中小企業の海外展開入門

「OEM」メイドインジャパンのOEM製品が世界へ

海外からの観光客が日本のドラッグストアに立ち寄る。大量に購入するのは、メイドインジャパンの化粧品だ。そんな光景を目にすることも珍しくないが、海外の企業からの依頼でメイドインジャパンの化粧品をOEM(委託者ブランド製造)している企業がOEMだ。今では、韓国、台湾、シンガポール、タイ、香港、マカオ、スイスに販路の拠点を持つまでに至ったが、これまで多くの困難を乗り越えてきた冨田珠衣社長に話を伺った。

1つ目の山-メイドインジャパンの自社ブランド要請への対応

OEM社の開発した商品

フェイス、ボディ用化粧品やサプリ等、美と健康に関する商品をOEMで供給しているOEM社のもとに、タイの企業から「メイドインジャパンの自社ブランドの化粧品を作りたい」という相談があったのは、創業間もない2008年のことだった。タイでは日本の化粧品が大人気。その企業は、日本から商品を仕入れてタイで販売しており、すでに販路も持っていたが、仕入れて販売するのではなく、そろそろ自社ブランドを持ちたいと考えていた。同社に話があったのは、OEM業界を知り尽くしている同社の会長への信頼感からであった。

作りたい化粧品に対する要望を聞き、要望通りの商品を作るために必要な原料について情報提供をしつつ、テクスチャーまで決める。化粧品の仕様が決まれば原料の資料を取り寄せるという作業を繰り返す。時間はかかるが、きちんと対応し販路が広がると信用がつく。

タイについて商慣習にはあまり大きな差はなかったが、まず、輸出入の手続きに苦労があった。当時はさまざまな申請書類を持ってタイ大使館で認証を受けなければならなかったため何度も通った。

また、当時はブランド力がなかったので出荷後最初の2年間はなかなか商品が動かなかった。こだわって作った商品の価値をわかってもらえないといけない。高付加価値を「売り」としていたため、ドラッグストアでは売れない。タイの企業は販売チームを立ち上げ、地道に営業活動に取り組んだ。

営業先はタイの皮膚科やクリニックのドクターだ。タイは医療レベルが高い。タイには日本のようなホスピタリティをもつ高級クリニックが多く存在する。そのようなクリニックには日本からの駐在員も通っている。そこを中心に販売して回った結果、医師が処方箋を出してくれるという形で信用力が徐々に付いていった。

2-3年経つと、タイ人やタイ駐在より帰国した日本人から「日本でも購入できるのか」という問合せが工場に来るようになった。また、あるホテルのコンシェルジュから電話があり、「お客様が商品を購入したいと言っている」と伝えてきたこともあったという。化粧品のボトルに記載されている製造元の連絡先を見て連絡してきていたとのこと。黒子として提供していた商品だが、熱烈なファンがついてきていることを実感したという。そのOEM商品に関しては、問合わが多いため日本でも販売するようになった。

2つ目の山-タイから世界へ

タイでの販売が軌道に乗った2011年、タイの企業を通じて香港、シンガポール、韓国に販路が拡大した。タイの企業は、年間販売数量を定める代わりに販売サポートをするという内容で各国の企業と代理店契約を結んだ。その契約に際し、原料の品質証明書をとるのが非常に大変な作業だった。原料の種類、効果効能、含有量、他社商品との違い等について詳細な数値的根拠が求められたが、その資料を集めるのに大変苦労したという。

原料メーカーから資料を集め、英語に翻訳する。日々新しい原料が出てくるが、使用している原料はそれらと何が違うのかについての質問も寄せられる。きちんと製品を理解し納得しないと売れないということで、根拠となる資料を山のように揃えた。

化粧品には最低10数種類、多いと30種類もの原料が入っているが、工場では根拠となるデータの収集までは対応しきれず、自ら原料メーカーに問い合わせた。会社としてのネームバリューもなかったため、原料メーカーの協力を仰ぐのも一苦労。その作業に丸1カ月間かかりきりであった。このとき冨田社長は、日本と違い必要なのは「プレゼンテーション力」と「根拠資料」であることを痛感したという。

2011年にタイの企業が、香港で開催されたアジア最大の展示会に出展した。同じ年に香港の女性誌の美容液部門ランキングで同社のOEM商品が1位に輝いた。タイの企業はチームを作ってさまざまな展示会に出展しているので、最近ではイスラエルでも商品が流通するようになった。

海外で自社商品を流通させると、トラブルや返品などの問題が生じることもあるが、OEM社において商品はすべて買取りであり、売れないからといって返品されることはない。クレームがあった場合には報告書が上がってくる。円貨で取引しているため、為替の影響もない。企画から一緒に行ってきたので自信を持って販売している。

