2026年 10月 9日
「強いものが生き残るのではなく、変化できるものが生き残る」。ダーウィンの進化論を表す名言として広く流布されている言葉だが、この言葉を経営の現場で実践している製造業がある。大阪府高槻市に本社を置く港製器工業株式会社だ。倒産の危機から立ち上がった同社は今や、単なる下請け加工が主軸となりつつある状態から脱却し、最適なソリューションを提供する「製造コーディネーター」へとその姿を変えた。
二代目の岡室昇志代表取締役社長は、過去の不採算事業を大胆に切り捨てる「スクラップ&ビルド」を断行し、ニッチトップ製品群で市場を席巻。危機を乗り越えたDNAを武器に2031年の売上高100億円達成を宣言している。
創業者は発想力と創意工夫で道を切り拓く

港製器工業の工場内に足を踏み入れると、同社の主力製品の一つである鉄骨建方治具「ATOMU」がうず高く積まれている光景が目に入る。鉄骨の柱の目違いや傾きを真っすぐに微調整するための専用の道具で、在来工法では必要だったワイヤーロープもなく、現場作業の安全性を劇的に変えた治具だ。同様の治具を製品化しているのは日本で3社だけで、そのうち同社のシェアは25~35%を占めている。この事業が動き出したのは2000年ごろ。当時の社長で創業者の父、昇之眞氏(現相談役)と担当社員が試作・改良を繰り返し、苦心の末に完成したのだという。
同社の創業は1957年3月。昇之眞氏が鉄滑車専門の鉄工所の再建を手掛けたのが始まりだ。荷物の吊り上げや固定時にワイヤーロープなどを連結するU字形の金具「シャックル」や船内で車を固定する「カーストッパー」、建物や構造物の変形を防ぎ、強度を高めるために斜めに取り付ける補強材「ブレース」、門扉やフェンス、アルミ製の落下防止ネットなど建物の外まわりに使うエクステリア製品を含め、事業を次々と拡大してきた。

岡室氏は「父は現場で作業を熱心に観察し、ここをこうやったら合理化できるのではないか、などと常にアイデアを出していました。先入観にとらわれずに様々な改善に取り組む社長だったと思います」と話す。その代表例の一つがシャックルだった。輪っかの穴を金型などで打ち抜いて丸穴を形成する方法が一般的だが、その打ち抜いた穴の部分の材料はロスになる。これに対し、昇之眞氏は、鉄を熱して柔らかくし、穴を押し広げる方法を採用したという。「この方法だと、材料が無駄にならないし、強度もある。父は軽くて強度もある軽量のシャックルも考案しました」(岡室氏)。持ち前の発想力と創意工夫で道を切り拓いてきた昇之眞氏。同社の成長はここから始まったのだ。
「あと半年で潰れる」、三重苦で倒産に現実味
岡室氏が港製器工業に入社したのは29歳のとき。同志社大学工学部卒業後に三洋電機に入社し、ソフトウェア開発に携わった。父親から「そろそろこっちに来ないか」と誘われて家業に入ったという。「プログラミングとか、ロジカルシンキングとか、システムをどう設計していくかは大体できていたので、もう卒業していいかなという感じでした」(岡室氏)。
入社後はアルミ関連製品の生産管理を担当した。同社は当時、表計算ソフトを使い、製品に必要な材料を計算して在庫から引き落とし、発注につなげる仕組みを構築しており、前職で身につけたシステムの知識と実際のものづくりが結びついた。岡室氏は「現実を動かすために、ものを使って、効率よく、間違いなくやっている。実践的に作り上げていく面白さがありました」と振り返る。
社長に就任したのは2008年7月。「赤字だとか、売り上げが上がらないとか、お金がどうのこうのとか、そういう心配をあまりしないでいい会社にしたい」「なくても別に誰も困らない会社ではなくて、なくてはならないポジションになりたい」。そんな思いを胸に社長業に取り組もうとしたところに起こったのがリーマン・ショックだった。社長就任からわずか2カ月後のことである。
国内製造業は2000年ごろから「世界の工場」として急成長した中国への生産移転が進み、激しい価格競争にさらされており、同社も例外ではなかった。加えて、リーマン・ショック後の円高で、複数の銀行と結んでいた為替予約契約の損失が膨らんだため、途中解約に踏み切った結果、1億円を超える損失が発生。さらにベテラン社員たちが毎年続いて定年を迎える時期とも重なり、一人当たり1000万円を超える退職金の支払いが集中した。資金繰りが悪化し、退職金の支払いを3年分割にするほどだったという。まさに「売り上げ不振」「為替差損」「退職金支払い」と三重苦に見舞われていたのだ。売上高はリーマン・ショック前の2008年4月期の約30億円から2010年4月期には23.8億円まで落ち込んだ。
「あと半年でうち潰れるわ」。そんなころ、父親が漏らした言葉だ。倒産が現実味を帯びつつあった。岡室氏は倒産について調べ、民事再生法など再建の方法があることを知る。逃げずに取引先に謝罪して、もう一度仕事を始めることができる。最悪の事態を直視したことで、逆に腹が据わった。当時相談していた専門家からは会社を縮小し、人員などを整理して身軽にならなければ存続は難しいと指摘されたが、岡室氏はその選択は取らなかった。縮小均衡ではなく、成長する道を選んだのである。
価格競争から脱却、「製造コーディネーター」で復活

