売れない時代に売れる理由。販売低迷期の成功事例

「ヒマラヤ」変化対応力が生き残りそして全国展開への決め手

「小さい会社でも一国一城の主になりたい」。スポーツ用品専門店、ヒマラヤの小森裕作会長が脱サラし、岐阜市で小さな店舗を始めてから約40年。いまでは全国に約140店、売上高は660億円(13年8月期見込み)のスポーツ用品専門店の大手の仲間入りを果たした。脱サラ派の成功事例だ。しかし、一口にスポーツ用品といっても多岐にわたる。スキーやスノーボードブーム、さらにアウトドア、ジョギングブームなどと流行りすたれも激しい。そんな中でヒマラヤのこれまでの成長を支えてきたのが、小売業の真骨頂である「変化対応力」だ。

全国に約140の店舗を展開する

少ない在庫が幸い

小森会長は脱サラして現在のヒマラヤを始めた。高校を卒業後、大手自動車部品メーカーに就職した。しかし「仕事はハード、給料も安かった」。そこで脱サラを決意。名古屋市にあったスポーツ用品の「ヒマラヤ」という店舗のオーナーに頼み込んで3年間修業させてもらい独立、76年に「岐阜ヒマラヤ」を設立し、岐阜市にスキー登山用品を主体としたわずか13坪(43平方メートル)の店舗を開いた。当初、小さな同社は問屋からの取引額の上限が決められていた。在庫を多く持てず、仕入れの苦労はあったという。しかし、それが幸いした。

創業から数年、暖冬で主力のスキー用品が売れず、過剰在庫を抱えた同業他社はばたばたと倒産したという。しかし、問屋が比較的手堅い取引をしてくれたおかげで救われた。この時の問屋との手堅い取引で今日があるという小森会長は述懐する。

何とか危機を乗り越えた同社だが、次は名古屋市の大手スポーツ用品専門店や愛知県岡崎市の「オリンピックスポーツ」(当時)が岐阜市に進出、大型店を開いたのだ。当時、岐阜市はスポーツ用品店がひしめく状態になり、岐阜戦争といわれた。小森会長はライバルの進出に心底「潰される」と思ったという。

そこで多店舗化の基盤となる2号店を大手店舗の100メートル内に開いた。大手店舗よりも閉店時間を2時間遅い11時とし、夜間の顧客の取り込みを図った。これが奏功し危機を乗り切った。

岐阜から全国に踏み出す。新天地を求めて名古屋市や可児市に店舗を開いていった。当時はバブルが膨らんでいた時でスキーブームにも支えられ「売り場がどんどん増えていった」(小森会長)。

バブルの崩壊でスキー専門から決別

96年に店頭公開を果たすが、スキーブームに乗っていたこともあり、売上高の実に75%がスキー用品などで占められていた。しかし、バブル崩壊とともにスキーブームが終焉を告げていく。同業で店頭公開を果たしていたオリンピックスポーツも94年に倒産していた。

「スキー・スノボーブームの雲行きが怪しくなってきた」。そこでヒマラヤではスノーボードを中心にしたが、これも長続きはしなかった。「スノボーブームはわずか2年で終わった」という。いよいよ決断を迫られた同社が岐路の選択をしたのは「(サッカーや野球、ゴルフ用品といった)一般スポーツを軸とした専門店への転換」(小森会長)だった。この決断が99年。

しかし、「スキーを長年売ってきた従業員に野球用品やサッカーの用品を売るのは容易いことではなかった」。まずバイヤーなどから反発があった。スキーは単価が高く、利益率が良い。それに依存した体質を改めるのは簡単ではなかったというが、とにかく思い切って転換した。「守旧派の意識改革は大変だった」と小森会長は振り返るが、その時、今まで無意識の裡に、実践してきた「潮目を見る」、「いろいろなところに種を撒く」ということの大事さ、つまり変化に対応することの大切さを学んだ。

一般スポーツを軸とした専門店へ転換

次のターゲットはシニア層

今ではスキー用品は売上構成比の10%を切っている。社内に向けては「(今好調な)一般スポーツ用品が売れなくなる時がくるかもしれないぞ」と発破をかけているという。とくに、急速に台頭している「ネット販売は要注意」と自らにも言い聞かせる。ネットではゴルフ用品など、スポーツ用品もご他聞に漏れず安く売られている。さらに携帯電話やゲーム機に余暇時間を割かれ、スポーツをする時間が減っていることも心配の種だ。

しかし、小森会長は「子供の数は減っていくが、シニア層が増えていく」という。「人間ドックに入って必ずといっていいほど、多くの人が医者からいわれるセリフがある。それは『運動が必要』という言葉」だ。今後は医療費削減のトレンドのなかで、個人負担は増すばかり。自らのカラダは自らで守らなければならない。さらに「(現在の財政状態から)年金もあてにならないとなれば、カラダを鍛えて健康であり続けることが重要」という訳だ。

そのため、今後は55—70歳までをターゲットにしたマーケティングを強化していく方針。もちろん、最近はマラソンなどのランニングブーム、そして“山ガール”の台頭など、新たな潮流はある。しかし、マスとなるシニア層に照準を定めるという。例えば、その具体化策として一つはプライベートブランド(PB)などのモノ作りの強化であり、もう一つは相談販売の強化などだ。

PBではトレッキングシューズは重いというのが定番だったが、長年の蓄積から軽くするなどの工夫をした。また機能性のインナーも、カジュアル衣料専門店などが作っているインナーとは一味違った視点からモノ作りし、生地を日本で調達、ひと手間余計にかけて縫製したり、着易さ、機能性を重視した商品に仕上げているという。とにかく、専門店ならではのスポーツ時にどういう効果があげられるかという視点を持っている。PBは価格ばかりではなく、機能性を重視した開発を実施、現在売上高に占める割合は13.5%だが、3年後には20%程度まで高める方針だ。

一方、シニア層への対応強化策として、山登りの経験者や、ゴルフの経験者などを積極的に採用、今後は相談販売を強化する。スポーツにはカラダに合った器具や道具を使わないと思わぬところでのケガにもつながる。そのため、知識のある人の採用や勉強会、メーカーの工場の見学会などを通じて商品知識を身につけてもらう考えだ。

都心型専門店で新展開

小森裕作会長

商品力と相談販売の強化という差別化戦略を軸に、全国展開を進めている。ヒマラヤであれば、どの店舗でも同じレベルの商品とサービスを提供できる安心感がブランドを形成している。ただ、そんな同社の拡大戦略も転機を迎えている。これまでは郊外を主戦場としてきたが、都心の小型店も展開する方針を打ち出した。それがM&Aを実施し傘下に入れた「B&D」だ。

「ヒマラヤジュニア版」として取扱いカテゴリーを絞り込み、専門性で勝負する店舗は、現在都内などで約30店を展開するが早期に50店を目指す。小さい店舗であれば、より顧客の変化に対応しやすい。地味そうにみえるスポーツ用品業界は、案外、変化が激しい。郊外に大型ロードサイド店を多店舗展開することは、コスト面など大きなメリットはあるが、ひとたび流れが変わった際には変化対応に時間を有する。ヒマラヤジュニア版の展開自体が新しい流れをつかむことに他ならない。潮目を見極める経営で、今再び、大きな変化を乗り切る考えだ。

企業データ

企業名
株式会社ヒマラヤ
Webサイト
所在地
岐阜県岐阜市江添1丁目1番1
Tel
058-271-6622
事業内容
スポーツ用品販売

掲載日:2013年3月28日