闘いつづける経営者たち

「池田弘」株式会社アルビレックス新潟(第2回)

02.アルビレックスによって新たな感動、地域との一体感、連帯感が得られる場面を提供したかった

アマチュアチームからプロへ、そしてアルビレックスへ

「人づくり」事業を通じて「街おこし」に力を入れるようになっていた池田。そんな池田がサッカーと関わるきっかけになったのは2002年。まだ記憶に新しい日韓共催で行われたワールドカップにさかのぼる。

1991年、新潟県は東京、大阪といった大都市やサッカーが盛んな埼玉県などと並んでワールドカップの開催地として名乗りを上げた。しかし全国の候補地との誘致合戦に勝ち残り、ワールドカップの開催地となるためには地元にJリーグのチームもしくはJリーグを目指すチームがどうしても必要だった。

そこで白羽の矢が立ったのが地元のアマチュアチーム「新潟イレブン」のプロ化、そして池田だった。95年5月、法人化に向けてのプロジェクトがスタートした。

96年、アマチュアリーグの新潟FCは、プロチーム「アルビレオ新潟」として生まれ変わる。池田をはじめ県民全員が待ち望んだ新しい新潟づくりのスタートだった
© ALBIREX NIIGATA

神社の神主、NSGグループの理事長としての立場に加え、新潟青年会議所の理事長などの要職を務めてきた池田は、生涯をかけたいテーマとして新潟の活性化策を探っていた。その池田にとってルールすら熟知していなくてもサッカーが地域の起爆剤になる可能性を秘めていることははっきりと感じとっていた。

「93年のJリーグ開幕でアントラーズの本拠地、鹿島が盛り上がっているのを見た時、サッカーで街がこんなにも変わるのかって驚きましたね」

94年、北信越リーグに参加していた新潟イレブンはチーム名を「アルビレオ新潟FC」に改名、元ヴェルディ川崎のフランス・ファン・バルコム氏を監督に迎えた。後援会を創設し、翌年には法人設立準備室を設置した。そして96年、ついにプロサッカーチーム「株式会社アルビレオ新潟」が誕生した。

スポーツ不毛の地のプロサッカーチーム、そしてワールドカップの誘致・・・。成功するかどうかではなく、成功させなければならかった。「ここまでのリスクを伴ってやれるのは池田しかいない」—。新潟を愛し、新潟の危機にいち早く気づき、そして新潟を何とかしたいという気持ちが人一倍強かった池田。そんな池田が社長におさまるのは、周囲の人間から見てもごく当たり前のことだった。

「お祭り男」の面目躍如といった感もあるが、実際には資金とともに新潟県民の志という大きな使命、リスクを背負っての要請受託だった。

債務超過からの脱却

社長に就任してからの苦労は想像以上だった。チームの設立に際して、まず個人や企業から資本金を集めることから始まった。地元を中心とした企業・団体、それに30人の発起人からの出資—。地域の資本を集めてやるビジネスモデルを確立した。

その後、およそ1億5,000万円をかけてチームを補強、外国人監督を迎えてJリーグの下部リーグであるJFL入りを狙った。

94年、95年と成績は振るわず、全国社会人リーグでも敗退。設立2年間は地方リーグでの戦いを余儀なくされた。しかし続く96、97年は圧倒的強さで北信越リーグを制覇、98年にはJFLに昇格し、99年からのJ2リーグ参加承認を得た。

愛知県豊田市とのワールドカップ開催地最後の一枠争いも、唯一の日本海地域という地域性を生かして誘致に成功し、97年にクラブ名も「アルビレックス新潟」と改名した。

© ALBIREX NIIGATA

チームは絶好調。しかし・・・スポンサーや入場者は一向に増えず、資本金を食いつぶす日々が続いた。いつしか年間の赤字は数億円単位に達し、債務超過の危機に直面した。池田が夢見た鹿島の再来、地域文化が支える仕組みは新潟ではできないのか・・・。

「ワールドカップも決まったし、もう十分。あと1期赤字を出したら終わり・・・」。そんな意見も聞こえるようになっていた。しかしアルビレックスによる街づくりの方向性は見失わなかった。

「これまでおカネを払ってスポーツを観戦するという習慣がなかった。だからこれをどう新潟に根付かせるか。とにもかくにもこれだけでしたね」

ビッグスワン竣工で盛り返す

© ALBIREX NIIGATA

池田は、8,000万円以上の私財を投入、増資することでチームを支えることを決断した。

「これで戦力補強のための選手の入れ替えを行い、サポーターにはチーム存続に向けた取り組みを理解してもらうために経営情報を公開しました」

これまで平均観客動員数4,000人前後のアルビレックスは、ここから地域一体となって快進撃を続けることになる。

チームと地域にとって飛躍の転機となったのは、01年春、4万2,300人収容の新潟スタジアム(ビッグスワン)が竣工したことだった。そこで池田は大きな賭けに出た。

「まずはスタジアムに来てもらうことが先決だと考えました。そのために採算を度外視して無料招待券を自治会を通じて大量に配布しました。でも、ただバラ撒いたのではなく、来てくれる可能性の高い人たちに対してです。その上で配布エリアを徐々に拡大していきました」

