闘いつづける経営者たち
「富山 幹太郎」株式会社タカラトミー(第2回)
02.経営者の「原点みたいなもの」
見えないものに救われる
帝王学を学ぶ間もなく、経営危機の渦中に投げ込まれた富山幹太郎だったが、父で先代社長の富山允就との闘い、そして大リストラの中で、経営者の"原点みたいなもの"を学んだ。富山は「本当につぶれるかどうか、悪いうわさが広まるくらい大変な状況だったが、僕は目に見えないものに救われたと思っている」という。
富山が救われた"目に見えないもの"とはなにか。その一つは、会社がつぶれそうになっても、子供たちは「プラレール」(鉄道玩具)がほしい、「トミカ」(ミニカー)がほしいと言ってくれる。そういうお客様の声だ。
次に、大きな混乱がなく大量の人員整理ができたこと。会社と社員の人たちとの信頼関係に救われた。さらにプラスチック材料の旭化成やモーターのマブチモーターなど仕入れ先の人たちから「現金を積まないと納入しない」ということは一切なかった。仕入れ先との信頼関係にも救われた。もちろん金融機関も「がんばれよ」と励ましてくれた。富山は「そういう信頼関係に囲まれていろいろな手を打てたことはラッキーでした」と振り返る。
見えるものは変わる
「売家(うりいえ)と唐様(からよう)で書く三代目」という川柳がある。富山も自覚する。「よく3代目は会社をつぶすといいますよね。私の代でつぶさないためにどうしたらよいか」。答は経営危機の時に救われた目に見えないものを大事にすることである。
「目に見えない信頼というのは実は僕が築き上げたものではなく、先輩たちが長年にわたって築き上げてくれた基盤なのです」。それを傷つけずに、もっと増やしていくこと、それが会社をつぶさないことだという。だから富山は社員たちに「子どもたちの信頼を増やさないような意見を述べるやつはいらないよ」とよく口にする。
「そういう意味で、おやじは工場など目に見えるものを維持しようとしたけれども、目に見えるものは10年、20年、30年たてば変わるわけです。だから、大事なのは見えない信頼を増やしていくこと、そこに視点を置いて善し悪しを判断していくとつぶれないのではないか」。これが経営者・富山の"原点みたいなもの"である。
守るものと捨てるもの
「当時だって工場を残す道はあったと思います。正解は一つではないから」と富山は言う。ただし、その場合は「大正13年(1924年)からやっているおもちゃを捨てることになる」。国内に工場を残して生き延びるには、おもちゃよりも付加価値の高いものに転換しなければならない。
社長になって24年、「大きな節目では何かをあきらめるくらいで初めて、変化に対応できるなと思う」。株式の公開やタカラとの合併などの局面で、守るものと捨てるものを切り分けていった。「一つひとつのタイミングで何を守り、何を捨てるのかを間違えると会社はつぶれる」という。その基準は当然ながら、見えない信頼を増やしていくこと。今までのところ、富山は経営者の"原点みたいなもの"を踏み外していないようだ。
プロフィール
富山 幹太郎 (とみやま かんたろう)
1954年(昭和29年)東京都葛飾区生まれ。82年英国ハル大学卒、同年トミー工業入社。86年トミー工業、トミー社長就任。89年トミー工業、トミーの合併及び商号変更により、トミー取締役社長就任。06年タカラトミー代表取締役社長就任。現在に至る。
企業データ
- 企業名
- 株式会社タカラトミー
- Webサイト
- 設立
- 1953(昭和28)年1月17日
- 資本金
- 34億5953万円
- 従業員数
- 649名(2010年3月31日現在)
- 所在地
- 〒124-8511 東京都葛飾区立石7-9-10
- 事業内容
- 玩具・雑貨・カードゲーム・家庭用ゲームソフト・乳幼児関連商品等の企画、製造および販売
掲載日:2010年12月2日