中小企業の海外展開入門
「フジ矢」日本でシェアNo.1の工具をベトナムでも生産
フジ矢は、ペンチやニッパ、レンチなどさまざまな工具の企画・開発・製造を手がける企業だ。1923年に現社長の祖父、道本佐一郎氏が創業し、以来、一貫して工具を作り続けた結果、現在ではペンチ、ニッパで国内シェアNo.1を誇る。
量販店での売上拡大に着目
現社長の野﨑恭伸氏が社長に就任したのが1998年、29歳の時だった。当時は長い不況期にあり、フジ矢の売上もバブル最盛期に比べて半分程にまで落ち込み、創業から初めての2期連続赤字に陥っていた。それに対して野崎社長はこう考えたという。
「既存の販売ルートにだけ依存していてはダメだ。これからは、ホームセンター(量販店)での売上も伸ばして行かなければ」
ホームセンターでモノを売っていくうえで納期遅れや欠品は大問題になる。また、今後国内シェアを高めていくには自社ブランドだけでなくOEM生産も増やしていかないといけない。そして、売上高を拡大し、生産量を増やすには、国内の職人だけで作っていては間に合わない。
技術の進歩で機械化が進んだとはいえ、ペンチやニッパといった工具は、「組み立て、焼入れ、刃付け、研磨」といった重要な作業をすべて職人が手作業で行っている。しかし、職人の高齢化、外注先の廃業、少子化の進展といった国内にあって、日本人だけでこのような仕事を継承していくのは難しい。
そう考えた野﨑社長は2002年、技術研修制度を活用してベトナムから研修生を受け入れることを決めた。
ベトナムからの研修生の受け入れを開始
ベトナムでは、国内での人材募集とその海外への送り出しは国が管轄して行っている。採用に際しては、筆記テストなどさまざまなテストから選ばれた人たちに対して日本企業の担当者が面接する。例えば2人採用したいとなれば、現地の機関が選出した6人程の候補者に対して日本企業の担当者が現地で面接する。そして採用が決まった人に日本へ来てもらう。
そのようにして来日したベトナムの研修生たちは優秀だった。また、手先も非常に器用で、中には技術がベテラン職人の域にまで達するような研修生もいたという。メリットは大きい。
しかし、彼らはあくまで研修生であるため、3年経てば母国へ帰ってしまう。そこで彼らからの要望もあり、彼らの技術を活かすために野崎社長は2007年、ベトナムに工場を建て、そこで彼らを雇うことにした。
ベトナム現地工場の設立
2007年8月、フジ矢はベトナムに100%子会社の「FUJIYA MANUFACTURING VETNAM」を設立した。このベトナム工場の設立により、現地の優秀な若い職人の確保し、同時にコストダウンも実現したことで価格競争力が上がり、ホームセンターへの製品納入も順調に進んでいった。
野崎社長が海外の中でもベトナムにこだわったのには理由があった。
「ベトナムは社会主義国ではありますが、安定していますし親日でもあります。また、日本人スタッフが住む環境もトータルで考えて整っています。そのような利点から他の国と比較して最終的にベトナムでの工場設立を決めました」
ベトナム工場で生産される製品はほとんどが日本向けだが、ベトナム国内でも販売するという。
ベトナム工場には現地採用の人材が約100人、日本で研修を受けたベトナム人の職人が10人程いる。日本人は社長と工場長の2人だけ。それ以外はみなベトナム人だ。
入念に検討して設立を決めたベトナム工場だが、小さな苦労はやはり数多くあるという。例えば、優秀な人材の退職、停電への対応、設備の故障など工場での苦労は日本と同じだ。
ただ、その一方で野崎社長は現地工場設立時を振り返り、人に恵まれていたとも話す。野崎社長の知り合いで商社で海外経験のある人がマネージャーとして来てくれたという。
今後の抱負
今後の抱負について、野崎社長は次のように語る。
「ベトナム工場に営業やマーケティングの部署を置いて機能拡大を図っていきたい。ベトナムは今後人口が9,000万人を超える見込みであり、日本と変わらない市場になる可能性がある。やはり今後もベトナムを拠点に力を入れてやっていきたいですね」
フジ矢の社名の「フジ」は日本一高い山(富士山)を指し、「矢」は刃物を指している。「富士山に矢を突き通せるような強い工具を作ろう」というのが、この社名の由来だ。国内シェアNo.1というフジ矢の強い工具は、日本とベトナムの優れた職人たちの手によって作られ続けている。
企業データ
- 企業名
- フジ矢株式会社
- Webサイト
- 代表者
- 代表取締役 野﨑 恭伸
- 所在地
- 大阪府東大阪市松原2-6-32
- 事業内容
- 工具の企画・開発・製造