闘いつづける経営者たち

「鈴木 幸一」(株)インターネットイニシアティブ(IIJ)(第1回)

真夏の債権者集会

2003年夏、鈴木幸一は東京都墨田区のホールで開催した債権者集会で、詰めかけた債権者に事業が破綻した経緯を淡々と説明していた。真夏の債権者集会は一部の債権者から激しい追求もあり長時間化。終わったころには誰もがぐったりとしていた。会場を後にしたある金融機関の担当者は「債権者集会で謝らない経営者を初めて見たよ」と感慨深げにつぶやいた。

鈴木が社長を務める通信事業会社クロスウェイブコミュニケーションズ(CWC)は2003年8月20日、東京地方裁判所に会社更生手続きの適用を申請した。CWCは株主にトヨタ自動車、ソニーが名を連ね、米ナスダックに株式上場する異色の存在。そんな会社がよもや破綻の憂き目にあうとは、誰もが驚く結末だった。

鈴木が債権者に謝らなかったのは、申し訳ないという気持ちより、悔しい気持ちが勝っていたからだ。「もう少し持ちこたえられたらCWCという会社は何倍にも成長できる」鈴木にはその確信があったのだ。

トヨタ、ソニーが支援打ち切り

「支援してくれるのですかどうなんですか」— 更生手続きに入る数週間前、鈴木幸一はトヨタ自動車の首脳を前に決断を迫った。鈴木は同じ問いかけをソニーや三井住友銀行の首脳にもぶつけていた。各社の返事は判で押したように同じ「もう少し待ってくれ」だった。「支援する」でも「支援できない」でもなかった。みんなが他社がどう出るのかをうかがって結論を先送りしていたのだ。

鈴木がいくらCWCが世界に先駆けて開始した「広域イーサネット」という通信サービスが画期的だと訴え必ず成長すると説明しても、トヨタやソニーの首脳の脳裏には、巨額を投じたインターネットデータセンターに全くお客が集まらず、閑古鳥が鳴いている現実しか浮かばなかった。最終的に各社はCWC支援打ち切りを選択した。

「あの時どこかが一歩踏み出してくれたら支援が続き、今ごろCWCは超優良企業になっていたのに」— 鈴木は今でもあの当時のことを思い出すと心が泡立つのだった。

事実CWCが残した横浜と埼玉のインターネットデータセンターは、今や利用希望が殺到。隣接地に新棟を建設する人気ぶりだ。CWCをまねて広域イーサネットサービスを始めた通信事業者は多数の顧客を抱え、成功を謳歌(おうか)している。破綻したCWCから事業とデータセンターを引き継いだNTTコミュニケーションズは、「過去最高のいい買い物をさせてもらった」と言うことをはばからないほどだ。

復活を支えたエンジニア集団

日本初の商用インターネットプロバイダー(ISP)であるインターネットイニシアティブ(IIJ)の創業者として、インターネット業界で鈴木幸一の名を知らぬものはいない。そんな鈴木が味わったCWC破綻という挫折は、インターネットが他のどんな産業よりも浮き沈みの激しい業界であることを物語っている。

鈴木自身、ネットバブルにのって華々しく登場した経営者が、尾羽打ち枯らして去っていく姿を数多く見てきた。IIJはCWCの破綻で大きな傷を負ったが、2005年3月期で業績を黒字転換し、2006年12月には東証一部上場も果たした。復活を支えた原動力は、経営危機に陥った時でも鈴木のもとを去ろうとしなかったエンジニア集団の存在だった。

プロフィール

鈴木 幸一 (すずき こういち)

株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)

1946年神奈川県生まれ。1972年、(社)日本能率協会入社。同協会においてインダストリアル・エンジニアリング(IE)、新規事業開発などを担当。1982年に退社後、(株)日本アプライドリサーチ研究所取締役に就任。ベンチャー企業の育成指導、産業、経済の調査・研究、地域開発のコンサルテーション等を行う。1992年に(株)インターネットイニシアティブ企画(現・IIJ)を創立、取締役に就任。1994年(株)インターネットイニシアティブ(IIJ)代表取締役社長に就任。以来、日本における商用インターネットサービスの先駆者として、新しい通信インフラ市場を切り拓く。

企業データ

企業名
株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)
Webサイト
設立
1992年12月3日
資本金
14,295百万円
従業員数
連結 1,155名、単体 560名 (2007年3月末現在)
所在地
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-105 神保町三井ビルディング
Tel
03-5205-6500(代表)
事業内容
インターネット接続サービス及びネットワーク関連サービスの提供、ネットワーク・システムの構築・運用保守、通信機器の開発および販売。
売上高
57,055百万円

掲載日:2007年11月 7日