってゴルフボールを打つと4つのマイクで的に当たったボールの音を捉え、音がマイクに到達するまでの時間からボールが的に当った位置を検出し、飛んだ距離と方向を計算してテレビ画像に映像を映し出す優れものである。
「全国のテレビや新聞も大きく取り上げましたし、最大手のスポーツ用品メーカーや航空機内の販売会社も口座を開設してくれたほど、注目を集めました」
ところが、いざ蓋を開けてみると、わずか2,000台しか売れなかったのである。失敗の原因はどこにあったのか。
宮原は当時を振り返ってこう話す。
「結論を言いますと、市場調査の何たるかをよく分かっていなかったためです」
宮原の話をかいつまんで代弁すると、販売目標と価格戦略の読み違いに失敗の原因があったようだ。
当時の日本のゴルフ人口は約1,300万人であった。市場調査の結果、このうちの7割近くの人が製品購入に肯定的と分析した。仮に1,000万人のゴルファーのうち0.1%の人が買ってくれるとして、宮原は1万台から2万台は売れると判断した。そこでつけた値段は高級なドライバー1本分に相当する5万6,000円だった。
宮原が後悔しても後の祭りだった。「最初から2,000台から5,000台を販売ターゲットにしていれば、まったく違った形態になっていたと思います」と、市場調査に基づく販売目標と価格設定の難しさを反省点として指摘する。