闘いつづける経営者たち

「富山 幹太郎」株式会社タカラトミー(第3回)

03.今度は息子と闘う

「バンダイに入りたい」

父親との壮絶な闘いの末の大リストラで、プラザ合意後の円高を乗り切った富山幹太郎。次には息子との闘いが待っていた。闘いといっても富山の一方的な闘いではあったのだが...。

富山は息子が生れてから、すべてのおもちゃを与え、身近なモニターにしていた。その息子が幼稚園のころ、車に乗せて首都高速向島線を走っていた。駒形近辺でバンダイの看板を見た息子が突然、「おとうさん、僕は大人になったらバンダイに入りたい」と言った。富山は「これだけトミーのおもちゃを与えているのになにを言うか」とカチンときた。

「幼稚園でみんながトミーのおもちゃは古臭いというんだ。テレビでやっている変身するロボットがない」というのが息子の言い分だった。それを聞いた富山は「こいつにトミーに入りたいと言わせてやろう」と決意した。さっそく会社に戻って「テレビキャラクターをやれ、変身してロボットになるやつをやれ」と開発部に提案した。

社訓破りキャラクターに挑戦

ポケットモンスターのキャラクター・ピカチュウ
© Nintendo・Creatures・GAME FREAK・
TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku
© Pokémon

ところが昔からの開発陣は付いていけなかった。トミーには「キャラクター商品には手を出すな」という社訓があったからだ。「キャラクターものは当たり外れが多い。ロングセラーのおもちゃを開発しろ」というトミーの伝統が開発陣に染みついていた。富山は「これはあかん」と思って開発部を解体する荒療治に出た。キャラクターものに必要な迅速な商品開発を狙ったのだ。

その後、トミーは大ヒットした「ポケットモンスター」関連などのキャラクター商品で一気に売り上げを増やす。富山は1997年のおもちゃショーに息子を呼んだ。トミーのブースを見て息子は「おやじ、キャラクターだらけになっちゃったじゃないか。ソニーみたいにもっとオリジナリティがないとだめだよ」。富山は苦笑いする。子どもは成長とともに遊びがどんどん変わっていく。富山は「何くそと思いながら、息子に追いついて一緒に会社を変えていくのは大変だった」と振り返る。

富山に社訓に背いてキャラクターを手がけさせた、その息子は現在、父親と同じく英国留学中。「ようやく卒論が終わって、うちの英国子会社でインターンシップをやっている」そうだ。どうやら20数年前の富山の決意が現実のものになりそうだ。

テレビゲームに情報発信を学ぶ

改造できるバトルゴマ「ベイブレード」
© Takafumi Adachi,MFBBProject,TV Tokyo
© TOMY

富山が社長に就任したころから、子どもの遊び方がガラッと変わった。テレビゲームの登場である。おもちゃにとっては手ごわい相手だ。トミーは空前のポケモンブームで、キャラクター商品が好調だったせいもあり、富山は「経営的に伸びていいところが、伸びないなとか、そういう状況はあった」という。

「おもちゃの強みは安いこと。去年からブームの『ベイブレード』は800円、1000円の世界です」。昔のベーゴマのような遊びだ。持久力がある、動かないで回る、右回り、左回りなどパーツの組み合わせによりコマの動きを変えることができる。どういう動きにするか、作戦を練って対戦する。確かにTVゲームではできない体感のある遊びだ。

もちろんテレビゲームの強みもある。「たくさんの情報量を送れることだ」と富山は言う。カーレースゲームのソフトは1枚のディスクで、車種が選べ、エンジンも選べる。本物のエンジンの音が入っている。レースコースが選べるし、ガードレールにぶつかって火花が出る。「値段はトミカ20台分だけれど、ゲームの方がよいと思う年齢層もあるだろう」とみる。

富山は「テレビゲームから学んだことは情報量、おもちゃも負けないくらいの情報量を組み込め」とはっぱをかける。チューンアップすることで強くなるという情報を発信するベイブレードはその好例だ。

長きにわたり愛され続ける
着せ替え人形・リカちゃん
© TOMY

テレビゲームと比べておもちゃの強みは安いことだけではない。富山は「おもちゃはレトロといわれることが多いけれど、最先端の技術を最初に取り入れる産業だ」という。たとえば音声認識の場合、自動車で右と左を間違えて指示したら大変だが、おもちゃなら事故にはならない。「新しい技術に大胆にチャレンジできる」。実際におもちゃがプラスチックを取り入れた時も最先端の素材だった。「リカちゃん人形」の髪も最先端技術だそうだ。「科学技術の発展をどう取り込むかがおもちゃメーカーの知恵の生かしどころ。アイデア勝負ですから」。

さらにおもちゃは実際にモノを触って遊べることも強みだ。「テレビゲーム全盛の時、おもちゃが停滞している古臭い産業だと、業界全体の元気がなくなってしまったことがあった。でも、おもちゃくらい素晴らしい産業はないのだ。そこに働く人はプライドを持って、自信を持ってモノづくりをしっかりやっていこう」と富山は意気込む。

プロフィール

富山 幹太郎 (とみやま かんたろう)

1954年(昭和29年)東京都葛飾区生まれ。82年英国ハル大学卒、同年トミー工業入社。86年トミー工業、トミー社長就任。89年トミー工業、トミーの合併及び商号変更により、トミー取締役社長就任。06年タカラトミー代表取締役社長就任。現在に至る。

企業データ

企業名
株式会社タカラトミー
Webサイト
設立
1953(昭和28)年1月17日
資本金
34億5953万円
従業員数
649名(2010年3月31日現在)
所在地
〒124-8511 東京都葛飾区立石7-9-10
事業内容
玩具・雑貨・カードゲーム・家庭用ゲームソフト・乳幼児関連商品等の企画、製造および販売

掲載日:2010年12月6日