技術者の誇りと情熱をモノづくりに賭ける

永島正嗣(エステック) 第1回「国内シェア80%の試料調製機」

永島正嗣社長 永島正嗣社長
永島正嗣社長

発端は神戸製鋼からの開発依頼

島根県東出雲町の中海の湖畔に本社工場を構えるエステックは、日本とドイツに数社しかない製鋼用試料調製機のメーカー。鉄の成分分析用のサンプルを成形する地味な分野の装置だが、国内市場のほぼ80%を独占する開発型の受注生産企業なのである。

なぜ、従業員数わずか35名のこの会社が断トツのコア製品をもつ機械メーカーに成長できたのか。社長の永島正嗣によると、そのキッカケとなったのは「日常的な取引が取りもつご縁に過ぎなかった」という。

「ある日、取引のあった大手商社の人が神戸製鋼さんの仕事を持ち込んできたんです。」

その仕事の中身とは、鉄の成分分析に関する開発依頼だった。鉄鉱石にはケイ素、炭素などといった不純物が含まれるため、これらの成分調整のため、X線および発光分光分析による成分分析が最終工程までに合計5〜6回繰り返される。成分分析に使うサンプルは事前に円柱状に成形しておく必要があった。

しかし、この工程だけが手動式の切断機で行われていたため作業効率が悪く、成形作業の自動化が課題となっていたのである。

「安来市にある金属会社の鋳物の分析を手掛けていましたから、二つ返事で引き受けました。数日後に神戸製鋼さんの技術者が開発の立会い調査のため来社されたときには、製品が完成していましたので、たいへん喜ばれました。」

全自動試料調整装置

このときの神戸製鋼の技術者たちの驚きようは想像に難くない。大手機械メーカーができなかったことが、朝飯前と言わんばかりに開発に成功してしまったのだから、驚くのも当然だった。この実績が評価されて神戸製鋼の技術相談に応じていくうち、永島に新たな開発依頼が舞い込む。

「今度は新しいシステムによる完全自動化装置を開発してみないか!」

それが同社のコア事業に発展した、フライスカッターで銑鉄のサンプルの表面を研磨する世界初の試料調製機である。受注してから完成するまでわずか半年。今から15年前の1992年3月のことである。

永島の経営理念、「技術者の誇りと情熱をモノづくりに賭けることのできる企業」が花開き実を結んだ瞬間だった。

価格決定権をもったオリジナル製品

異色の機械技術者、永島を巡る今ひとつの「なぜ?」は、類いまれな開発の才能である。

機械設計が趣味。人のやらないものをやる。頼まれれば断れない性分。儲けは後からついてくる。こういう考え方であれば、仕事は必然的にオーダーメードが中心になる。だから従業員の約半数の15名が機械・電気設計の技術者が占めるのに、営業の専任が一人もいない。社長の永島自身が営業責任者であり、後は複数の商社任せである。

「精密な製品仕様書を作成して、目ぼしい顧客にぶつかっていく提案型営業ですから、非常に効率の悪い会社かもしれません。しかし、競争相手がいませんので、自分で価格を決められる強みがあります。」

永島が強調するようにエステックは主力製品となった試料調製機から派生したさまざまなオリジナル製品を、大手の機械・金属メーカーに送り出していく。

初の自社製品である試料製作を機械化したベルダー型試料調製機からはじまって、ミーリング型試料調製機、カップ砥石型試料調製機、全自動試料調製装置へと次々に市場を開拓する。金属の切断機分野で湿式砥石低寸切断機、超硬丸鋸切断機さらには真空状態でフィルム蒸着を実験するベルジャー型真空試験機、金属成分分析の溶液作成を無人化したICP前処理装置など、枚挙にいとまがないほどだ。

このような開発の才能を発揮する永島とは、どのような経歴を辿ってきた人物なのであろうか。(敬称略)

掲載日:2007年5月14日