岡室氏がリーマン・ショック後にまず取り組んだのは「魅せる工場化プロジェクト」だった。受注が減り、翌2009年4月に入社した新卒社員4人に割り当てるべき仕事もない。岡室氏はこの状況を打開するため、この4人をプロジェクトメンバーに抜擢し、工場見学会の開催を立案、ルート作りから案内役まですべて任せた。きっかけとなったのは、かつて仕入れ調達担当として数多くの工場をまわった経験だった。「良い工場を見ると、そこに発注したくなる」。岡室氏は「この取り組みは、うちの強みは何かということを見直すきっかけになりました。これがその後の経営理念や経営方針につながっていきました」と振り返る。
実はそれまで同社の会社案内には「経営理念」と書かれた言葉は存在していたものの、経営陣も社員も認識していなかったという。事実上、経営理念がないも同然だった。そこでコンサルタントと合宿を行い、誕生したのが「イメージをスピード実現する達人として、共に未来を創る」という理念だ。岡室氏自身から出た言葉だった。岡室氏は「港製器工業は、顧客の頭の中でイメージしたものを設計・開発する製造コーディネーターであり、それを素早く実現する企業である」と位置付けたのだ。
同社には200~300社に及ぶ協力会社のネットワークがあり、自社にある設備を前提に製造方法を決めるのではなく、顧客に必要な機能やコストを起点に、鍛造や鋳物、樹脂、ゴムなどの技術を組み合わせる「顧客起点の製造」を信条としている。
「うちの会社にある機械で何ができるかではなく、お客様にとって最適なもの、最適な作り方、最適なコストで作るにはどうしたらいいかを考えます。私たちの強みは、こうした製造コーディネーター的な役割を果たしていることです」(岡室氏)。
これに加わるのがスピード重視の姿勢だ。顧客から問い合わせを受けたときは、完璧な答えを作るまで待たせるのではなく、概要や概算でもまず返す。岡室氏は「スピード自体が一つのアドバンテージになると思っています。すぐ回答を出せば、お客様の意向と違っていても、すぐに直せます」と強調する。
「お客様から図面をもらったら負け。図面はもらうな、案件をもらいなさい」。岡室氏は営業担当者にも同じ考えを求めている。完成した図面を受け取って見積もるだけでは、競合との相見積もりとなり、価格競争に陥りやすい。しかし、構想や設計段階から関われば、目標コストを踏まえつつ、製造方法そのものを工夫することができるのだ。その結果、開発型製品とOEM(相手先ブランドでの生産)製品の割合は合わせて7~8割に達し、下請け的な仕事は大幅に減少したという。
3つの事業から撤退、利益重視に転換へ

岡室氏は経営改革の一環として、3事業から撤退するという大胆な決断もしている。2億円の売り上げがあったアルミ製庇(ひさし)、創業期から続いた看板商品のシャックル、特許を取得しロングラン製品だったブレースの3事業だ。庇から撤退したのは2014年。売り上げは2億円あったが、「完全に下請けで、価格も厳しく、利益も出ず、値上げも一切認められなかった」(岡室氏)という。岡室氏は「2億円の穴は非常に大きかったですが、不思議なことにその空いた穴は埋まりました。スクラップしないと新しいものは入ってこないのだと実感しました」と話す。
2016年に撤退したのはシャックルだ。同社が発展するきっかけとなった製品だが、売り上げや受注数、単価が下がる一方、設備は老朽化し、更新には億単位の投資が必要だった。現場からは「このきつい仕事を会社の看板商品としてお客様に迷惑をかけないように必死にやってきたのに、なぜやめるのか」と反発があったが、事業存続が厳しい状況を説明し、2年の移行期間を設けて撤退したという。
ブレースの撤退は2020年。競合の2大メーカーは大量生産を重視する一方、同社は小回りの効く小ロット生産を得意としていた。しかし業務の効率化ができなくなり、次第に採算が合わなくなっていった。ただ、競争力のあるステンレス製ブレースと吊りボルトは残した。この選択は見事に的中し、いずれも半導体工場の建設需要を背景に売り上げが伸びた。「効率が悪く利益の上がらないものをやめ、良いものだけを残す」というこの戦略の背景にあるのは、売り上げではなく、利益を重視する姿勢への転換だった。岡室氏は「利益がないということは、お役に立っていない、選ばれていないということとイコールです」と強調する。
岡室氏のこうした利益重視の姿勢は同社を「筋肉質の体質」に変えた。2026年4月期は売上高39.1億円と過去最高だった前期の46.1億円から7億円減少したものの、売り上げ総利益は12億円で変わらなかったという。岡室氏は「利益率は5ポイントも上がりました。売り上げが下がっても、むしろ体質は良くなっています」と話す。
世界展開加速、船舶用ラッシング事業は世界シェア1位目指す
同社は2031年に売上高100億円、経常利益率8%の目標を掲げている。岡室氏は「今の延長線上だと70億円くらいが限界。30億円分は何か新しいことをやらないといけない」と話す。その新しい事業を生み出すために今年4月に立ち上げたのが社長直轄の「未来創生部」だ。メンバーは兼任も入れて7人。未来創生部に広報も新設し、カタログやチラシ、WEBなどを通じて外部発信にも力を入れ始めた。
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雑菌・虫を防ぐ「木製浮き砂場」 -

