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「アーバンスペース→国際ビル産業(浦添市)」セミナーを機にM&A決断

この記事の内容

  • 比嘉氏が立体駐車場建設などを手掛けるアーバンスペースを設立、事業は軌道に乗る
  • だが、身内、従業員に後継者なく、セミナーで知識を得て第三者承継を決断
  • 支援機関の仲介で国際ビル産業に事業譲渡を決め、社名、従業員雇用ともに維持される
固い握手を交わす比嘉氏(左)と上地社長(国際ビル産業本社で)

沖縄県は車社会。那覇市中心部はモノレールが走るが、頼れる交通手段はやはり車になる。しかも限られた土地だけに立体駐車場の需要が見込める。この考え方で比嘉秀人氏(65)が1987年に脱サラで起業したのが、立体駐車場の建設工事やメンテナンス業務を行うアーバンスペース(那覇市)。高校の同級生たちが出資し、仲間2人で設立した。36歳の時だ。

「5年やってダメなら解散する気持ちでスタートし必死に頑張った。どうにか6年目には配当を出せるまでになり、タワー式駐車場を主体に事業は軌道に乗った。バブル崩壊で苦しい時はマンション向け2~3段式の駐車場に方針を変え、メンテ需要を取り込んで凌ぎ、無借金経営を続けてきた」と比嘉氏はこれまでの事業推移を語る。

こうして県内のオンリーワン企業として売上高1億5000万円を維持する安定企業となる。従業員数は6人で家族的な社風の中、後継者が不在であることを除けば、大きな問題もなく事業が続くはずだった。

「年齢を考えると今後も社長業を続けていく自信が持てないと思った。2人の息子は、それぞれ充実した仕事に就き社会で活躍中。共に会社を立ち上げた専務も同じ状況だった」と身内に会社を引き継いでもらうことは、諦めるしかなかったという。

従業員は現場で施工にあたる技術者たち。営業、財務など経営的な業務は、社長と専務の2人が担ってきた。「日々の業務に追われ後継者育成のゆとりはなかった」こともあり、他の方法による事業承継を考え始める。

その知識を得るために参加したのが、沖縄県事業引継ぎ支援センターと沖縄銀行が共催した「事業承継セミナー」だった。受講後の個別相談を数回にわたり重ね「ぼんやりとしていた事業承継を第三者承継に絞り込むことにした」と比嘉氏は話す。

相談に応じた沖縄事業引継ぎ支援センターの羽田晶年統括責任者は「収益性、事業性ともに素晴らしい会社というのが第一印象だった。企業価値を算定し今後のプロセス、アドバイザーを決め、登録民間支援機関の沖縄銀行に引き継ぎ、M&Aを進めた」と流れを説明する。

沖縄銀行法人部の東原可実調査役も「几帳面に整理された資料、誠実さがにじみ出る対応に信頼できる会社だと感じた。県内64支店から候補を募り2社に絞ってマッチングを実施した」という。

最終的には県内大手ビルメンテナンス業の国際ビル産業(浦添市)への事業引継ぎが決まった。同社の管理物件の多くは駐車場とリンクしているので、クロスセル(併売)など相乗効果が見込めるなどメリットが大きい。

上地宏和代表取締役社長(65)は「話を聞いた時、銀行経由の安心感と当社の周辺業務であるだけに関心を持った。疑問点を一つずつクリアしながら、比嘉さんとの面談を通して魅力が増していった。事業を引き継ぐと決めてから、役員会、株主総会ともに反対の声もなくスムーズだった」と語る。

比嘉氏が最後まで懸念していたのは従業員の待遇だった。「退職金規定を作ろうと考えていたができなかった。これを上地さんにお願いし、社歴も考慮した案を作成し申し出たら、快諾してくれた」と話す。

こうして今年3月31日、那覇市の沖縄銀行本店で両社による株式譲渡の調印式が行われた。引継ぎ期間は、初回相談から1年6カ月間。社名も従業員もそのままの状態で、国際ビル産業の子会社として新出発した。

比嘉氏はハッピーリタイアメントを迎えることができ、従業員はより安定した環境で業務が継続できる。国際ビル産業は、新たな飛躍への基盤を築くことができた。

〝3方すべて良し〟の理想的な事業承継といえる。