闘いつづける経営者たち

「大東隆行」株式会社王将フードサービス(第4回)

04.人間中心の姿勢貫く

中国ギョーザの逆風にも揺れず

外食産業の中で勝ち組み企業の代表格となった王将フードサービスだが、現在までの道のりは悪戦苦闘の連続だった。大東隆行が社長に就任したのが、9年前の2000年。当時は約470億円の負債を抱え、会社経営は危機を迎えていた。就任から約2年間は、財務の立て直しに奔走。個店主義を核とする営業戦略が売り上げ拡大に寄与し、負債の大幅圧縮に成功した。

餃子の餡や皮を製造している久御山工場(京都府久御山町)

王将の危機脱出には店舗政策だけでなく、調理法に工夫を凝らした点も大きい。新鮮さを重視し、キャベツなどの食材は店内で切る。一方、ギョーザの餡や皮を作る工場は設備の強化に注力。例えばショウガをつぶす場合も味を損なわずに、衛生面に配慮するノウハウを早くから確立した。そのかいあって数年前、中国製冷凍ギョーザの安全性が問題視され食品業界が揺れた時も、同社の売り上げの影響はほとんどなかった。

縮む社員との距離感

王将フードサービスの経営スタイルはチェーン店の常識を覆す革命的な経営スタイルであり、大東のもと着実に進化させてきたことが、現在の好業績につながっている。しかし、単なるワンマンでこれほどまでの成功はない。大東はつねに従業員の理解に努めてきた。業績主体ではなく人間中心の姿勢を貫いたことが、組織の抜本改革を可能にしたと言える。

その姿勢は組織形態にも表れており、社内では積極的に従業員に声をかける。社員を誘って一緒に食事をする。従業員との距離間が縮まり、社長の考えが行き届きやすい風土作りを進めたことが、社内の地盤をさらに強固なものとした。

創業当時の四条大宮店(第1号店)
09年9月に復活した四条大宮店

海外市場の攻略へ

多くの改革を成し遂げてきた王将が取り組む新たなテーマは、海外展開。現在、中国・大連に6店舗を開設している。しかし、国が違えば、料理の好みも大きく異なってくる。それでも大東はあきらめていない。海外の市場攻略の難しさを認識しつつ「味では負けていない」と強調する。将来の店舗拡大も視野に入れるなど、あくまで強気だ。

一方で国内では、1000店舗達成の目標を掲げる。「ぼくは社長やない。ただのおっさんや」。現場目線でフラットな組織を意識する大東は、ユニークな発想と大胆な行動力を武器に次の一手を狙っている。

プロフィール

大東 隆行 (おおひがし たかゆき)

1941年大阪生まれ。関西経理専門学校中退後、薪炭と氷の小売り販売を行ってきた。当時は「夏と冬に働いて、それ以外はぶらぶらと暮らしていた。おかげでマージャンの腕が上がった」という。20代の後半に差しかかった時、実姉の夫にあたる故・加藤朝雄氏の誘いもあって「餃子の王将」に転身、新たな活躍の場を得た。社長就任時から人とのかかわりを重視しつつ、会社全体の質向上を進める姿勢を信条に掲げる。社員をはじめ客の声にも耳を傾け、利用客のクレームにも直ちに対応する体制を作り上げるなどサービス向上に取り組んでいる。店舗拡大にも努め、現在国内では直営店348店、FC店188店の合計536店。1967年に京都市中京区でオープンした第1号店は諸般の事情から08年に一度閉鎖を余儀なくされた。しかし09年9月には創業者である加藤氏の思いを引き継ぐ象徴的な存在として再生を果たしている。

企業データ

企業名
株式会社王将フードサービス
Webサイト
設立
1974年(昭和49年)
資本金
81億66百万円(平成20年3月31日現在)
従業員数
1540人(連結・21年3月末現在)
所在地
〒607-8307 京都府京都市山科区西野山射庭ノ上町294番地の1
Tel
075-592-1411
売上高
549億86百万円(連結・21年3月期)
創業
1967年(昭和42年)

掲載日:2009年11月19日