2026年 8月 3日
賃上げをしたにもかかわらず、従業員の離職が止まらないことに悩む中小企業の経営者です。平均的な賃金でも人が定着する職場がある一方で、給与を引き上げても人が辞めてしまうのはなぜでしょうか。定着率を左右している本質的な要因を教えてください。また、現場のリーダーがすぐに実践できる具体的な離職防止策や、長く働いてもらうための組織づくりの手順もあわせて知りたいです。
回答
賃上げは従業員の不満を和らげる重要な施策ですが、それだけで定着率が上がるとは限りません。従業員の定着率を高めるには、給与水準に加えて、採用時のミスマッチ防止、入社後のフォロー、日常的な対話、職場の人間関係の改善、働き方への納得感づくりが重要です。まずは従業員が辞める原因を把握し、管理職が日常的に声をかけ、困りごとや不満を早期に拾い上げる仕組みを整えましょう。あわせて、職場環境を悪化させる言動を放置せず、安心して働ける職場づくりを継続することが大切です。
1.賃上げだけでは定着率が上がらない理由
中小企業の現場では、給与を引き上げても離職が続く職場がある一方で、必ずしも高賃金ではなくても従業員が長く働き続ける職場があります。この違いを生むのは、経営者の姿勢とコミュニケーションの質です。
従業員が長く働き続ける職場に共通するのは、経営者や管理職が従業員の貢献に感謝を示し、意見を言いやすい雰囲気をつくっていることです。反対に、従業員の貢献が十分に認められていないと受け止められたり、周囲を萎縮させる言動が放置されたりしている職場では、賃上げをしても不信感が残ることがあります。
この点を考えるうえで、アメリカの心理学者ハーズバーグの「動機付け・衛生理論」は参考になります。この考え方では、給与や職場環境は不満を予防する要因とされ、一定水準を満たしても、それだけで仕事への意欲や愛着が高まるとは限らないとされています。賃上げは不満を和らげる重要な施策ですが、それだけで「ここで働き続けたい」という気持ちが生まれるとは限りません。
近年は「自分らしく、安心して働けるか」を重視する従業員が増えています。給与改定の場面でも「なぜこの金額なのか」「今後どうなるのか」を丁寧に説明するなど、誠実な対応が信頼関係の土台となります。
2.採用時・入社直後のミスマッチを防ぐ
離職防止の取り組みは、まず「採用時のミスマッチを防ぐ」、次に「入社後の不安を早期に拾う」、そして「在籍中の従業員との対話を継続する」という順序で進めると実行しやすくなります。
入社後すぐに「思っていた仕事と違う」「職場の雰囲気に馴染めない」と感じて離職するケースは少なくありません。こうした入社後のギャップによる早期離職を防ぐためには、採用段階からの丁寧な情報提供と、入社直後の手厚いフォローが重要です。
まず採用面接では、業務の魅力ややりがいだけでなく、業務の難しさ・繁忙期の状況・職場の雰囲気といった「厳しい現実」も包み隠さず伝えることが大切です。可能であれば、実際に職場を見学・体験してもらう機会を設けると、入社後のギャップをさらに小さくできます。採用時点で自社の仕事内容・教育体制・職場風土を詳しく説明し、双方が納得した上で入社を迎えることが、長期定着の出発点となります。
次に、入社直後は、直属の上司や同僚が新入社員の様子に目を配り、適性や対人関係に問題がないかを早期に確認することが重要です。特に入社後の数週間から数か月は、業務内容や職場環境への適応状況を丁寧に見守る期間と位置づけましょう。適性に合わない業務が見つかった場合は、可能な範囲で業務の割り振りを見直すなど、柔軟な対応を心がけましょう。
また、年齢や立場が近い先輩社員をメンターとして配置し、気軽に相談できる関係をつくることも有効です。困ったことをすぐに話せる相手がいると、新入社員は「相談してもよい」と感じやすくなり、職場への帰属意識が育まれます。こうした入社直後の丁寧なフォローが、早期離職を防ぎ、長期的な定着率向上につながります。
3.1on1面談や日常の接点を活かして対話を増やす
採用段階の対策と並行して取り組みたいのが、在籍中の従業員との日常的なコミュニケーションです。日常の接点を工夫し、従業員が「自分のことを見てもらえている」と感じられる対話の仕組みをつくりましょう。大がかりな人事制度をゼロから構築しなくても、既存の業務フローを活用するだけでも、コミュニケーションの質を高めるきっかけになります。
第一のステップは、給与明細の交付、月次の業務報告、定例ミーティングなど、既存の接点を活用して短時間の対話の機会を設けることです。給与明細を直接渡している職場であれば、その機会を活用するのも良いでしょう。会議室など周囲から見られにくい場所を選び、1on1(1対1)で5分程度の面談を行うことも一案です。
こうした短時間の対話は、最初から全従業員を対象に制度化しようとしなくても構いません。まずは、気軽に話せる関係の従業員に対して、「最近どう?」「何か困っていることはある?」といった声掛けからで十分です。慣れてきたら、対話の対象者を広げながら、本人がどんな働き方を望んでいるか、どんな業務にやりがいを感じているかといった志向を把握することを意識してみましょう。実際にこの仕組みを取り入れている職場では、従業員の声が経営層に届きやすくなり、早期の問題把握につながるケースも多く見られます。
