あの人気商品はこうして開発された「飲料編」
「ペプシネックス(PEPSINEX)」日本人の味覚にあったコーラを
サントリーの「ペプシネックス(PEPSI NEX)」は、初めての日本オリジナル、否、アメリカ以外で開発された初めてのペプシコーラだ。従来商品ではどうしても突き崩せないコカ・コーラの厚い壁を前にし、なんとしても日本人の味覚をとらえたペプシコーラを世に送り出したい。そんな熱い情熱をもって提携先の米国ペプシコ社とハードネゴシエーションを繰り返し、ようやく真意を理解させて開発にこぎ着けた。
ペプシコーラの味について本家本元のペプシコ社以外には手をつけられない。そんな不文律を突き崩したサントリーの真意とはなんだったのか。
米国市場から分析して国内でもペプシはもっと伸びるはず
1894年、米国ペプシコ社のコーラ飲料「ペプシコーラ」が発売された。その淵源は、ノースカロライナ州の薬剤師ケイブ・ブラッドハムが、消化不良の治療薬として売り出したことに遡る。数年早くジョージア州アトランタで発売されたコカ・コーラと全米市場をほぼ二分して今日に至ることはよく知られる。そしてコーラ飲料が米国文化にいかに根ざしているかを物語るエピソードとして、「ペプシコーラが共和党系であるのに対してコカ・コーラは民主党系といわれ、大統領選のゆくえによって売れ行きにも変動が出るほどだ」とまことしやかにささやかれてきた。
ところがペプシコーラは日本市場では長期劣勢をかこつことになる。1947年、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の専用飲料として日本に入ったペプシコーラだが、一般市場への本格参入は54年の沖縄から。さらに本土での販売は57年であり、コカ・コーラが初めて日本で紹介された大正時代に比べて30年以上も後れをとった格好だった。しかし、そのコカ・コーラも一般市場で認知されたのが戦後だったことからも、いつ日本に上陸したかはその後の市場での攻略戦を語るうえではほとんど意味をなさない。
日本市場で雌雄を決した大きな要因は、初期段階でコカ・コーラが強力かつ巧みな販売戦略を展開して市場を席巻していったことだろう。そのため、以後、長期にわたってペプシコーラは日本市場において常にコカ・コーラの後塵を拝し続けることになる。
日本における飲料メーカーの雄サントリーは、そうした国内の市場をじっくり見据えて、つぶさに分析していた。時代が変わり、世代が交代しているのに、戦後以降のコーラ市場にほとんど変化がないのはどうしてなのか。全米市場で両雄が拮抗している状況から推測しても、日本市場でペプシコーラの伸びる余地は大きいのではないか。そう読んだサントリーは新しく戦略を打ち出した。1997年、日本におけるペプシコーラ事業のマスターフランチャイズ権(製造販売総代理権)を購入し、98年から具体的な販売展開に入ったのだ。
しかし、コカ・コーラの壁は厚い。5年間、従来どおりのパッケージデザインと中身のままで販売に総力をあげたものの、ほとんど実効があがらない。そこで2003年、一転して方向を転換し、中身の差別化を図るべくレモン味のコーラ(ツイスト)を投入した。ところが、コカ・コーラも即座に類似の商品を売り出し追撃してくる。ツイストによりコーラ市場のシェアを13%から17.8%へとわずかに引き上げたものの、ここで頭打ちになってしまった。
消費者のイメージを突き崩そう
コーラ全体の市場も、21世紀に入ってからは停滞もしくは漸減傾向にあった。消費者の間で健康志向が高まる一方、「コーラは健康に悪そう」という印象がいつの間にか広がり、それが市場の停滞をもたらしてしまったのだ。
また、コーラ飲料の本場米国でも市場に明らかな変化が現れていた。砂糖入りのレギュラータイプの比率がじりじり下がる一方で、ゼロカロリーのダイエットコーラが伸長。05年には米国コーラ市場全体の40%に迫る勢いをみせていた。それによりサントリーも戦略を見直した。サントリー食品インターナショナルの食品事業部、阿部泰丈さんは振り返る。 「当時、日本市場でのダイエットコーラの比率は20%程度で、ペプシもコカ・コーラもそれほど力を入れていませんでした。そこで、そのダイエットコーラを深掘りしてみました。すると、ダイエットコーラという名称自体が、ダイエットのために飲むコーラのようなイメージを持たせるために、消費者の間ではおいしくなさそうという印象が強くなっていたことがわかったのです。ならばそこを突けばいいのではないか。そのイメージさえ崩せば、米国のように市場が大きくなる、と読んだのです。これは大きな発見でした」