スポーツ不毛の地で誕生した地域ブランド「アルビレックス」。白鳥の羽を広げる瞬間をイメージしたホームスタジアムがオレンジ一色に染まり、観客と選手が一体化する
© ALBIREX NIIGATA

同年5月には、最初のJ2の試合(アルビレックス新潟対京都パープルサンガ)が行われた。ビッグスワンは3万2,000人の観客で興奮のるつぼと化した。無料のチケット戦略も「招待者がいずれ有料の入場者に変わると信じて取った戦略」というように、徐々に集客効果を発揮、池田自身も街おこしの醍醐味を実感することになる。

「スタンドがサポーターとチームカラーのオレンジ一色で埋まるようになると、チームはその後押しを受けていいプレー、いい結果をだすようになりました。するとサポーターがまたスタジアムに訪れる・・・。そんなスパイラルな循環ができあがっていきました」

池田には忘れられない出来事がある。それは1994年のワールドカップ米国大会決勝戦を視察した時のこと。当時は社長就任前で、サッカーのルールも熟知していなかったためゲーム内容はよく覚えていないという。しかし会場となったローズボウル・スタジアムを埋めた9万人の大観衆の中で身震いするものを感じたという。

「熱狂するサポーターを見て、これを新潟で実現できたらって考えたら気持ちが高揚しっぱなしでした」

コシヒカリを超える・・・・・「新潟の奇跡」

ビッグスワンでのホームゲームは負け知らずというチームの健闘もあって、サポーターも徐々に増加していく。Jリーグ昇格もはさんでの4年間は年間入場者数日本一を記録、「新潟の奇跡」と話題を集めた。新潟に、コシヒカリに続く新たなブランドが誕生した。

ここ2年間は浦和レッズにその座を譲っているが、J1リーグ昇格以降、ホームゲームでの試合平均は3万4,000人以上と抜群の集客力を誇っている。それでも満員のスタジアムを目指す池田の姿勢は変わらない。

そのための戦術を聞くと、「原点に戻って細かい仕組みを展開するだけ」と淡々としている。かつて無料の招待者だった人がいまや熱狂的なサポーターとなっている。

そのサポーターや地域がチームを支える仕組みも手厚い。個人会員109人、法人会員28社、特別賛助会員34社でスタートした後援会も、2007年8月には個人会員9,943人、法人会員1,266社にまで膨れ上がった。これに運営ボランティア、サポーターズクラブという体制でアルビレックス新潟を物心両面で支える。

2006年、アルビレックスは第12節の清水エスパルス戦で4万2,056人というチーム最多動員数を記録する
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またシーズンチケットを販売する手段として会員制のシステムも導入した。サポータークラブ会員になれば、一人4000円(個人会員の場合。入会金・年会費)の会費で、会員価格でシーズンチケットを購入できる。こうした仕組みが自分達でチームを作るという意識を生んだ。本質を見抜くチカラにずば抜けた池田ならではの戦略だった。

「おらがチーム」を応援する人に対して、小細工は通用しない。街おこしの熱意があれば、「以心伝心」で気持ちはサポーターに伝わっていくことを池田は知っている。

プロフィール

池田 弘 (いけだ ひろむ)

1949年新潟市生まれ。県立新潟南高等学校卒業後、國學院大学にて神職養成講座を受講し、東郷神宮等で実習を重ねる。1974年に実家の神明宮(新潟市鎮座)、そして77年には愛宕神社の宮司となり、同年に従兄弟と新潟総合学院を開校、理事長に就任。2000年に学校法人新潟総合学園(新潟医療福祉大学)理事長、06年には事業創造大学院大学総長と教育業界において数多くの要職に就き、新潟県内を中心に29の専門学校、大学院大学、大学、高等学校、医療法人、社会福祉法人、学習塾、資格取得スクールなどからなるNSGグループを展開。1996年、地元サッカークラブチーム「新潟イレブン」のプロ化に伴い株式会社アルビレックス新潟代表取締役に就任し、観客動員数を国内トップクラスに押し上げる。03年にはJ2リーグ優勝、J1昇格を成し遂げ、地域を巻き込んだ盛り上がりで新潟に新たな活力を生みだしている。

企業データ

企業名
株式会社アルビレックス新潟
Webサイト
設立
1996年4月
資本金
7億1,275万円(171企業・団体)
従業員数
80人
所在地
〒950-0954 新潟市中央区美咲町2-1-10
Tel
025-282-0011(代表)
事業内容
プロサッカーチーム運営、サッカー各種イベントなどの企画運営・管理、競技者の養成、指導
売上高
28億円(06年12月期)

企業データ

企業名
NSGグループ
Webサイト
設立
1976年11月
従業員数
2,400人
所在地
〒950-8063 新潟市中央区古町通2-495
Tel
025-224-2650(代表)
事業内容
専門教育事業、高等教育事業、大学教育事業、医療・福祉施設等

掲載日:2008年11月7日