闘いつづける経営者たち

「池田弘」株式会社アルビレックス新潟(第1回)

01.人材流出に歯止めをかけたかった。目指したのは新潟を世界一の都市にすること

全国有数の「こめどころ・新潟」は、長年、スポーツ不毛の地といわれ、強豪チーム不在の地だった。そこにサッカーのプロチームを誕生させたばかりか、Jリーグに昇格させて、本拠地・新潟スタジアム(通称ビッグスワン)をチームカラーであるオレンジ色の観客で埋め尽くし、“新潟の奇跡”を起こしたのがアルビレックス新潟会長の池田弘である。

本職は「宮司」
学校経営はベンチャーではなくアドベンチャーだった

池田はもともとサッカーとは縁もゆかりもない人間だった。新潟市の中心部に位置し、400年を超す歴史を有する愛宕神社が池田の実家。その一人息子として生まれ育ち、子供の頃は氏子(うじこ)さんの家を回って寄付を募ったりした。

いまも宮司として正月などに祈祷する姿がみられる。その宮司が新潟の奇跡を起こしたのは奇跡でも何でもない。「人づくり」「町おこし」にかける池田の情熱から考えれば、当然の帰結だったと言っても過言ではない。ただ、奇跡を起こすまでには紆余曲折もあった。

「高校卒業後、國學院大學の神道神職養成講座を受けていましたが、地元では氏子さんも回る家が減って、商店街もシャッターを閉めた店舗が目立つようになっていました。だんだん宮司で生活していく厳しさを感じるようになり、そこから「地域の活性化」「人づくり」にやりがいを感じるようになっていました」

現在も宗教法人神明宮と愛宕神社の宮司を務める池田。神道を極めていく過程で地元の危機的状況を感じ、まるで寺子屋を作るのと同じように塾や専門学校を作っていった

人づくりといっても教育者になろうというのではなく、実業家としてである。27歳で神社を継ぐことになった池田は宮司を務めながら、1977年に従兄弟とともに資格試験や簿記などの学校を経営する新潟総合学院(NSG)を開校、理事長に就任して、いよいよ念願の教育事業に乗り出した。その後、池田はわずか30年で足らずで新潟県内を中心に29の専門学校、大学院大学、大学、高等学校、医療法人、社会福祉法人、学習塾、資格取得スクールなどからなるNSGグループを展開していくことになる。

人づくりのDNAは「寺子屋」にあり

愛宕神社に限らず、神社ではかつて「寺子屋」の役割を果たしていたところが少なくない。現在でも神社やお寺が幼稚園や保育園などを経営するケースがみられるのは、寺子屋だった名残であろう。いまや愛宕神社に寺子屋の機能は残っていないが、池田が実家の境内に新潟総合学院を開校したところからもそうしたDNAが備わっていることは容易に想像できる。

1977年、愛宕神社の境内に新潟総合学院を開校する。しかし開業資金不足で融資を求めて訪れた金融機関では「ベンチャー以前にアドベンチャーですね」と門前払いされたこともあった

そのDNAに加えて、大都市と地方の格差の広がりを背景に、「新潟からの人材流出に歯止めをかけたい」という願いが強かったことも池田を人づくり事業に突き動かした一因だ。

「地元に活気を取り戻すには、やっぱり県内に資格学校や専門学校を作り、地元で働ける環境を整えることが重要だと考えました。若者を首都圏に流出させるのではなく、逆に流入させるぐらいになるためにはどうしたらいいのか。そこで日本でナンバーワンの資格合格率を誇る学校を目標に定めました」

東京と同じことをするつもりはない
新潟から世界へ飛び出していける環境を作る

新潟総合学院は学習塾からカルチャースクール、各種語学学校、デザイン、コンピューターといった様々な専門学校があり、わが国有数の専門学校グループとなっている。ユニークなものではアウトドア、ウインタースポーツ、サッカー、伝統文化・伝統工芸、アニメーションの専門学校なども含まれている。

