“東洋のデトロイト”をめざした、主力工場=「挙母工場」の完成もあり、 “トヨタ”は、多量製造・販売を本格的させる。
昭和13年度の4672台から、昭和14年度には1万4018台になっている(トヨタ自動車工業『30年』)
この年の9月の決算では、売上高2550万円余に対して、税引前利益1222万円余を出し、設立以来はじめて年5分の配当実施に漕ぎつけた。
が、日中戦争の泥沼化に加え、昭和16年12月、太平洋戦争に日本は突入していく。
この開戦の年の1月28日、“トヨタ”の取締役会は喜一郎を取締役社長に昇格させた。事実上のトヨタ自動車工業の創業者であった彼は、ここで名実共に“トヨタ”の最高責任者となった。義弟の利三郎は取締役会長となり、三井物産の取締役・赤井久義が取締役副社長に選任された。
ほぼ同時期に、監査役として日本生命の取締役会長・佐々木駒之助、伊藤忠商事の取締役社長・伊藤忠兵衛が新たに選ばれている。