06年3月、満を持して新商品を投入する。「ペプシネックス(PEPSI NEX)」。中身もパッケージデザインも、なにからなにまで一新した。
NEXのネーミングは「NEW EXCITEMENT」(新しい刺激)、「NEW EXPERIENCE」(新しい体験)、「NEW EXPECTATION」(新しい期待)を意味する合成語だ。阿部さんは続ける。
「ペプシコーラはペプシコ社との契約により、ペプシコーラについては商品設計を始めいっさいがっさい当社は手出しができません。改良するなどの口出しができないのです。しかしこのNEXに関しては、サントリーがペプシコ社との共同開発によって日本オリジナルの商品としてつくり出したのです」
ペプシコ社が自社以外の意向を織り込んだ初めてのペプシコーラだった。サントリーもその開発の意志を理解してもらえるよう、ネゴシエーションに不退転の決意と熱い情熱を傾けた。120年に及ぶ歴史と実績に裏打ちされたペプシコ社の矜持があるだけに、最初はにべもなく「ノー」とはねつけられた。それでもサントリーは、膨大な販売費を投じて市場戦略を展開してもこれが限界であり、日本人には日本人特有の味覚があり、それに適合した商品にしないと国内市場でのライバルの壁を突き崩すことはできない、と、具体的な数値や図表を示して説得を重ねた。
後ろめたい印象が奏功した
ようやく合意をみて共同開発に入るが、ここからも大変な作業だった。共同開発といっても、役割分担を決めて進めるわけではない。サントリーの研究所が味を試作してペプシコ側に示す。ペプシコの研究所がそれに修正を加え、「これでどうか」とサントリーに戻す。「いや、その味は日本人には合わない」と再修正を求める。そんなやり取りを何度も何度も繰り返し、ようやく現在の商品にこぎつけた。
「ペプシネックスはカロリーゼロのダイエットコーラのため、砂糖を使わず人工甘味料を使っています。が、発売から1年後の07年に甘味料を少し見直そうとしたことすら大変なことでした。甘味料を見直した改良品をペプシコ研究所に提案したのですが、すんなりとは受け入れられず、タフな交渉を粘り強く続けてようやく改良にたどり着いたものでした。甘味料ひとつとっても、日本人と米国人とではそれに対する感覚が微妙に違うんですね」
06年3月の発売から売上げは順調に推移したものの、07年には味を改良するとともに、パッケージデザインも一新した。06年の商品は銀色が基調だったが、銀色のパッケージにはダイエットコーラのイメージが強いため、どうしても消費者から「ダイエットコーラはおいしくなさそう」と連想されてしまった。そこで「ダイエットは体にいい、が、おいしくない」という印象から一転し、07年の商品では「ちょっと悪そうなイメージのコーラをあえて飲んでいるんだ」という後ろめたい印象を全面に押し出すためにデザインの基調を黒色に改めた。NEXの文字もボトルの真ん中に大きく配置して躍動感、刺激感をもたせ、PEPSIのロゴは立体的にして爽快感を強調した。
これが当たった。消費者の感性をわしづかみにし、06年の販売実績に比べて07年は189%の成長をみせ、売上げ目標も大きくクリアした。その後も順調に支持層を広げており、ゼロカロリーコーラの国内市場では11年にシェア42%を占めるに至っている。
ペプシネックスは、流通チャネルもコンビニ、量販店、自販機、ドラッグストアなどオールラウンドで展開しており、メインユーザーは30~40歳代で、男女比率も55対45でほぼ均衡している。
11年には「ペプシピンク」といういちごミルク風味のコーラも数量・季節限定で発売して話題を呼んだ。これも日本オリジナルの商品だが、こうしたいわゆる「おもしろコーラ」を企画・発売できるようになったのも、ペプシネックスの成功が米国ペプシコ社で評価されたからだ。
「コーラ市場を刺激するため、引き続き『おもしろコーラ』のシリーズは開発していきますが、基本はあくまでペプシネックスです。ものづくりの90%超のエネルギーはペプシネックスに注ぎ、さらに売上げを伸ばしていきます」と、阿部さんの胸中はペプシネックスのつぎなる戦略で膨らんでいる。
企業データ
- 企業名
- サントリー食品インターナショナル株式会社
- Webサイト
- 代表者
- 代表取締役社長 鳥井信宏
- 所在地
- 東京都港区台場2-3-3
掲載日:2012年2月22日