一般的な防音壁の効果を上回る防音塀
現在、新規事業の一つとして進めているのはリチウムフリーのバッテリーを使った製品開発だという。「このバッテリーは発火せず、マイナス30度の環境でも充放電できるほか、エネルギー密度が高く小型軽量化できるといった特長を備えています。従来のリチウム電池の代替として使えば、今よりも長持ちし、あらゆる面で性能が良くなるでしょう」(岡室氏)。
また、幼稚園などの衛生問題や騒音問題の解決にも取り組んでおり、砂場を地面から浮かせて雑菌・虫を防ぐ「木製浮き砂場」や、一般的な防音壁の効果(5~15デシベル低減)を大幅に上回る防音塀を開発し、将来的には全国展開も視野に入れている。

海外展開も牽引役になると見込む。台湾ではすでにATOMUのレンタル事業を行っており、現在の売上高は2億円。岡室氏は「台湾市場はまだまだ伸ばせると考えています。ATOMUだけで10億円、三角ステージ(建設現場の仮設足場)などの商材と合わせると20億円になると見ています。その次に狙うのはシンガポールやマレーシアなど東南アジアです」と話す。
さらに、同社の中核事業で世界シェア4位の船舶用ラッシング事業はアジアや欧州の市場でシェアを拡大し、売上高を現在の2倍の50億円に引き上げ、10年後には世界シェア1位を目指す。海外売り上げ比率は2031年の売上高100億円達成時点で約20%を想定しているという。
次期社長は次女の百香氏、祖父の代から続くDNA守る

実は事業承継もすでに動き始めている。次女の百香取締役は行政書士事務所を経て2年前に入社し、財務・経理や事業計画や業務改革などに携わってきた。岡室氏は一緒に仕事に取り組むことで「経営哲学」を学ばせており、29歳で社長を継がせたい考えだという。百香氏は「弊社が製造業のモデル企業として、この高槻市、日本全体の製造業を良くしていきたい」と大志を抱く。この言葉からは、祖父の代から続く創意工夫と挑戦の精神を継承し、それを地域の製造業にも伝え、日本の製造業の発展に貢献したいとの強い気持ちがうかがえる。
「あと半年で潰れる」と言われた危機からおよそ17年。価格競争から抜け出して、「製造コーディネーター」という独自の立ち位置を見出した改革、2億円規模の仕事や看板商品を捨てる決断、そして今、100億円企業を目指す新たな挑戦が始まっている。「変化を恐れない」。その実現の原動力となるのは、岡室氏が繰り返すこの言葉がカギを握る。
今年5月に初めて作成した社史の編集後記で岡室氏はこう記している。「『利益はお客様への貢献のバロメーターである』という信念、そして『会社は社員が自己成長・自己実現できる舞台である』という理想。これらはすべて創業者の岡室昇之眞がゼロから築き上げた挑戦の精神を正当に受け継ぎ、さらに進化させようという覚悟の表れに他なりません」。この精神は次世代のDNAにもしっかりと受け継がれ、港製器工業のさらなる成長の礎となるに違いない。
企業データ
- 企業名
- 港製器工業株式会社
- 設立
- 1961年3月(創業1957年3月)
- 資本金
- 4500万円
- 従業員数
- 108人(2026年9月現在)
- 代表者
- 岡室昇志 氏
- 所在地
- 大阪府高槻市唐崎中3-20-7
- 事業内容
- 船舶用ラッシング資材、物流機器、開発設計製造、住設、環境エネルギー、仮設建材








