あの人気商品はこうして開発された「飲料編」
「ウイダーinゼリー」“飲む”と“食べる”のニーズを同時に満たせる
ゼリーは飲むもの。このスタイルを確立したのが「ウイダーinゼリー」だ。“食べる”が常識だったゼリーを“飲む”ものに進化させた。その開発の舞台は1983年に幕をあけた。
83年、森永製菓は「健康ビジネス」を立ち上げるため米国ウイダー社と事業提携した。ウイダー社はスポーツ栄養分野の老舗企業。創業者のジョー・ウイダー氏は、映画俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー、シルベスタ・スタローンや全米五輪選手などのトレーニング指導でも著名な事業家だ。
そのウイダー社からプロテイン(タンパク質)のパウダー製品を導入し、84年に国内でボディビルダーや一部のアスリート向けに発売した。その後もプロテイン商品を販売し続けたが、アスリート向けだけでは事業の広がりに欠ける、また、それまでにスポーツ向け栄養補助食の分野で蓄積した知見をなんとか一般消費者へと広げたい。そんな思いから検討を重ねた結果、92年に缶飲料の「ウイダーinドリンク」(350ml)を開発・発売した。
そうだ、これだ!
この缶飲料・ウイダーinドリンクは、エネルギー、プロテイン、ビタミンの3種の商品を揃え、まずは九州でテスト販売された。ウイダー社の創業者・ウイダー氏本人と女優の賀来千賀子を起用し、勢い勇んでテレビCMを投入したものの売れ行きは芳しくなく、市場にも定着できなかった。缶飲料は飲み残しができず、競技場に持ち込めない場合があったため、消費者のハートをつかめなかった。
しかし、これであきらめたりはしない。ウイダーinドリンクの出足は惨憺たるものだったが、それに屈することなく、事業の将来性を信じて試行錯誤を重ねた。ウイダー事業本部長の松崎勲さんは振り返る。
「ウイダーinドリンクの発売後、飲料の後発メーカーとして新規参入の難しさをいやというほど思い知らされました。缶飲料という商品形態ではどうしても差別化が図れない。どうすれば他社とは異なる商品にできるのか。いろいろと考えました。
また、アスリートたちがどんなものを求めているかも調べました。当時の五輪選手だった橋本聖子さん(現参院議員)からは毎朝牛乳とバナナを摂っていると伺いました。ほかのアスリートからも食べることと飲むことを一緒にしたいという声を多く聞きました。それらを耳にして、これだ!と思い付くものがありました」
簡単に口からエネルギーを補給でき、その後にすぐ運動ができる。しかも、飲みながらも食べた感じがするもの。それらのニーズを満たせる食品とは-。
“飲むゼリー”だった。これならアスリートのニーズを満たせる。しかも、森永製菓はかつて飲むゼリーを商品として製造・販売した経験があり、その製造技術(ゲル化技術)も社内に蓄積されている。ゼリーにすれば、「食べる」と「飲む」の両方の需要が同時に満たせ、しかものどの通りがよく食感もある。さらに栄養素はもちろん、水分補給もできる。
飲むゼリーという商品形態なら栄養素と水分を同時に摂取でき、しかもその後すぐに運動できる。このコンセプトなら市場のニーズを満たせる。が、1つだけ問題があった。容器だった。簡単に口から摂取できる容器がなかった。缶では飲み残せないという問題があり、適用できない。また、ひと口羊羹のような小さなアルミ包装を試してみたが、手がべたついて食べにくい。もっと簡単に口にできる容器はないか。社内で試行錯誤を繰り返す中、包材メーカーからスパウト付アルミパウチが提案された。それはすでにフルーツソースなどの商品に実用されていた容器だった。そこにゼリーを入れてみる。実に具合がいい。吸えばゼリーを飲めるし、容器を押せば容易に中身を出せる。しかも携帯性に優れ、動きながらでも摂取できる。
あらゆる機会をとらえて商品を知ってもらう
こうして94年に「ウイダーinゼリー」(180ml、3%の消費税込み200円)を発売した。まずはエネルギーとビタミンの2種の商品を都内のコンビニで売り出した。
当時の栄養補助食品は"まずい"というのが共通認識だったが、それを覆すためにさわやかなフレーバーにした。また、毎日飲んでも飽きないようにあと味をすっきりさせるため、砂糖の代わりにデキストリンを用いて甘さを抑えた。
