2026年 7月 13日

近年、人手不足による人材確保・定着の必要性の高まりや、物価高騰への対応を背景に、人材確保や従業員の定着を目的として賃上げを検討する中小企業が増えています。ただし、同じ賃上げでも、ベースアップ、定期昇給、賞与アップでは、人件費への影響や従業員に与えるメッセージが異なります。本記事では、それぞれの違いを整理したうえで、自社の業績や賃上げの目的に応じた選び方、実施時の注意点を解説します。

回答

ベースアップ、定期昇給、賞与アップは、それぞれ人件費への影響や従業員に与える効果が異なるため、自社の業績見通しと賃上げの目的に応じて選ぶことが重要です。

ベースアップは基本給の水準を引き上げるため、採用力や定着率の向上につながりやすい一方、人件費が増加します。定期昇給は勤続年数や評価などに応じて継続的に昇給する仕組みで、従業員の将来設計や定着に役立ちますが、人件費は徐々に増えます。賞与アップは業績に応じて柔軟に実施しやすい一方、継続的な処遇改善としての効果は限定的です。安定的な利益が見込める場合はベースアップや定期昇給を、業績変動が大きい場合は賞与アップを中心に検討し、必要に応じて複数の方法を組み合わせましょう。

1.ベースアップ、定期昇給、賞与アップの基本整理

まずは賃上げの主な3つの手法である「ベースアップ(ベア)」「定期昇給」「賞与(ボーナス)アップ」について、それぞれの意味と影響を説明します。

ベースアップ(ベア)

ベースアップとは、賃金表や基本給の水準を引き上げることで、従業員の賃金水準を底上げする方法です。全従業員を対象に一律または一定率で引き上げる場合もあれば、若年層など特定の層を重点的に引き上げる場合もあります。ただし、社会保険料や残業代(割増賃金)なども連動して増えるため、一度引き上げると後から引き下げることが極めて難しくなり、将来にわたって企業の「固定費」を押し上げ続ける性質を持っています。

定期昇給(定昇)

定期昇給とは、会社の就業規則や賃金規程に定められたルールに基づき、年齢や勤続年数の経過などによって、個々の従業員の賃金が定期的に上がる仕組みです。賃金表に基づいて運用する場合、従業員にとっては将来の賃金水準を見通しやすく、ライフプランを立てやすいという利点があります。

会社にとっても、年齢構成や人員構成から将来の人件費を予測しやすい一方、制度として継続するため、固定費が徐々に増えていく点には注意が必要です。特に、業績が不調な場合でも賃金表に沿って賃金を支払う必要があることや、従業員の平均年齢が高くなると人件費率が上昇しやすいことを踏まえて、制度設計を行う必要があります。

賃金表を設けていない企業でも、昇給時期、対象者、評価基準、昇給額の決定方法などを就業規則や賃金規程で定めることで、定期昇給制度として運用することが考えられます。

賞与(ボーナス)アップ

賞与アップとは、夏や冬、あるいは決算時に支給する賞与など、一時金の額を増やす手法です。業績が好調な時には賞与を上げ、不況時には賞与を下げるなど、業績に連動するのが一般的です。企業にとっては業績が良い時だけ増やすことができるため、基本給の引き上げに比べ、業績に応じて支給額を調整しやすい場合があります。

ただし、賞与の支給基準を就業規則や賃金規程で定めている場合は、その規定に沿った運用が必要です。また、毎月の賃金は変わらないため、従業員にとっては一時的にはモチベーションが上がりますが、生活の安定性や将来予測にはつながりにくい面があります。

 

ベースアップ

定期昇給

賞与アップ

内容

基本給の水準を引き上げる

勤続年数・年齢・評価などに応じて昇給

賞与を増額

人件費の性質

固定費として増加

固定費として徐々に増加

業績に応じて変動

継続性

非常に高い(毎年影響)

高い(制度として継続)

低い(その年限り)

柔軟性

低い

低い

高い

このように、同じ賃上げでも「固定費化するリスク」「短期効果か中長期効果」「従業員のモチベーションの向上」という観点で整理することが重要です。

2.3つの賃上げの選び方

中小企業や小規模事業者が賃上げを検討する際は、感情や他社の動向だけで決めず、賃上げする目的や業績、将来予測を加味して検討することが重要です。以下に検討の手順を記載します。

手順1:今後3〜5年の業績見通しを立てる(経営計画を立案する)

まずは自社の今後3〜5年の業績見通しを立てます。過去の業績だけでなく、売上やコストがいくらになるのか算出することで、いくらまでなら人件費を上げることができるのか、賃上げ原資をどの程度確保できるのかを検討します。今後も安定した収益が見込める場合は、ベースアップや定期昇給を検討しやすくなります。業績変動が大きい場合は、賞与など、業績に応じて調整しやすい方法も選択肢になります。ただし、いずれの場合も資金繰りと中長期の人件費負担を確認する必要があります。

