中小企業の海外展開入門
「佐藤養助商店」秋田発、「稲庭うどん」を世界へ
佐藤養助商店は、1860年(万延元年)に創業された「稲庭(いなにわ)うどん」の製造販売会社である。明治期には、明治天皇奥州巡幸の際の天覧を受け、宮内省(当時)からの購入もあったほどである。佐藤養助商店は、その後も、大正天皇の即位大礼、昭和天皇の即位大礼の際に商品を献上し、数多くの賞も受賞してきた由緒ある老舗である。
1897年フランス・パリ世界博覧会への出展に始まる海外展開の歴史
佐藤養助商店の海外展開は、1897年(明治30年)のフランス・パリ世界博覧会への出展に始まる。また、内国勧業博覧会(1877年)、秋田県博覧会(1878年)、宮城県博覧会(1880年)、岩手県勧業博覧会(1884年)など数多くの国内博覧会へも出展を重ねてきており、佐藤養助商店は、早くから国内外へ広く目を向けてきていたのだと言える。
時代は平成に変わり、2009年、佐藤養助商店は香港企業との業務提携により、香港にうどんと鍋物の飲食店「うどん・鍋 稲庭」をオープンした。秋田の工場から麺を香港の店舗へ提供し、日本人スタッフが技術指導を行ってきた。
今は技術指導期間を修了し、香港店は現地スタッフのみで運営されている。メニューも核となるうどんメニュー以外は現地のオリジナリティに任せている。
そして2013年、佐藤養助商店は台湾企業と合弁会社を設立し、台湾台北市に飲食・物販店舗「稲庭養助」をオープンした。台北店でも麺は秋田の工場から提供し、日本で技術を学んだスタッフが店舗に配置されている。
人材面での苦労の多いアジア店舗
台湾の合弁会社設立までは資金も公的機関の支援等もありスムーズに進んでいたが、オープン後は苦労が多かったという。
台湾に限らずアジアの人たちは、仕事に対しては大変ドライな考え方をする人が多い。技術を身に付けると自身のステップアップのために、より良い就労条件を求めて簡単に他社に移ってしまう。とはいえ、それも国民性の違いによるものであるゆえ、彼らに留まることを強要することはできない。
実は、佐藤養助商店は2010年、マカオにも香港企業と組んで店舗を出していたが、調理師が現地のホテルに引き抜かれるなどしたため、現在は、クオリティ維持の問題から「稲庭養助」の看板は下ろした状態になってしまっている。
また、日本とアジアでは衛生面に対する考え方にも大きな違いがある。それゆえ現地スタッフには基本的な身だしなみの指導からしなければならない。しかし、指導して育てば、彼らもまた他社へより良い条件を求めて移っていってしまうケースが多いのだという。
日本人との国民性や意識の大きな違いは、アジアへ海外展開する企業においては、どの業種においてもクリアしなければならない課題だと言える。
今後の抱負
海外営業担当である営業部部長の麻生雅樹さんに、海外展開に関する今後の抱負を聞いた。
「佐藤養助商店は、店舗での飲食物提供と贈答用の乾麺販売を、店舗事業の2つの柱としている。そのため、店舗で佐藤養助のうどんを食べてもらい、そのおいしさを知ってもらったお客さまに持ち帰り用または贈答用として乾麺を買って帰ってもらう、というスタイルを理想としている。
今後しばらくの間は、台湾と香港の店舗を理想的な状態に持っていくことを目指し、マネジメントに注力していきたい。そして、最終的には欧米など次の海外展開先を探して、また進出していきたい」
麻生さんは、次のようにも語る。
「アジアはまだ発展途上にあり人口も多い。そのため、アジアなど海外に店舗を出すということは自社ブランドの大きな宣伝にもつながる。佐藤養助商店も香港店をオープンした際、記事を出した事を契機に日本の店舗へ立ち寄ってくれる外国人観光客が急増した。香港店を訪れた人が来日の際に日本の店舗へ来店するケースが増えたのだろう。
とはいえ、海外展開では計画通りに物事が進むことは少なく、予想外の事態が生じることが多い。そのため事前にさまざまなリスクを想定し、予防策や対応策を考え準備しておくことも重要である。その準備ができてさえすれば、万一の場合にも被る被害は少なくて済む。
また、パートナーについては相手を見極める事が大事である。相手を見極めるためのコミュニケーションや情報収集も怠ってはならない」
2015年、佐藤養助商店は創業155年目を迎えた。長い伝統を持つ佐藤養助商店の稲庭うどんは、今後も末永く秋田からアジアへ、そして世界へと普及していくことだろう。
企業データ
- 企業名
- 有限会社佐藤養助商店
- Webサイト
- 代表者
- 佐藤 正明
- 所在地
- 秋田県湯沢市稲庭町字稲庭229
- 事業内容
- 乾麺製造販売・飲食業