このようにフレーバーにも工夫を凝らし、満を持しての発売だったが、売れ行きはいきなり"爆発的"とはいかなかった。ヒトの味覚はいつの時代も保守的である。「宇宙食みたい」という消費者の声に代表されるように、多くの人がゼリー飲料にまだ馴染みがなかった。ただ、東京の代官山ではいささか反応が異なった。代官山周辺は新しいものを抵抗なく受け入れる傾向が強い。このエリアからウイダーinゼリーの人気に火がついていった。
一部のコンビニから売れ始めると、つぎに強力なサンプリングも展開した。年間のサンプル数は100万個。ウイダーinゼリーに馴染んでもらおうと、さまざまなスポーツイベントに協賛した。また、オフィスビル群で出勤途中の人々に配布、さらに歯科医師に頼んで治療後の患者に配布するなど、ありとあらゆる機会をとらえてサンプリングを展開した。
そのかいもあって、初年度(94年)に3億円だった売上げは、翌95年に30億円へと爆発的ヒットにつながる。ちなみに、商品ラインナップも95年から「プロテイン」を加えて3種とした。「ウイダーinゼリー プロテイン」は、体内に吸収されやすいペプチド(アミノ酸が2個以上結合した化合物)の状態で製品化しているが、ペプチドを容器内に封入するときに泡が立ち、容量がフルに満たせない。この難問を解決するのに1年を要し、95年の発売になったのだった。
地道な努力が売上の壁を突破させた
ウイダーinゼリーの売上げは96年に100億円、97年に150億円と急伸する。が、ここでいったん停滞してしまう。98年の売上げは横ばい。菓子業界には150億円の壁があり、ほとんどの商品はここで天井を打つ。ウイダーinゼリーもその倣いか。いや、そんなはずはない。「こんなものではない」(松崎さん)という手応えも感じていた。そこで消費者ニーズを洗い直してみる。
ウイダーinゼリーは95年に「10秒でとれる朝ごはん」というキャッチコピーを掲げ、朝ごはん代わりの商品というイメージを定着させてきた。が、実際には消費者の需要はそれだけにとどまっていなかった。消費者調査の結果、朝食のみならず運動前、残業前、会議の前など、なにかを始める前、あるいはなにかをしながら飲まれることが多い「積極的つなぎ食」であることがわかった。そこでそれを体現するためキャッチコピーを「10秒チャージ、2時間キープ。」に刷新、99年に木村拓哉をCMに起用して走りながら「ウイダーinゼリー」を飲ませたところそれが奏功。99年には踊り場を突き抜けて200億円を突破した。
また、99年の躍進には地道な努力も隠されていた。例えば、キャップが堅くて開けづらいというクレームに対応して開けやすさを研究し、キャップを改善した。また、店頭で倒れた状態で陳列されている商品を立てて陳列するために専用の什器をつくった。さらに、より安全な容器とするために直角にとがっていた容器の角を丸くした。
裏面の表記にも工夫を凝らした。飲食品の表記について、カロリーを気にする人はいても、それ以外に書かれてあることを覚えている人はほとんどいない。そこでウイダーinゼリーでは最低限訴えたい内容だけを表記した。そのほうが訴求力があったからだ。
消費者ニーズの洗い直しやキャッチコピーの改編だけでなく、これら陰の努力も200億円突破の原動力だった。
ウイダーinゼリーの売上げはその後も順調に伸長し、現在は300億円規模に達している。商品ラインナップはエネルギーイン、プロテインイン、マルチビタミンイン、マルチミネラルイン、ビューティイン、ローヤルゼリーインの6種。メインターゲットの年齢層は20代後半から35歳、男女比では6.5対3.5で男性がやや多い。が、最近は女性層も増えてきた。さらに小児や高齢者など年齢の裾野にも広がりをみせている。
「裾野が広がることはありがたいことです。でも、それと同時に常にメインターゲットをしっかりと捉えていなければいけません。そうしないと商品の寿命が早々に尽きてしまうからです」(松崎さん)
07年に「あなたには、あなたの10秒メシ。」というキャッチコピーで、消費者の多様なライフスイタイルに対応する商品であることを訴求した。さらに現在は、積極的つなぎ食や多様なライフスタイルのみならず、あらゆるシーンに対応できる普遍性のある商品として浸透させるため、キャッチコピーは用いていない。普遍性のある商品、その目標は5年後の国内売上げで600億円を目指している。
企業データ
- 企業名
- 森永製菓株式会社
- Webサイト
- 代表者
- 代表取締役社長 矢田 雅之
- 所在地
- 東京都港区芝5-33-1
掲載日:2010年11月25日