手順2:賃上げの目的を明確にする

「なぜ今、賃上げをするのか」という目的を明確にします。「既存社員の離職を防ぎたい」「モチベーションを上げたい」という社内向けの目的であれば、定期昇給制度の整備や賞与アップに加え、賃金水準が市場相場を下回っている場合にはベースアップも検討します。

一方で、「求人を出しても応募がまったく来ない」という社外向けの課題であれば、ベースアップや初任給の見直しが応募増加につながる可能性があります。また、「初任給が他社より低すぎて若手が採れない」と若年層の人材獲得が課題であれば、若年層の基本給や初任給を重点的に引き上げるといった特定層へのアプローチも有効です。

手順3:手段・金額の確定

短期・長期の視点、賃上げの目的から、ベースアップ、定期昇給、賞与アップの手段を確定します。そして、業績見通しや競合他社の動向を踏まえて、引き上げる賃金額を決めます。なお、3つの手法の中からひとつに絞るのではなく、「ベースアップ+賞与アップ」「定期昇給+賞与アップ」といったように、複数の手法を組み合わせることも有効です。重要なのは、従業員に対して「なぜこの方法を選んだのか」を説明できることです。

手順4:従業員への説明

賃上げの手法と金額が決まったら、その内容をしっかりと従業員に説明することが重要です。賃金の引き上げは従業員にとって前向きな材料になります。しかし、従業員の中には、「どうして、こんなに業績は好調なのに、賃上げの金額が少ないのか?」「この金額では物価上昇率に追いついていない」と思う人もいるかもしれません。業績や今後の予測、人件費の割合、賃上げの目的、その他の福利厚生や従業員のモチベーションを高める施策などについて、まずは従業員に対してしっかり説明しましょう。そのうえで意見交換の機会を設け、コミュニケーションを取ることで、従業員の納得感を高めることが重要です。

状況・目的

適した賃上げ方法

業績が安定し、今後も利益が見込める

ベースアップ、定期昇給

業績の変動が大きく、将来が不透明

賞与アップ

採用が難しく、応募が集まらない

ベースアップ

離職を防ぎたい、社員を定着させたい

ベースアップ、定期昇給、賞与アップ

若手人材の確保が課題

ベースアップ、(初任給の引き上げ)

成果に応じてメリハリをつけたい

賞与アップ

3.賃上げ実施時の注意点

賃上げを実施する際には、いくつかの注意点があります。

(1)賃金の引き下げの難しさ

ベースアップや定期昇給で一度引き上げた賃金は、労働条件の不利益変更に当たる可能性があるため、会社の判断だけで一方的に引き下げることは困難です。翌年に業績が悪化した場合でも、賃金を引き下げるには、労働者との合意や就業規則変更の合理性・周知などが問題になります。従業員のモチベーションや信頼関係にも大きく影響するため、短期的な業績改善だけで判断するのは避け、中長期の見通しを踏まえて慎重に検討しましょう。

(2)各種手当や社会保険料、退職金への連動リスク

ベースアップや定期昇給で基本給が上がると、それに連動して「残業代(割増賃金)」の単価も上がります。なお、賞与は割増賃金の算定基礎には含まれないため、賞与アップは残業代の単価に影響しません。

また、会社が半額を負担する「社会保険料(健康保険・厚生年金)」も増加します。さらに、自社の退職金制度が基本給に連動する算定方式の場合、将来の退職金支給額も上昇します。目に見える賃金の支給額だけでなく、これらの「見えないコスト」をあらかじめ計算に入れておく必要があります。

業績や将来予測から、いくらまで賃金を上げることができるのかについては、公認会計士や税理士、中小企業診断士に、また、賃上げに伴う就業規則等の改訂や労使トラブルについては弁護士や社会保険労務士などの専門家に相談するのも有効です。各種の専門家に相談しながら賃上げを進めることで、トラブル等の未然防止につながるでしょう。

まとめ

ベースアップ、定期昇給、賞与アップは、それぞれ人件費への影響、継続性、柔軟性が異なります。どの方法が適しているかは、自社の業績見通し、賃上げの目的、人員構成、現在の賃金制度などによって変わります。人手不足や物価上昇が続く中、賃上げは人材確保・定着を考えるうえで重要な経営課題です。ただし、無理な賃上げは資金繰りを圧迫する可能性があります。一方、賃金水準が地域や業界の相場を大きく下回れば、採用や定着に影響するおそれもあります。

まずは3~5年程度の業績と資金繰りを見通し、賃上げの目的と原資を整理しましょう。そのうえで、ベースアップ、定期昇給、賞与アップをどのように組み合わせるかを検討し、選んだ理由や今後の方針を従業員に丁寧に説明することが重要です。必要に応じて、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士などに相談しながら、自社に合った持続可能な賃金制度を検討しましょう。

回答者

中小企業診断士 小池 佳和