第二のステップは、「賞与面談」の役割を変えることです。単なる金額の言い渡しに終わらせず、過去の貢献に対する感謝を伝えるとともに、次の期間の課題や目標について、本人の希望や考えを聞きながら、会社の期待とすり合わせる対話の場とします。本人が目標設定に関わることで、業務への自律性や納得感を高めやすくなります。
第三のステップは、多様な働き方の受け入れです。とはいえ、限られた人員で事業を運営する中小企業では、従業員一人ひとりに幅広い役割を期待せざるを得ない場面もあります。最初から完璧な制度を整える必要はありません。まずは対話を通じて、従業員の要望や家庭の事情を「知る」ことから始め、「会社として、今できる範囲から少しずつ対応していく」というスタンスで十分です。
全員に一律の成長や働き方を求めるのではなく、例えば「キャリアアップを目指して新しい挑戦をしたい人」には業務改善を任せ、「今は家庭の事情で現状維持を望む人」にはルーティン業務を確実に担ってもらうなど、本人の志向と会社の状況をすり合わせながら、できる範囲で適材適所の配置を行います。経営者が「自分の事情を理解しようとしてくれている」と伝わるだけでも、従業員の安心感は大きく変わり、長く働き続けたいと思える職場につながっていきます。
4.離職防止・定着率向上チェックリスト
自社の職場環境の改善に向けて、どのような離職リスクが潜んでいるか、また離職率の上昇につながる要因がないか、採用から定着までの仕組みが機能しているかを客観的に把握するため、以下の「離職防止・定着率向上チェックリスト」を活用し、定期的に現状を診断してください。
離職防止・定着率向上チェックリスト
□ 採用面接時に、業務の魅力だけでなく「厳しい現実」も隠さず伝えているか
□ 入社後の数週間から数か月の間、管理職が新入社員の様子を注意深く観察・フォローしているか
□ 経営陣や管理職が、従業員に対して日常的に感謝の言葉を伝えているか
□ 給与や賞与の決定理由について、従業員が納得できるような丁寧な説明があるか
□ 毎月の給与明細の交付や面談など、定期的に1on1で話し合える「対話の機会」があるか
□ 個々の従業員の事情(家庭環境や志向)に合わせた、柔軟な働き方の選択肢があるか
□ 勤続年数や役職にかかわらず、周囲を萎縮させる言動や、職場の心理的安全性を損なう行為が放置されていないか
自社の強みと課題を可視化することで、次に打つべき具体的な一手が明確になります。まずはチェックが入らなかった項目を優先的な改善ポイントと位置づけ、できるところから対策を講じていきましょう。
特に管理職が個々の従業員の状況を把握しきれていない組織規模では、このリストを用いた定期的な振り返りが、周囲がまったく気づかないうちに本人が退職を決意してしまう事態(びっくり退職)を防ぐ有効なツールとなります。
5.定着への取り組みで注意したいこと
定着率向上に取り組む際、経営者や管理職が誤解しやすい点や、専門家への相談が必要な注意点を整理します。
まず、「勤続年数が長い社員=組織に貢献している」という先入観は危険です。長年勤めていても、高圧的な態度や非協力的な姿勢で、周囲の若手や新入社員の離職を招いているケースがあります。「長く勤めている人」ではなく「周囲の定着を支えている人」に注目し、そうした優良な従業員の関わり方を組織づくりに活かすことが重要です。
また、「採用の見極めだけで定着は解決できる」という誤解も禁物です。採用段階の改善に偏るあまり、既存の職場課題(人間関係やマネジメント)への対処がおろそかになっては本末転倒です。採用段階の管理と在籍者フォローは並行して進めてください。
さらに、試用期間の取り扱いには法律上の注意が必要です。労働基準法では、試用期間中の労働者で雇入れ後14日を超えない場合、解雇予告に関する規定の例外とされています。ただし、これはあくまで解雇予告の手続きに関する例外であり、「14日以内であれば自由に解雇できる」という意味ではありません。解雇や本採用拒否には、客観的に合理的な理由と社会通念上の相当性が求められます。勤務態度や業務適性に問題がある場合でも、状況を記録し、改善の機会を設けたうえで慎重に判断する必要があります。対応に迷う場合は、社会保険労務士や弁護士などの専門家に相談してください。
6.まとめ:賃上げと職場づくりを組み合わせる
人材定着や離職防止は、賃上げという金銭的アプローチだけでは実現できません。辞めない職場に共通するのは、経営者や管理職が従業員に感謝を示し、対話を大切にする姿勢です。採用段階での見極め、入社後のフォロー、給与明細や賞与面談を活用した日常的な対話の仕組みづくり、個々に合わせた柔軟な働き方の実現、そして職場環境の課題への適切な対処を地道に積み重ねることが、賃上げの効果を高め、「ここで働き続けたい」と思われる組織づくりにつながります。
- 回答者
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中小企業診断士・社会保険労務士 畑 美和子