商品数は、製造当初6商品だったが、現在は12商品にまで広がっている。新商品を1つ立ち上げるごとに、品質証明などを求められる。先方も在庫は抱えない方針なので、頻繁に発注してくる。受注と輸出の管理が大変だ。発注は毎日のようにあるため、入金を確認し、指定された配送先に送るという作業が続く。

例えば、「多くの人が知っている原料や最新の原料で提案してほしい」と言われると、まずは品質証明を考え、原料メーカーに問い合わせる。海外で使っていけないものもあるため、さまざまな条件を調べる。流通させられない国が出てくると見直しをする。日本の基準もかなり厳しいが、EUでは動物実験している原料は使うことができない、といったように国や地域によって条件は異なってくる。

OEM商品の顧客リピート率は85%を誇る。同じアジアでも気候や湿気が違うが、それぞれの地域にあった商品を作り、効果が出たからこそ5年も6年も支持をされているのだと分析している。また、パートナーと信頼関係を構築できたことも大きい。外国人はシビアだが、一度信頼を得ればとことん信頼してくれるという。

3つ目の山-EPAの申請

関税障壁が非常に高いため、4年くらい前にEPAを申請するようタイの企業から言われた。EPAの申請手続き(EPAに基づく特定原産地証明書申請手続き)は非常に複雑であった。関税番号を調べるのは非常に困難であり、かつ1つの種類からいくつも枝分かれしている。とても素人ではわからないため、何度もさまざまな公的機関に質問したが、明快な回答を得られることはなかった。

自分で抽出物まで調べるのは不可能だったが、様子を見かねた問合せ先の女性の担当者が丁寧かつ詳細に教えてくれたことで、少しずつ作業が前に進んだ。最初の8品目について理解をすると、他のものについてはおおよそのイメージがつくようになった。何をするのも最初の山は高いことを実感したと冨田社長は当時を振り返る。わからないことばかりなので自分で調べ、聞いて、歩いてと体当たりで臨んできた。しかし、その苦労の甲斐もあって、取引先からは毎年関税が下がることを非常に喜んでもらえている。

OEM社の今-自社ブランドを海外へ

OEM社は角質ケア商品分野でオリジナル商品を持ち、別会社で販売を手掛けている。この商品は台湾、タイ、ベトナムで流通しており、また、スイスの企業が仲介しヨーロッパにも流通している。

韓国、マレーシア、オーストラリアからも引き合いがある。角質ケア商品については、自社英語版サイトへ海外からのアクセスが多いという。どのようにして自社のホームページにたどり着いたのかわからないが、世界中が面白い商品に関心を持ち、それを探しているのだろうと感じている。

ゆえに冨田社長自身海外にはよく出かける。町の雰囲気や生活レベル、売れている商品など現地に行かなければわからないことも多いからである。例えば、強い日差しが降り注ぐベトナムの女性はバイクに乗るとき、日焼けしないようにマスクや帽子をつけ、首を覆い長そでを着てグローブをしているという。また、インドでは美白ブームが男性にも及び、色白の男性が好まれる。このような事実は普通想像もできないことだ。自ら足を運ばなければならない理由はここにある。

OEM社の今後、抱負

冨田社長は、日本の企業に必要なのは「アピール力」と「プレゼンテーション力」だと言う。このため、日本の企業に対してOEM商品のアピールを手助けするのも重要な役割だと考えている。そしてそのための努力は惜しまない。

日本においてもドクターズコスメだけでなく、農協やアパレルメーカーなどさまざまな企業からオリジナルの化粧品を作りたいという要望が舞い込んでくる。

家具メーカーからの依頼で、伐採した枝から抽出した精油を使用したルームフレグランスを開発したこともある。海外事業は成長し、今や売上の4分の1を占めるようになった。今後、この分野を伸ばしていきたいと考えている。

また、OEM企業はお客様のニーズを上手にすくい上げて製品化することが必要なのだが、製造現場に女性は少ない。化粧品を使用するのは女性なので、もっとこの業界に女性に参入して欲しいとも冨田社長は語る。

そんな冨田社長の夢は、「自社はあくまで黒子。お客様のブランドが売れればよい。商品のよさを理解し愛してくれるお客様を増やしたい」ということだった。冨田社長のアピール力とプレゼンテーション力で、日本を知り日本の商品をよいと思ってくれる日本発のブランドのファンがきっと増えるに違いない。

企業データ

企業名
株式会社OEM
Webサイト
代表者
唐戸嶋 英貢(代表取締役会長)、冨田 珠衣(代表取締役社長)
所在地
東京都新宿区榎町33-1
事業内容
製造、ほか(化粧品・医薬部外品の商品企画開発製造、健康食品販売)