新潟に若者を引き留めるためには資格や検定で実績を挙げる必要がある、との考えから、池田は「日本一の合格実績」を目標に掲げて、いまも質の高い教育を目指している。事実、日商簿記検定などは首都圏の学校より高い合格率を誇っている。

現在、学生数はおよそ11,500人に達し、そのうち1,800人は県外からの「人材流入」。人材流出どころか、狙い通りその逆の効果をあげている。海外からの留学生もアジアを中心に70人以上に上っている。

こうした実績は、世界中の一流と言われる有名学校と積極的に提携するなど東京にはない独自性を打ち出してきたからにほかならない。近年では世界一の高齢化の進展に伴い、病院や福祉、介護といった事業にも力を入れてきた。

「東京を目標にして、それと同じことをしていても勝てません。だから目標を世界に定め、イタリアやフランスをはじめ世界中でトップクラスの学校と提携するなど交流を深めていきました」

©ALBIREX NIIGATA 2002年日韓ワールドカップの誘致合戦に勝ち残るためにはJリーグ級のクラブチームが地元に必須。そこで導き出された答えはアマチュアチーム「新潟イレブンのプロ化」だった。そこに新潟で成功を収め、誘致委員の一人だった池田に、全てのリスクとともに白羽の矢が立った・・・

これらの人づくり事業は、住みたい街、行ってみたい街にあげられるような魅力ある街づくり、つまり「町おこし」に結びつく。氏子さんの幸せを願う宮司としての池田の本能が、町おこしに精力的に取り組む原動力となっている。

そしてこうした「町おこし」「人づくり」の取り組みが1996年、大きな節目を迎えることになる。それは自らが追い求め続けた新潟から世界に発信するシンボル「アルビレックス」として結実する。

しかしそこに至るまでには1億円以上の私財の投入、大幅な選手の入れ替え、サポーターの求めに応じた経営情報の開示と幾多の苦難の道を歩むことになる。ワールドカップの誘致とともにプロサッカーチームの立ち上げという全てのリスクを一人で背負う池田の闘いが始まった。

プロフィール

池田 弘 (いけだ ひろむ)

1949年新潟市生まれ。県立新潟南高等学校卒業後、國學院大学にて神職養成講座を受講し、東郷神宮等で実習を重ねる。1974年に実家の神明宮(新潟市鎮座)、そして77年には愛宕神社の宮司となり、同年に従兄弟と新潟総合学院を開校、理事長に就任。2000年に学校法人新潟総合学園(新潟医療福祉大学)理事長、06年には事業創造大学院大学総長と教育業界において数多くの要職に就き、新潟県内を中心に29の専門学校、大学院大学、大学、高等学校、医療法人、社会福祉法人、学習塾、資格取得スクールなどからなるNSGグループを展開。1996年、地元サッカークラブチーム「新潟イレブン」のプロ化に伴い株式会社アルビレックス新潟代表取締役に就任し、観客動員数を国内トップクラスに押し上げる。03年にはJ2リーグ優勝、J1昇格を成し遂げ、地域を巻き込んだ盛り上がりで新潟に新たな活力を生みだしている。

企業データ

企業名
株式会社アルビレックス新潟
Webサイト
設立
1996年4月
資本金
7億1,275万円(171企業・団体)
従業員数
80人
所在地
〒950-0954 新潟市中央区美咲町2-1-10
Tel
025-282-0011(代表)
事業内容
プロサッカーチーム運営、サッカー各種イベントなどの企画運営・管理、競技者の養成、指導
売上高
28億円(06年12月期)

企業データ

企業名
NSGグループ
Webサイト
設立
1976年11月
従業員数
2,400人
所在地
〒950-8063 新潟市中央区古町通2-495
Tel
025-224-2650(代表)
事業内容
専門教育事業、高等教育事業、大学教育事業、医療・福祉施設等

掲載日:2008年10月8日