満を持して独立を決意したのは再就職から7年目。おりしも会社の業績が好転し始めた時期のことである。
「新しいものを作り出す技術者の夢を叶えるには、やはり独立しかない!」
独立する際、永島は社内の2人の技術者に誘いを掛け、永島を含めた技術者3人で新会社を設立した。
「私は機械設計の人間ですから、1人ではわずかな設計の収入しか期待できません。そこで部下だった電気設計と工場の責任者だった機械組み立ての技術者を引き連れて独立し、設計から製造までカバーできるようにしたわけです。」
2人を誘った理由について、永島はこう語る。
創業当時のこの考え方は今でもしっかりとエステックに根付いている。同社の社員フォーメーションは、15名が機械設計の技術者、同じく15名が現場で装置の組み立て作業に従事する布陣だ。
エステックの社名の由来は、「深く考えたわけではないのですが、エステックの『エス』にスモールからスペシャルへという願いを込めたつもりです。」
当時もいまも事業のベースは多様な装置ニーズに対応するモノづくり。ニッチな産業分野とはいえ、オリジナル製品をもつのが強みである。
しかしスペシャルを求める技術者の誇りは飽き足らない。いまなお経営の屋台骨を担う試料調製機を足掛かりに、従来の装置とは異なる装置の開発にチャレンジし始めた。「経営の第2の転機」(永島)となった世界初のたんぱく質の自動生成装置のことである。(敬称略)